💎自分の存在価値!(人間、50、60代になって思う事!)
確実に人生の半分は過ぎた。
あと数十年もすれば、ほぼ間違いなく存在していない。
自分一人が存在しなくても
何もなかったようにこの世界は続いていく。
さらに時が過ぎれば
自分が存在したことさえ忘れられるかもしれない
だからこそ
過去を悔やんだり、未来を心配して、
モヤモヤする時間は本当にもったいないこと
他人の目を気にせず、人との比較をせず
相手の価値観を受け入れる
それができる年齢になってきているはず
今まで一生懸命生きてきた、一度きりの人生
これからは自分のために生きたって誰も文句は言わない
大切なことは、今日一日を大事に生きること
正解を探すより、自分の心がどう感じるかを信じてみる
人生は一度きり
自分の気持ちに正直に生きよう~!
あなたの今日、そして明日が笑顔でありますように!
💎国の道!
人はさまざま。
だからさまざまな人生があり、さまざまな人の歩む道があります。
そのいずれの道であろうとも、たとえそれがひっそりとした道で
あろうとも、それぞれの道をそれぞれに切り開いていくことは
決して容易ではありません。
人のおのおの精一杯の心根がそれぞれにこもらねばなりません。
ボンヤリしていては道は開けません。
他人任せでは道は開けません。
しかし、もっと容易ではないのは、いわゆる国として、国家としての
道を切り開いてゆくことではないでしょうか。
いかに我が道を開く精進を重ねても、国としての道が開けていなければ
所詮は砂上の楼閣。
誰かが何とかしてくれるだろうでは誰も何ともしてくれない。
人の歩む道も国の歩む道も結局同じことのはずです。
つまりは、われ他人とともに懸命に考えて、我が道をひらく如くに
国の道を開かねばなりません。
そうしなければならないのが民主主義で、またそれができるのも
民主主義と思うのです。
💎覚悟はいいですか!
事に望んでイザというとき、うろたえもせず慌てもせず、
日頃の覚悟のほどを示して決然と、しかも悠揚(ゆうよう)として
事にあたるということは、
まずはおたがいになかなか至難の事です。
つい日々をウカウカと過ごしていることになるわけで
だからイザ”覚悟はよいか”と問われたら、なすすべもなく呆然自失、
悠揚決然どころではないはずです。
しかしよく考えて見ると日々の営みの中で、おたがいに刻々に
その覚悟のほどを問われているわけで、
たとえば今日の交通地獄の中では、一歩外にでればいついかなる危難が
ふりかかるかわからず、すでにここにおいてもその覚悟がうながされて
いるわけです。
全てのことにおいて、いろいろの姿で刻々に”覚悟はよいか”と問われているのです。
そのことを自ら察知して自問自答するかはその人の心がけひとつと思っています。ましてや昨今の我が国の社会情勢、経済情勢は、世界の動きとともに
寸刻の油断もならない様相を呈しつつあると思っています。
つねに、”覚悟はよいか”と問われることをおたがいに覚悟したいものです。
💎信念のもとに!
時代は本当に変化しています。人の考えも変化しています。
しかし、信念に生きることの尊さには少しも変わっていません。
というより今ほど事を成す上において信念を持つことの尊さが痛感されるときはないと思っている次第です。
為政者(いせいしゃ)に信念がなければ国はつぶれます。
経営者に信念がなければ事業はつぶれます。
そして店主に信念がなければ店はつぶれます。
誇りを失いフラフラしている時ではありません。
正しい国是を定め、誇りある企業理念を定め、力強い点是を決めて、
強い信念のもとに、自他ともに確固たる歩みを進めたいものです。
そこから国家の、事業の、お店の、そしてお互い個々人の繁栄が
生み出されてくると思っている次第です。
💎わがことの思いで!
一口に漫才、落語と言っても上手下手様々です。
同じネタでも名人上手がやれば、抱腹絶倒つきない面白みがあるけれども
下手な人がやれば面白くもなければおかしくもない。
ましてや素人がやればあくびを殺しながらの時間の浪費。
材料が同じなのにどうしてこんなに違うのでしょう。
持ち味、適正、修練、工夫、熱意の違い、真剣さの違い、研究心の違い
こうしたものが総合されて、天地の差を生み出しているのかもしれません。
漫才ならば下手でもせいぜい時間の浪費で終わるけれども
これが一国の政治ともなるとそう簡単には事はすみません。
同じ国土、同じ国民、同じ国富、つまり材料は同じでも
政治のやりかたひとつ、政治家の心がけ一つで、
国家の盛衰、国民の幸不幸が根本的に左右されてくるのです。
国家の運営も会社の経営も、また商店の経営も団体の運営も
すべてみな同じことがいえると思うのです。
他人事ではなく我が事なのです。
わがことの思いで、今一度政治を吟味したいものです。
経営を吟味したいものです。
そして、個人として、また国民としてのわが身の在り方を静かに振り返って
見たいものです。
💎平和と戦争!
平和と戦争とは本来相容れないもので、言葉の上でも、
事実の上でも全く正反対のものです。
平和はあくまで平和であり、闘争はあくまで闘争なのです。
ところが近頃は、平和のための闘争などという奇妙な言葉が口にされ
口にされるばかりではなくこの言葉に基づいて何かとハデな闘いが展開される
傾向が強いと思うのです。
これはこれなりにあるいは、理屈のあることかもしれませんが
いかに理屈を通しても相容れないものは相容れないものなのです。
今は世界の人々は平和のうちに平和が得られるよう真剣な努力を
しているのです。
われわれも、もうそろそろ大人になっていいころと思うのです。
仲良くするために殴り合いをするという振る舞いはもうやめて
平和な話合いにのうちに平和な繁栄の生活が得られるよう
おたがいに最善の考慮をはらいたいものです。
われわれの周囲には、日常こんな問題がたくさん存在しているのです。
💎ピンとくる!
人間の体の仕組みは、実に複雑でそして実に巧みにできています。
神のみがなし得ることかもしれませんが、
人工衛星の構造がいくら複雑と言っても、所詮
人体の神秘さにはかなわないはずです。
見方によっては、宇宙の広大さ、神秘さがそのまま人間の身体に
再現されていると言っても過言ではないと思うのです。
それほどに複雑でそれほどに大きいはずです。
にもかかわらず、足の先を針の先でちょっとつついても頭にすぐピンときます。隅々にまで神経がこまかく行き届いていて、
どんなところのどんな小さな変化でも間髪を入れずに頭に知らせます。
だから機敏にして適切な行動もとれるわけです。
人と人とが相よって作った組織。商店、会社、いろいろの団体。
一番大きいのが国家の組織です。
それらの末端をちょっとつついてもすぐにピンとくるかどうか。
間髪入れずの反応が示せるかどうか。
合理化、生産性の向上といっても、この間髪入れずの反応が示せる体制から
生まれてきています。ですから、本当の意味するところは、このピンにあるのです。おたがいにもう一度思いを巡らしたいものです。
会社も商店もそして一番肝心な国家についてもです。
💎おカネというものに対するフィーリング!
これ、「癖付け」が必要なことと思います。
それは、
①国の所有物であり自分の所有物ではないので
お返しする物というフィーリング。
②自分が仕事して受け取ったものだから!というフィーリングを持っては
行けないという事。これが最も肝心な事です。
自分の所有物ではないつまり一時預かり物というフィーリングを持つことです。
③自分の満足感、つまり
奴隷的欲求に使うものではない事の認識フィーリング。
つまり、ローンを組んでまで何かをするためにおカネをつかうということは、
無理をしているという事です。
満足感を満たすためという事なのでこれは決してすることではない事なのです。
④とにかくおカネは、自然欲求のために存在します。
生活のためです。ですからその生活のためも最低限に保つというフィーリングが肝要という事になります。
住まい:会社から至近距離での家賃暮らし。先々は持ち家生活へ!
通勤手段:徒歩&チャリ
つまりは、生活圏内での生活です。
つまりはこれからの生活が会社ではなく自分の好き、したいことで市町村を
選択しての生活圏内での生活パターンとなって行く時代と思っています。
インターネットの発展によるものではないでしょうか!
⑤おカネは国の所有物なので永遠に自分のものにはなりませんので
活用しきるものです。
ですから手持ちにあるおカネというのは最終的には国に返却すrというフィーリング、つまり社会に還元するというフィーリングを持つことが肝要なもの
つまりおカネというものではないでしょうか?
活用すべきものというフィーリングが必要と思っています。
これは学校では教わらないいちばん大切な事と思うのですが?
💎政治という仕事!
どんな仕事でも、それはみんなが共存してゆくためにあるもので
ひとつの仕事は他の仕事に繫がり、それがつながって世の中が動いて
いると思うのです。
だから自分の都合だけでその仕事を勝手に左右することは
みんなに迷惑をかけて道義的に許されるわけはありません。
自分の仕事は、自分のものであって同時に自分のものではないのです。
なかでも政治という仕事は、国民に直接のつながりを持っていて
その良否はたちまち国民の幸不幸を左右します。
それだけに政治という仕事は、もっとも尊ばれ、政治家はもっと優遇されて
よいと思うのです。
だが実際はどうでしょうか?
「大きくなったら何になりたい!」というアナウンサーの問いに対して、
一小学生が「僕は喧嘩が弱いから政治家にはなれない!」と無邪気に答えています。これどういう事でしょう!
政治という仕事が軽視されて政治家が尊敬を受けないような国が繁栄するわけがありません。
この責任は誰にあるのでしょう?
選んだ国民側にあるのか?選ばれた政治家の側にあるのでしょうか⁈
💎求めずして!
”苦しい時の神頼み”というけれど、おたがいに人間、
困って悩んでセッパつまれば、やはり思わず手を合わし、
神仏に祈りたいような気持になります。
「”どうかお頼み申します”どうかこの願いお聞きください”」と。
いろいろさまざまな願いを求めます。
神仏も大変だと思います。
人情としてこれもやむをえないとはいうものの、
それにしてもお互いにあまりに求めすぎてはいないでしょうか?
頼みすぎ、頼りすぎはしていないだろうか?
手を合わすという姿は、本当は神仏の前に己を正して、
自らの過ちをより少なくする事を心に期するためです。
いっさいのわだかまりを捨てて、清らかなこころに期すことを誓う事にあります。これは神仏に限ったことではありません。
日々の暮らしの中でも、あまりに他を頼み、他に求めすぎてはいないか
求めずして己を正す態度というものを今少し養ってみたいと思っています。
個人としても、団体としても、また国家としても、そこに人間としての
また国家としての真の自主独立の姿があると思っている次第です。
💎大衆への奉仕!
大衆は愚衆である。
だから、この愚かな大衆に意見を聞くよりは、
偉大なる一人の賢人が現れて、その独裁によって政治がおこなわれることが
もっとも望ましい!
かつて大昔、誰かがこんな考えを世に説いて、それが今日に至るも
なお一部には達見(たっけん)として尊ばれているのです。
確かに大衆には、こうした一面があったかもしれません。
そしてこういう考え方から、多くの誤った独裁政治、権力政治が生み出されて
不幸な大衆をさらに不幸に陥れてきたのです。
しかし、時代は日とともに進み、人もまた日とともに進歩しているのです。
今や大衆は、きわめて賢明であり、そしてまたきわめて公正でもあるのです。
この事実の認識を誤るものは、民主主義の真意を踏み外して、
民主政治の育成を阻害して自らの墓穴を掘り進むことになるのです。
今日、大衆はきわめて賢明できわめて公正です。
したがってこれを信頼してこれに基盤を置いて、この大衆に最大の奉仕をするところに、民主政治の真の使命があり、民主主義の真の精神がひそんでいると思うのです。国家繁栄の道もここから始まるはずです。
💎ダムの心得!
雨が降る、山に降る。
降った雨は、地にしみこみ、谷水となり、川となり、平野を潤して海に流れるのです。
この流れがうまくいけばよいけれど、ちょっと狂えば洪水となり
また反対に干ばつとなります。
流しっぱなし、使いっぱなしの結果です。
そこでダムを考える。
流しっぱなしをせき止めて、せき止めて貯めた水を有効に使う。
ゆとりをもって適時適切に放出する。人間の知恵の進歩と思うのです。
川にダムが必要なように暮らしにもダムが欲しいものです。
物心ともにダムが欲しいものです。
流れっぱなし、使いっぱなしの暮らしでは、まことに知恵のない話です。
大河は大河なりに、小川は小川なりに、それぞれに応じたダムができるように
人それぞれに、さまざまな知恵を働かせればさまざまなダムができるわけです。
個人の暮らしの上だけではありません。
商売の上にも事業の経営の上にもこのダムの心得が是非ほしいものです。
そしてさらに大事な事は、国家の運営にあたってもこのダムをぜひ作って
ほしいものです。
国家と国民の安定した真の繁栄のために!
💎現物(現実)から受け取る(身につく)学問術とは!
現物(現実)とは、生活&会社勤め!
身につく生活、仕事の技術とは、
人間そのもの&人間関係の悟りの境地&スキルというものでは!