💎心を定めてとは!
嵐が吹いて川があふれて町が流れて、
だからその町は、もうダメかといえば必ずしもそうではありません。
十年もたてば流れもせず傷つきもしなかった町よりも
かえってよけいにきれいによけいに繫栄していることがしばしばあります。
大きな犠牲で、大変な苦難ではあったけれど、その苦難に負けず
何とかせねばの思いにあふれて、
みんなが人一倍の知恵を絞り、人一倍の働きを積み重ねた結果が
流れた町と流れなかった町とのひらきを作り上げるのです。
一方はただ凡々。他方は懸命な思いをかけています。そのひらきなのです。
災難や苦難は、ないにこしたことはありません。
あわずに済めばまことに結構です。
何にもなくて順調でそれで万事が好都合にゆけばよいのですが
そうばかりもゆかないのがこの世の中であり、人の歩みです。
思わぬ時に思わぬ事が起こる。
だから、苦難がくればそれもよし、順調ならばさらによし
そんな思いで安易に流されず、凡に堕さず、いずれの時にも心を定めて
思いにあふれて、人一倍の知恵を絞り、人一倍の働きをつみ重ねて
ゆきたいものです。
💎心を通わすとは!
故人曰く、”人生はあざなえる縄の如し”
まことにこの世の中、長い人の歩みの中には、
よいこともあればわるいこともあります。
うれしいこともあれば悲しいこともあります。
そして、よいとおもったことが実はわるくて、
わるいと思ったことが実はよくて
つまりはあれこれと思いまどう事は何もなくて
はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかったと
ひとの知恵の浅はかさに、いまさらのように胸うたれることがしばしばあります。
はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ
また、徹底的によいという事もないのです。
それでもなお人は、わるいとおもうときには自分で自分の心を閉ざし、
よいと思うときには、また、おごりの心で人をへだてます。
心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは、
おたがいに協力も助け合いも生まれてきません。
心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるはずです。
有為転変(ういてんぺん)のこの世の中、
よい時にもわるい時にも、いかなる時にも
素直に謙虚に、お互いに心を通わせ、思いを相通じて
協力しあってゆきたいものです。
💎心の鏡とは!
自分の身なりを正すためには、人はまず鏡の前に立つ。
鏡は正直です。
ありのままの姿を、ありのままにそこに映し出します。
自分のネクタイは曲がっていないと、がんこに言い張る人でも
鏡の前に立てば、その曲直(きょくちょく)は一目瞭然です。
だから人はその過ちをみとめ、これを直します。
身なりは鏡で正せるとしても、心のゆがみまでは映しはしません。
だから、人はとかく、自分の考えや振る舞いの誤りが自覚しにくいのです。
心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでですが
けれど求める心、謙虚な心さえあれば心の鏡は随所にあります。
自分の周囲にあるもの、いる人、これすべてわが心の反映です。
わが心の鏡です。
すべての物がわが心を映し、
すべての人がわが心に繋がっているのです。
古(いにしえ)の聖賢(せいけん)は
「まず自分の目から梁(はり)をとりのけよ」と教えています。
もうすこし周囲をよく見たい。
もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい。
この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として
自分の考え、自分のふるまいの正邪(せいじゃ)が
そこにありのままに映しだされてくるはずです。
💎世の中のすべてのことは「常ならず」つまり、
常に変化することが当たり前なので、まずは、
その変化(無常)を深く受け入れる心とは!
人間というのは自分にふりかかる変化を嫌って変化(無常)に
逆らおうとします。
どんなに頑張っても変化(無常)には勝てないようになっているのです。
ですから、まずは変化(無常)をとにかく受け入れることです。
そして、「さてどうするか?」と考えてシンプルに答えを出して行動することです。
逆らってジタバタもがくよりも、変化(無常)の流れに身を任せることに
エネルギーを使うべきです。
気持ちも楽になるし、人生も必ずいい方向に向かうからです。
この考え方をよりよく生きるためのキーワードにしてみてはどうでしょう!
💎「敬(うやまう)心」とは!
学校の先生を軽んじ、師と仰ぐ気持ちがなかったら
先生も教える張り合いがないし、生徒も学びが身につかない。
社会にとっても大きな損失です。
やはり、聖職の師として先生を敬い、謙虚に師事する姿から、
一言一句が身につき成長します。
親を大事にして、上司に敬意をはらう。
しかし、これやはり親次第、上司次第だと思います。
私も親ですけど!
先輩に礼をつくし、師匠に懸命に仕える。
親や師に対するだけではない。
よき仕事をする人を心から尊敬し、一隅(いちぐう)を照らす人にも頭を下げる。
天地自然この世の中、敬う心があれば、敬うに値するものは無数にあるのです。
犬や猫には敬う心の働きはありません。
だが人間には、ものみな、人みなのなかに敬うべき価値を見出す能力が
与えられています。
その本質を生かしつつ、敬うべきものを敬うことによって自他ともに
心を豊かにして、高めることのできるのは人間だけではないでしょうか。
その人間の特性を素直に生かしたいものです。
敬う心を高めて、お互いの豊かさをはかりたいものです。
💎「辛抱する心」とは!
どんな人がいい人で、どんな人が悪い人か
それは一概には言えないけれども、国の法を犯す人はもちろんのこと
おたがいによくない人だと思う人々は、
浜の真砂のつきざる如く、昔も今もいっこうになくなりはしないのです。
万物すべてかくの如し。
真善美を求めるのは、人みなの思いだが、
どんなに求めても、美ならざるもの、正ならざるものはやはり
なくなりはしません。
それはいつの世にも美なるものと相交わって存在し、
美醜取り混ぜて、それでこの自然がなりたっているのです。
この世の中が動いているのです。
だからこそ、お互いに辛抱ということが大事なのです。
寛容の精神が大事なのです。
いい人もいるけれども、よくないと思う人もなかなかなくなりません。
それが世の中というものであるならば、
辛抱と寛容の心がなかったら、いたずらに心が暗くなるばかりで
この世の住みにくさを嘆くだけになると....!
人と人が相よって、毎日の暮らしを営み、毎日の働きをすすめているのです。
いい人ばかりではありません。いろんな人がいるのです。自分を含めて!
だからおたがいに、いますこし「辛抱と寛容の心」を養いたいものです。
💎「敵に教えられる心」とは!
己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は、
万事正しくないことになります。
己が正義で相手は不正義なのです。いわば敵とみなすのです。
だから憎くなるのです。
倒したくなるのです。
絶滅したくなるのです。
人間の情として、これもまたやむをえないかもしれないけれど
われわれは、わがさまたげとばかり思い込んでいるその相手からも
実はいろいろの益を得ているのです。
※相手がこうするから、自分はこうしよう
こうやってくるなら、こう対抗しようと
あれこれ知恵を絞って考えます。
そして次第に進歩するのです。
自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのです。
相手の刺激で、わが知恵を絞っているのです。
(人のふり見てわがふり直せ!)という事です。
結果は、敵に教えられているという結果になるということです。※
倒すだけが能ではありません。
敵がなければ教えもありません。したがって進歩もありません。
だからむしろその対立は、対立のままに認めて
たがいに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいものです。
つまり対立しつつも調和する道を求めるという事です。
それが自然の理というものです。共存の理というものです。
そしてそれが繁栄の理なのです。
💎困っても困らない、”ピンチはチャンス”という心とは!
広い世間です。長い人生です。
その世間、その人生には、
困難な事、難儀な事、苦しいこと、辛いこと、などいろいろとあります。
程度の差こそあれ誰にもあるのです。自分だけではないのです。
そんな時にどう考えるのか?どう処置をするのか?
それによってその人の幸不幸、飛躍か後退かが決まると言えます。
”困ったことだ、どうしよう、どうしようもない”
そう考えだせば、心が次第に狭くなりせっかくの出る知恵も出なくなります。
今まで楽々と考えていたことも
それがなかなか思いつかなくなってくるのです。
とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、
不満で心が暗くなり不平でわが身を傷つけることになるのです。”
断じて行えば鬼神でもこれを避けると言います。
困難を困難とせずに、思いを新たに、決意をかたく歩めば、
困難がかえって飛躍の土台となるのです。
要は考え方次第なのです。決意なのです。
つまりは、困っても困らないという感覚です。
人間の心というものは、
孫悟空の如意棒のようにまことに伸縮自在なのです。
その自在な心で、困難な時にこそ、かえって自らの夢を
開拓するという力強い道を歩みたいものです。
💎「心配またよし」の心とは!
何の心配のなく、何の憂い(うれい=悩み)もなく、何の恐れもないということになれば
この世の中は、まことに安泰、きわめて結構なことですが
実際はそうはいきません。
人生常に何かの心配があり、憂いがあり、恐れがあります。
しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命に
そしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得ていくというところに
人間としての大きな生きがいを覚え、
人生の深い味わいを感じ取るという事が大事なことなのです。
この心構えがなければ、この世の中はまことに呪わしく、
人生は、ただいたずらに暗黒ということになってしまいます。
憂事に直面しても、これを恐れてはなりません。
しりごみしてはなりません。
”心配またよし”です。
心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないでしょうか。
そう思い直して、正々堂々とこれに取り組む。
力を絞る。知恵を絞る。
するとそこから必ず思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのです。
新しい道が開けてくるのです。
まことに不思議な事ですが、この不思議さがあればこそ
人の世の味わいは、限りもなく深いといえると思います。
💎「忍耐の徳」とは!
何事においても辛抱強さというものが大事ですが、
近頃は、どうもこの忍耐の美徳というものがおろそかにされがちで
ちょとした困難にもすぐ参って悲鳴をあげがちです。
そして、事志と違った時には、それをこらえてさらに精進し、
さらに力を蓄えるという気迫がまるで乏しくなり
そのことの責任は、すべて他にありとして、もっぱら
人をののしり、社会を責めます。
これはたとえば、商売で品物が売れないのは、すべて世間が
悪いからだというのと同じことで
これでは世間は誰も相手にしてくれないはずです。
買うに足る品物であり、買って気持ちのいいサービスでなければ
人は誰も買わないのです。
だから売れなければまず自らを反省し
じっと辛抱をしてさらに精進努力を続け、
人々に喜んで買っていただけるだけの実力というものを
養わなければならないのです。
車の心棒が弱ければ、すぐに折れてガタガタになります。
人間も辛抱がなければすぐに悲鳴を上げてグラグラになります。
おたがいに忍耐を一つの美徳として、
心棒強い働きを続けてゆきたいものです。
💎「勤勉の徳」とは!
天災地変を待つまでもなく
粒粒辛苦の巨万の富も、事あらば一朝にして失われてしまうことがしばしば
あります。
形あるものはいつかは滅びるにしても、まことにはかない姿であるといえると
思います。
だがしかし、身についた技とか習性とかは、
これは生ある限り失われません。
たよりになるのは、やはり自分の身についた技、身についた習性です。
だから、何か一つでもいいから、よき技、よき習性を身につけたいものですが
なかでもいわゆる「勤勉の習性」は、なんにもまして尊いものに思われます。
勤勉は、喜びを生み、信用を生み、そして富を生みます。
人間のいわば一つの大事な徳です。
徳である限り、これを積むには、普段の努力が必要です。
勤勉の習性を身につけるためには、
まず日々を勤勉に勤める努力が必要です。
その努力が重なって勤勉の習性が身につき、
その習性からはじめて徳が生まれてくるのです。
おたがいに勤勉の徳を積みたいものです。
💎決断が必要と感じた時は!
まず、「カンを働かすこと!」です。
剣を持って相向かう。
緊張した一瞬、白刃がキラめいて、
打ち込む、はねる、とびすさる、目にも止まらぬ早業です。
そこには理屈はありません。
相手の刃が右手から来た、だからこれを右にはね返そうなどと
ひとつひとつ考えて打ち合っているのではありません。
目に見えぬ気配から、からだ全体にひらめく一瞬のカンで
とっさの動きが決まって行きます。
しかもそれは、理屈で考えた以上の正確さ、適確さを持っているのです。
カンというと、
一般的には、何となく非科学的で曖昧なもののように思われるけれども
修練に修練を積み重ねたところから生まれるカンというものは
科学でも及ばぬほどの正確性、適確性を持っているのです。
そこに人間の修練の尊さがあるのです。
世に言われる科学的な発明発見の多くのものは、
科学者の長年の修練によるすぐれたカンに基づいて
そのカンを原理づけ実用化するところから生み出されています。
つまり、科学とカンとは、本来決して相反しないものなのです。
要は修練です。練磨です。
カンを働かすことをもっと大事にして、さらに修練をつみ重ねたいものです。
次に「判断と実行!」というものです。
どんな仕事でも、仕事をやるからには、判断が先に立ちます。
判断を誤れば、せっかくの労も実を結ばないことになります。
しかし、おたがいに神様ではないのですから、
先の先まで見通して隅から隅まで見極めて
万が一にも誤りのない100%正しい判断なんてまずできるものでは
ありません。
できればそれに越したことはないけれど、100%は望めません。
それは神様だけがなし得ることです。
おたがい人間としては、せいぜい60%というところだと思います。
60%の見通しと確信ができたならば、その判断は、おおむね
妥当と見るべきでしょう。
その後は勇気です。実行力です。
いかに的確な判断をしても、
それを成し遂げる勇気と実行力とがなかったなら
その判断は、何の意味も持たないのです。
勇気と実行力とが60%の判断で100%の確実な成果を生み出してゆくのです。
60%でもよいから、おたがいに、謙虚に真剣に判断をして、
それを100%にする果断な勇気と実行力とを持ち続けてゆきたいものです。
💎すべての経験を糧にする心とは!
人生はいいことばかりではありません。
山あり谷ありです。マジに!
経験中は、いまこの時にしかない経験をさせてもらっている、
その経験自体には、いいも悪いもない。ということです。
今後の行動・努力次第でなんだっていいことになるのです。
実際にその時はつらく、苦しくてもです。
すべての経験が必ずのちの人生において成長の糧になります。
楽な気持ちで何事にも向かっていけるはずです!
💎自分自身を人生の先輩と感じたら~!
まずは、「教えなければ!」
人間は、偉いものです。たいしたものです。
動物ではとてもできないことを考え出して、思想も生み出せば物も作ります。
まさに万物も王者です。
しかしその偉い人間も、生まれおちたままに放っておいて
人間としての何の導きも与えなかったならば、
やっぱり野獣に等しい暮らししかできないかもしれません。
古来、どんなに優れた賢者でも、
その幼いころには、やはり父母や先輩の教えを受け、導きを受けてきました。
その上に立っての賢者であって、
これらの教え導きがなかったら、せっかくの賢者の素質も泥に埋もれたままで
あったはずです。
教えずしては、何ものも生まれてはこないのです。
教えるという事は、後輩に対する先輩の、人間としての大事な勤めであると
同時に教える側も教えるとなると真摯に勉強も必要となるはずです。
そして、それが自分の為ともなるのです。
その大事な勤めをお互いに毅然とした態度で、
人間としての深い愛情と熱意をもって果たしているかどうか?
教えることに、もっと熱意を持ちたいものです。
そして、教えられることにもっと謙虚でありたいものです。
教えずしては、何ものも生まれてこないのですから....!
💎もう一人の自分に気づいて力強い味方にすることです!
人間というのは、「こんなことをしちゃいけないな」と頭では
わかっていてもついいけないことをしてしまう生き物なのです。
つい、保身に走ってしまうとか!
そんなときは、行動する前に一呼吸して、
「もう一人の自分」と対話して見て下さい。
必ずやブレーキをかけてくれます。
人付き合いの中でもっとも大事にすべきは「もう一人の自分」であることを
心に刻みましょう。
そうして「もう一人の自分」を味方につければ、
迷いも悩みも消えて、すがすがしい気持ちで人生を歩んでいけるのです。
ちなみに、もう一人の自分を磨き上げるには、
「経験&読書&ことわざの内容の把握」の活用です。
💎将来への心配&不安が強くなったら!
「心配事」の場合、
仕事でも日常でも「先を読む」ことが必要な場合が多々あります。
その時のポイントは、
「先を読む目的は心配することではなく今の行動を決めること」と、
自分で自分を得心させることにあります。
「こうなったら大変だから今これをやっておく」
「こう物事が動いていくのが望ましいから今これをやっておく」
というふうに、
とにかく今にひきつけることで、心から心配を追い出したしまうのです。
そんなふうに”心配の種”をつぶしていくと「なるようになるさ」という
気持ちになります。
やるだけのことをやったという安心感を持って、
先がどうなろうとそれを迎え入れることができるようになるのです。
もちろん思い通りに事が運ばないこともありますが
うまくいかなくてもともと。
先の事をいま心配してもしょうがないので
「先の事は先の事、その時に考えればいい」くらいの気持ちでいるのが
ちょうどいいかと思います。
次に「不安」というものですが、
これ、目の前に出すことはできないはずです。
つまりは実体のないものだからです。
「起こっていないこと」に対して、
自分の心が勝手に作り出したものに過ぎないのです。
そこに気づくと不安がることが馬鹿らしくなるはずです。
ということは、
「今起こっている目先のことだけを考え対処すればいい」ということに
なるはずです。
💎いつも笑顔(ニヤッと💜)の心でいるとは!
笑顔(ニヤッと)を作ると不思議と頭の中がいい意味で空っぽになり
上機嫌へとつながり、心が妙に軽く感じるようになるのです。マジ!にです。
難しいかもしれませんが笑顔(ニヤッと)作りはやりがいがあると思います。
心の状態が落ち着き、穏やかな表情にもなります。
妄想とかも起こらないし、とにかく軽く爽やかな状態へ!
そして、心がまっさらな状態になって
何でも来いというフィーリングにもなります。
怒るという事に関しても
感情的にならず冷静に怒れるし、最後には笑顔(ニヤッと)でしめくくりにもなります。
笑顔(ニヤッと)の極めつけは、周りに”人の花”が咲くことです。
💎正しい「失敗と思えることの忘れ方」とは!
過去はどんなに悔やんでもやり直しはききません。
過去の自分をコントロールするのは不可能です。
しかし、過去を忘れてしまえばいい、捨ててしまえばいいという
単純なものでもないのです。
故に、正しい忘れ方、捨て方があるのです。
それが「一日を振り返る時間を持つ」ということです。
皆さん毎日、何かしら「失敗したなあ」と思う事があるのではないでしょうか。
おそらく「何もかもうまくいった」なんて日は皆無と思います。
その大なり小なりの失敗を流さずに、あるいは、
「あーイヤな一日だった」というようなマイナス方向でのおおざっぱな
捉え方をして落ち込まず、いつまでもくよくよせずに、
”原因だけをつかんでおく”のです。
そうすれば次に同じようなことに出くわしても失敗しないですむ事になるからです。つまり、今の自分をコントロールできるということです。
短い時間でいいので、
「あの発言はまずかった。相手の気持ちを思いやらなくちゃ!」
「あの失敗はチェックの甘さが原因だな!」とか
一日を振り返ってみてください。
これを積み重ねていけば、人生は決して悪い方向にはいかないものです。
💎人間にとって不幸と思えることは、あって当たり前のことなのですから!
山の頂上から望む景色は素晴らしいものです。
しかし、その素晴らしい景色も毎日見ていたら当たり前になります。
感動が得られません。
では、谷から”よいしょよいしょ”と長い苦労をして登ってきたら
どうでしょうか?
眼前に広がる景色に感動して、心は大きな幸福感で満たされるはずです。
つまりは、不幸と思える苦労があるからこそ、幸福の度合いが増すのです。
いいかえれば、不幸も幸もあるから人生は豊かになるという事なのです。
幸せな日々が長く続く人生というものはあり得ません。
あったとしても幸せが日常になるので幸福感を得ることができないのです。
難しいと思えるかもしれませんが、
不幸と思えることがあって、苦労続きの日々が続いても
そうなってしまったものはしょうがないと思う事です。
これもめぐりあわせと考え、斜めに構えず、よけようとせずに正面から
受け止めるべきです。
”そのうえで自分のできることを地道にコツコツやるのです。”
そうすることで不幸を成長の糧にできるし、
やがて不幸と思えることが幸に転じるという結果になるという事です。
💎絶対に自分を嫌わない心とは!
誰でも「自己嫌悪」に陥ることはあります。
そんな時はどうしてそうなったのかを考えるべきです。
他人とか世間体とかと比べて何か自分は下だと思っているのではないでしょうか?
こんなことは、無意味も無意味な事なのです。
比較をしてしまうところに問題ありなのです。
比較を取りやめましょう!
人の言うことを気にしないように心を養いましょう!
たとえうまくいかないことがあってもそれによって自分自身の価値が
上がったり下がったりすることは絶対にありません。
そこには「あるがままの自分」がいるだけなのですから....!
そもそも自分で自分を嫌ってどうするのですか⁈
これほどみじめな事はありません。
だって、自分を一番好きになってあげられるのは、
自分自身なのですから.....!💜