他者に何かを「私が気が付かせ(導か)なければならない」わけじゃない。

記事
コラム
自らが思うそれが頂ならば、答え合わせをする他者は不要である。

己は自分で承認される。


***

私が私を必要とした時。
私にできないことが見えてくる。

自他の境界。


私は米を作るための田んぼは持っていません。
買います。
ヒーラーやカウンセラーと言った「他者の“心に寄り添う”を掲げて金を貰うことだけが人助けなのだ」と“他の仕事をさげすむように(下に見て)”その仕事に就くことや資格を得ることを選んだのであれば。
2025/10/08
https://coconala.com/blogs/2997019/646776

それは「上手くいかない」ほうが、いいと思いますよ。

***

農家があるから、私たちは米や野菜を自分で作らないといけない。と言うことはありません。
物がない・手に入りにくいことはあれど、手に入らないから、自分で作らなくては、と、そこまでの心配はしません。

...

大工さんから、電気の配線、水道管と言った工事をしてくれる人がいるから。
基本的には、私たちは明日も。
家の中で、スイッチを入れれば明かりが付き、水道をひねれば水は流れ、使い終わった汚れた水だって排水されて行きます。

ゴミだって、回収の人達が溜まり込んで異臭を放つ前に持って行ってくれます。

***

私たちは生活において、世の中の一員として。
どれだけ安心を得て、それにおいて時間を自らの癒しやリフレッシュに使えることでしょうか。

外でどれだけ働いてきても、受け入れてくれる場所。
(あ、まぁ。労働条件として何かおかしい。と言うのは振り返りましょう)

だけど彼らは、殊更に「安心」や「癒し」を掲げて、それを誇っているのでしょうか?
殊更に「人助け」を掲げている・掲げられる職業でしょうか。
彼らは殊更に、その仕事で“誰かに役立つ己(心に寄り添う)”を掲げることを必要としていますか?


でも。
目の前にゴミが溜まっていったら、不愉快ですよね。
やっぱり、整った環境で生きて行きたいですよね。

日々、明日の食べるものに困っても困ります。

その心に、じゃぁ。
彼らは寄り添っていないんですか?

循環とは。



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら