それは「上手くいかない」ほうが、いいと思いますよ。
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農家があるから、私たちは米や野菜を自分で作らないといけない。と言うことはありません。
物がない・手に入りにくいことはあれど、手に入らないから、自分で作らなくては、と、そこまでの心配はしません。
パン屋さんがあるから、美味しいパンを買えます。
もちろん、自分で作ってもいいです。
でも、その作る時間をもっと自由に使えます。
趣味だって、生活を整えることにだって。
洋服を売っているから。
熱さ、寒さに対応して着替えられます。
お金をどこまでかけるかは自分次第ですが、自らを表現することだってできます。
大工さんから、電気の配線、水道管と言った工事をしてくれる人がいるから。
基本的には、私たちは明日も。
家の中で、スイッチを入れれば明かりが付き、水道をひねれば水は流れ、使い終わった汚れた水だって排水されて行きます。
ゴミだって、回収の人達が溜まり込んで異臭を放つ前に持って行ってくれます。
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私たちは生活において、世の中の一員として。
どれだけ安心を得て、それにおいて時間を自らの癒しやリフレッシュに使えることでしょうか。
外でどれだけ働いてきても、受け入れてくれる場所。
(あ、まぁ。労働条件として何かおかしい。と言うのは振り返りましょう)
だけど彼らは、殊更に「安心」や「癒し」を掲げて、それを誇っているのでしょうか?
殊更に「人助け」を掲げている・掲げられる職業でしょうか。
彼らは殊更に、その仕事で“誰かに役立つ己(心に寄り添う)”を掲げることを必要としていますか?
でも。
目の前にゴミが溜まっていったら、不愉快ですよね。
やっぱり、整った環境で生きて行きたいですよね。
日々、明日の食べるものに困っても困ります。
その心に、じゃぁ。
彼らは寄り添っていないんですか?
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ただ。
目の前を粛々と。淡々と。
例え誰にも。
「言葉で感謝」されなくても。
(まぁ仕事ですからね、報酬は得ていますけどね)
あなたは、
彼らに助けられていないんですか?
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「職業に貴賎なし」とは言いますが。
殊更に「癒しや安心を掲げられる」から。
癒しや安心を訴えている方が、己の株が上がる・見栄えや聞こえがいいからと。
また。
ヒーラーや、カウンセラーと言った何か「心理」に関わることだけが人助けなのだ。と。
“他の仕事をさげすむように(下に見て)”その仕事に就くことや資格を得ることを選んだのであれば。
それは。
「上手くいかない」ほうが、いいと思いますよ。
人として。
心はどこにあるのだろうか。