本来はそれと向き合わないといけない。
好き嫌いの問題じゃなく、
事実として存在する。消すことはできない。
とそう言ったレベルで。
ずっと違和感を無視し続けた。とか。
向き合いたくない、やりたくない。とか。
何かあった時でいい。とか。
本当なら消してしまいたい。とか。
止めないとけなかったものをやめなかった。
自らがそこを去らないといけなかったのにい続けた。
共存をするなら歩み寄る必要があったのにしなかった。
で、現実に無視できないレベルで何かが起こる。
それを、私にはこんな経験があります。
宇宙のお知らせがきました。と、それでいいのか?
それで手遅れになることだってあるのです。
だから、手遅れになる前に、共感します。とか、話を聞かせて下さい。とか言ってを何かを売りにしているんじゃないのかと。
本当は向き合いたいそれと先に向き合えば、確かに、海が割れてお告げが聞ける。とか。九死に一生を得る。とか。そう言うことはないと思いますよ。
まぁ、多少の不思議エピソードはあると思います。そう言うのを共有するのは面白いです。
でも、本来だったら、己から動いてそれの解決に向かってもよかったはずですよね?
だって「事実として存在する」「何かの違和感」それは消せていないからです。
だからこそ、心にあるのです。
だからこそ、何かあった時はせざるを得ないのです。
じゃぁ、その“何か”を待っていればいいんですか?
その“何か”で、本当にそれは解決されたんですか?
いや、待ちたくなる気持ちはわかります。ひとまずの現状維持でいいとは思わないけど、余計なことはしたくないのです。
悪化することしか考えられないからです。
また、1人では向き合いきれないこともあります。
だからそれはタイミングでもあるのです。
逆に己がやりすぎている場合もあります。
そう言う時は気が付けないかもしれません。
相手の拒絶に。
だからこそいよいよになって縁が切れるのかもしれません。
もちろん、心が麻痺して、自分では気がついていないことだってあります。
そう言う時はもうしかたありません。
何かが起きます。
手遅れになる前に。
でも、心のどこかでそれを知っているのなら。
先回りしておいたっていいのです。
そうしたら海は割れないかもしれません。
特別に、誰かに語れるようなエピソードも何もないかもしれません。
だって、問題にはならないからです。
終わっても、誰かに語れるようなものは、何もありません。
だから、どっちなんですか?
どっちがしたいんですか?
あなたは手遅れになる前に人を救いたいんですよね?
いや「過去にそう言うことがあったから、今がある」わかります。
そこからはじまることだってあります。
でも、「今」自分は現実に目に見える形で何かが起こるまで行動できないのであれば。
心残りを無視し続けるのであれば。
己の違和感に気が付けないのであれば。
向き合いたくない物と向き合えないのであれば。
心の声を無視し続けて、
己の未来を先取りできないのであれば。
それで人は救えるんですか?