ポジティブかネガティブか、と言う条件付けが存在するの?
無条件の愛なのに?
いや、ブラック企業で今にも死にそう。とか、暴力を振るわれているとかは別です。ここには精神的な苦痛に苛まれているとかも含まれます。
そう言う生きるか死ぬかに直結する現実的なお話は除きます。
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私にはよくわからないことがあります。
「愛は無条件」「無条件の愛」と言った次の行で、
「ネガティブから離れましょう」とか書いてあると、(‥ )ン?……( ‥)ン?
となってしまうのですが……。
確かに、気分が悪くなるところに行く必要はありませんし、自分が暗くなるとわかっている相手のブログを読みに行く必要はありません。
でも、自らの目の前にネガティブな出来事が起きた時、考えませんか?
最初に断っておけばよかった。あの時こうしておけば。と。
だから相手と会わないように避けよう。とか。
角を立たせないようにしよう。とか。
次は断ろう。とか。
断ったのに伝わらなかった。とか。
自分が我慢すればいいと嫌だけどあきらめた。とか。
自分の勝手な思い込みだった。とか。
相手に何かを期待していた。とか。
いろいろあると思います。
次は最初に断れますか?
最初からこうしておけば、ができますか?
そうしたら次はネガティブにはならなくて済むかもしれません。
そして、相手を変えようとしなければ、相手も私が変わらないと知って去っていきます。
私はそうなりました。
最初からできていた訳じゃありません。
最近そうなったな。と、感じることが多いのです。
話を戻します。
最近ではネガティブだと自分が感じていた出来事とはあまり遭遇しなくなったり、遭遇しても自分で長引かせないようにできます。
自らに不愉快な出来事があまり起こらないのです。
それは私が、はじめから断っておけばよかった。とか、こうしておけばよかった。とあとで感じることに対して、最初から断っておいたり、対応しているからです。
その時のネガティブを繰り返さないように考えたからです。
そうなれば、私は、そこにいるままでいいのです。
何かを変えようと躍起になる必要はありません。
どこかに逃げる必要もありません。
だから、「ただネガティブから離れろ」と言う説明だと、何を言っているのか疑問に思います。
だって、愛は無条件と掲げているのです。
それなのにネガティブとポジティブと言う条件を持ち出してくるのです。
意味が分かりません。
ネガティブからわざわざ離れなくても、自分がネガティブになるようなことが起こらないほうが私はいいです。
そして、ツインレイやスピリチュアルで調べるとほんとーに「無条件の愛」「愛は無条件」と掲げている何かを見ることが多いです。
それを見なければいいと言うのも手だと思います。
でも、私は自分が何を疑問に思っているのか、どうして不愉快に思うかを突き詰めていって、この記事を書いているのです。
そう言う意味で使うのであれば、愛は無条件に受け取れます。
自分側で内容が「ポジティブ⇔ネガティブ」「いる⇔いらない」と判断できます。
ネガティブに受け取って、「なぜ私は不愉快に思うのか?」を突き詰めていくこともできます。
ポジティブに、そこから離れていいと言われたと感じることもできます。
「愛は無条件」「無条件の愛」
条件を課しているのは己ではありませんか?
ちょっと、落ち着きました。
今後は、その言葉をそのように説明しているのを見てもイライラしなくて済みそうです。
まぁ、目にしないのが一番かもしれませんね。←
もちろん、私に嫌なことが何も起こらない訳じゃないです。
はじめてのパターンや、自分が変わった部分もあります。
私には知らないことやわからないことがまだまだいっぱいあります。
新しい何かに出会って、考えが変わることもあります。
たくさんの存在に支えられていることも、知りました。
私は私であって、すべてでもある。
私は、失われないのだと知りました。
まぁ、私はまだまだ道半ばです。
これからも何か起こり続けると思います。
そして、私は本気で気に入らないと思ったり、乏しめられたと感じたら断固戦います。
「手放しましょう」と言う言葉が嫌いでツインレイの7つのステージを否定するに至ったり、女性は楽園のイブの罪を反省しろと言う話から考えて楽園は地獄だと結論付けたりまぁいろいろです。
あんまり相手をコテンパンにするのは趣味ではないのですが、内容によるようです。
相手の逃げ道を封じるような真似はしないように心がけています。
相手の事情はわかりません。言い分だってあると思います。
それぞれの学びも、歩む道も違うのです。だから相手の考えのすべてに共感しないことは、ある意味では相手の存在を認めているのかもしれません。
私は誰かのコピーにはなりたくありません。
自分だけの未知を行く。
だから貴方は、本当にスパルタなのです。←