私は「死ぬこと以外かすり傷」という言葉が、どうしても好きになれない

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コラム
「死ぬこと以外かすり傷だ」――
この言葉を聞くたびに、胸の奥がざらりとします。
誰かが私に向けて言っていなくても、SNSで流れてきただけでも、どこか心が乱れます。

世の中には、この言葉を励ましとして受け取れる人がたくさんいます。
困難に向かう勇気をくれる言葉として、大切にしている人もいるでしょう。

でも、私はこの言葉がどうしても好きになれません。

❇️「死ななければ何とかなる」なんて、到底思えない

私は、繊細な性質を持っています。
気持ちが揺れやすく、心の疲れが体に出るタイプで、精神的な不調を抱えていた時期もあります。

そんな私にとって、
「死ななければ何とかなるよ」
と言われると、まるで私の感じている痛みや苦しさを軽く扱われたように思えてしまうのです。

だって、死ななくても、死ぬほど辛いことは実際にあるのですから。

呼吸がうまくできないほど不安になったり、
朝、身体が重くて起き上がれなかったり、
気力がすべて失われて、涙さえも枯れてしまった日だってある。

そういう苦しさは、生きているからこそ味わってしまう痛みです。
「死なないなら大丈夫」という言葉では到底片付けられないほどの現実を、私は知っています。

❇️死んだほうが楽だと思ってしまう苦しさを知らないから言える言葉

「死ぬこと以外かすり傷」。
この言葉は、きっと“健常な日常”を生きている人なら言えるのだと思います。

確かに、元気なときなら、どんな失敗も「またやり直せる」と思える。
転んでも、傷ついても、未来への希望があるから前を向ける。

でも、心が限界に近い状態にある人は違います。

夜が怖くて眠れない。
朝が来るのが怖い。
人と話すのが怖い。
外に出るのが怖い。

そんな“日常の恐怖”を積み重ねているとき、
「死んだほうがマシ」と考えてしまう瞬間さえあるのです。

私は、その気持ちを理解できます。
かつて、そういう底のような場所に落ちたことがあるからです。

だからこそ、
「死ぬこと以外はかすり傷」なんて言葉は、無責任に聞こえてしまう。

その痛みを経験していない人だからこそ、言えてしまう言葉なのだと感じます。

❇️私の痛みは“かすり傷”ではなかった

私がこの言葉に反発してしまう一番の理由は、
私が味わってきた痛みが“かすり傷”なんかではなかったからです。

人から見れば「そんなことで悩む?」という出来事も、
私にとっては心が切り裂かれるほどの重みがありました。

小さな一言に深く傷ついたり、
環境の変化に適応できなくて消えてしまいたくなったり、
ほんの少しの圧が心を壊してしまったり。

それを何度も経験してきた自分に、
「かすり傷でしょ?」と言われるのは、あまりに乱暴です。

私の傷は、誰に見えなくても確かに痛かった。
時間をかけてやっと治ったものもあれば、今も跡として残っているものもあります。

だからこそ、
「死ななきゃいい」という基準では、私の痛みは測れません。

❇️私にとって必要なのは“励まし”ではなく“理解”

私は励ましの言葉そのものが嫌いなわけではありません。
気持ちに寄り添ってくれる言葉や、弱っているときにそっと手を差し伸べるような優しさは、何度も私を救ってくれました。

でも、
「死ぬこと以外かすり傷だ」という言葉には、
“相手の状態を見ない励まし”を感じてしまいます。

まるで、溺れている人の頭に「頑張れば浮けるよ」と言っているような感覚。
状況を無視して励ますことが、逆に心を追い詰めることがあるのです。

私が本当に必要としているのは、
「辛いよね」「痛いよね」「無理しなくていいよ」
そんな風に、私の痛みをそのまま認めてくれる言葉です。

励ましよりも、理解のほうが、ずっと私を支えてくれるのです。

❇️最後に:私はこの言葉に救われない


もしかしたら、この言葉に救われる人もいるでしょう。
前に進む力をもらえる人も、挑戦する勇気を与えられる人もいるかもしれません。

でも、少なくとも 私はこの言葉に救われません。

そして、それでいいのだとも思っています。

言葉には相性があり、受け取り方があり、心のコンディションがあります。

私は、
「死ぬこと以外かすり傷」という冷たい強さよりも、
「生きてるだけでしんどい時もあるよね」という優しさに支えられて生きたい。

痛みを軽く扱う言葉より、
痛みを痛みとして尊重してくれる言葉を、大切にしたい。

そのほうが、私の心はちゃんと前を向いてくれるからです。



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