ときに、その影響は「認知の歪み」として表れることがあります。
たとえば、「太っている」「痩せている」といった体型に対する評価基準が、人によって極端に異なるのはその一例です。
私は子どもの頃、十分に食べ物を与えられない環境で育ち、体重はわずか30キロしかありませんでした。
そのため、「痩せている状態」が私にとっての「普通」であり、それ以外の体型はどこか違和感を覚えるものでした。
この認知は私自身の基準であり、必ずしも他者の基準とは一致しません。
それでも、育った環境が根付いた価値観は無意識のうちに他者を評価する軸となり得るのです。
しかし、私は大人になる前に、それが一般的ではないことに気が付きました。
最近、妹がPerfumeののっちについて「太っている」と言う場面がありました。
のっちは、ステージ上で引き締まった体型とキレのあるダンスを見せるアーティストです。
それなのに、なぜ「太っている」と感じるのでしょうか。
その理由を考えたとき、妹の発言は幼少期の経験に基づく認知の歪みである可能性があると気づきました。
私たち姉妹は、幼い頃からガリガリに痩せている状態が当たり前でした。
そのため、標準的な体型や引き締まった体型さえも「太っている」と感じてしまう認知が、無意識のうちに形成されていたのかもしれません。
過去の経験は私たちの物事の見方を大きく左右しますが、それが一種の「歪み」として他者への評価に影響を及ぼしているとしたら、自分の認識を見直す必要があるのではないでしょうか。
認知の歪みが生まれる背景には、過去の価値観だけでなく、外部からの影響もあります。
たとえば、メディアが提示する「美」の基準や、周囲の人々からの言葉もその一因となります。
しかし、それが本当に正しい基準かどうかは誰も証明できません。
私たちにできることは、自分自身の価値観が過去の経験や環境からどのように形作られているかを振り返り、柔軟な視点を持つ努力をすることです。
妹に対して「のっちは太っていないよ」と反論するのではなく、「もしかして私たちの基準がちょっと厳しいのかもね」と穏やかに話すことで、お互いの認識を見直す機会をつくることができるかもしれません。
認知の歪みは誰にでもありますが、その歪みに気づき、修正する力を持つことが大切です。
こうした気づきが積み重なることで、より多様な価値観を受け入れられるようになり、自分自身も他者ももっと自由に、そして生きやすくなるのではないでしょうか。