突然ですが。
一応仏教徒です。
ベアたんの実家は一応無宗教です。
しかしながらベアじいちゃんのお葬式の時はお経を唱えるお坊さんが来ていたので、実家の実家は多分一応どこかのお寺に所属していました。
ベアパパは多分そこのお墓に入るのでしょう。
ベアパパが自分で事業を始めた時、我が家には初めて神棚が出現しました。
が。
まぁ、あんまり丁寧に何か祈ったりはしていませんでしたね・・・困ったときだけかな。
そんなベアたんですが、一応自分の信じる仏教があります。
ですがどこかのお寺に所属していたりはしません。
なぜなら高校で(仏教系の高校でした)その宗派の勉強をしたとき、信じるも信じないも自由だし、信じたから救われる、ではなく、みんな平等に救われると習ったからです。
でもこてこての仏教徒ではありません。
神仏習合の仏教寄りさんっていうだけです。
なので、初詣は神社にもいくし、お守りも神社でもお寺でも買います。
祈願に神社に行くし、供養はお寺に行きます。
クリスマスもイースターも祝います。
前の職場はとある宗教寄りの事業所でした。
毎日祈ると幸せになれる系の。
陽の当たらないアパートの一室で、唱えれば幸せになれるって、祈るんです。
でも、それはそれで、その人が幸せならいいと思っていました。
しかしながら、勧誘がひどくて・・・
祈ったら病気が治るよ、祈ったらお金持ちになれる。祈ったら成功する。
しかし。
その勧誘してくれている人はその宗教に入って長いですが、病気が治ったわけでも、働けるようになったわけでもなく、お金持ちになったわけでもない。
事業所全体がそういう流れでしたので、辞めるタイミングでそこを離れました。
祈るチカラって大事です。
ときにはすごいパワーを生み出します。信じるものがあるって強い。
でも、そのパワーを活かすかどうかは自分次第なんですよね。
宗派でオススメの高い「あそこの宗派とは違う、いつの仏壇は本物だ!」という仏壇を買って祈っても、最終的には自分のチカラでなんとかするんです。
ベアたんは、神様もいると思うし仏様もいると思うけれど、最終的に自分のチカラを信じます。
それが自分の信じるものだからです。
人が信じるものって自由です。
それはパワーの源です。
しかし人に強要はしてはいけない。
昔からの戦争の種もそうですね。
これはきっと、なくならない問題なんでしょう。