私は苦労も努力もしないのに幸せに生きている。どうしてそんなに幸せが続くのかわからない。神様がどうして私のような怠け者に幸せを与え続けてくれるのかわからない。ここからは私の仮説である。もしかして、ひょっとすると私は誰かが前世で得られなかった幸せを得て生きているのかもしれない。
私は取り立てて秀でたところはない普通の人間だ。頭脳も体格も普通で運動神経は明らかに劣っている。イケメンでもないし努力家でもない。貧乏家に生まれ貧乏に育った。成績で考えても経済的に考えても大学進学は無理なので工業高校に行き町工場に就職した。安月給で蟻のように働き続けた。そんな何の取柄もない私は思い描く理想以上の奥様と結婚できた。イケメンでも金持ちでもないのに一番好きな人と結婚し、二人の子供に恵まれた。子供たちは無事に成人した。病気や事故なく平和に暮らしてきた。どうして神様は私のような凡人にこれほど多くの幸せをくれるのか、それは今もってわからない。
転生を特集した番組を見た。非業の死を遂げた人の精神が新生児に転生することがあるらしい。そうした子供は幼いころから大人びた思考を持ち、幼稚な行為を嫌う。何かしらの使命感や強迫観念にかられるらしい。私はまさにそうした子供だった。今でも覚えている。幼稚園のお遊戯が馬鹿らしくて幼稚でやっていられないと感じた。自分はこんなところでお遊戯をしているはずではなかったような言いし得ぬ焦燥感にかられた。しかし何をすれば良いのかはわからなかった。
今もそうだが毎晩のように殺される夢を見る。後ろから刺されることもあれば、谷底に落とされることもある。そんな場面に遭遇したことは無いから、経験によるフラッシュバックではないはずだ。映画やサスペンスドラマで見るような殺され方だからきっとそんな映像作品の影響と思っていたが、もしかすると私は前世でそうした非業の死を遂げたのかもしれない。
死んでも死にきれない思いのまま亡くなった人の精神は時空を超えてどこかで生まれた新生児に転生するという。私はもしかするとそうした死んでも死にきれなかった人の精神が転生しているのかもしれない。きっと幸せな未来が待っていた人だったのだろう。ようやくつかみ取った幸せが目前にあるのに死ななければならなかった人の精神が時空を超えて見知らぬ新生児に宿ることはあるのかもしれない。
今ではWIFIやらブルートゥースやらで物理的接続が無くても情報が伝達できる。物理的な接続が無いパソコンやスマホのOSやデータが書き換えられて更新されるように、そうした無念の死を遂げた人々の精神が転生することはあるのかも知れない。私に転生した人は前世で非業の死を遂げたのだろう。その断片的な記憶が私に死ぬ夢を見させるのだろうか。
無念の死を遂げた人がいたらその人と親しかった人たちはどう思うだろうか。本当なら幸せに生きられるはずだったのに、どうか次の人生があるのなら今度こそ幸せに過ごして欲しいと思うだろう。転生とは無念の死を避けられなかった人が、もう一度幸せに生きる場所を神様から与えられることではないだろうか。
もしそうだとしたら私はどこかで無念の死を遂げた誰かが得られるはずだった幸せを生きているのかもしれない。その誰かが得られるはずだった幸せを私が得ているのだ。そうとでも考えなければ苦労も努力もない平凡な私がこんな幸せをえられる理由が説明できない。
私の前世を生きた人がもしいたのならその人に伝えたい。
「あなたがどんな非業の死を遂げたのか、どんな素晴らしい幸せがあなたを待っていたのか知る由もありません。あなたが得られなかった幸せは生まれたときからずっと、そして今も私にもたらされ続けています。あなたの両親か配偶者か兄弟かそれとも友人かはわからないけど、亡くなったあなたに次の人生があるならば今度こそ幸せに暮らして欲しいと願ったはずです。もし私があなたの生まれ変わりだとしたら、そうしたあなたを愛した人たちの願いは神様に聞き届けられたと思います。私は生まれてからずっと、そして今でも幸せです。あなたの死んでも死にきれない無念は私が存分に晴らしました。転生したあなたは今度こそ幸せな人生を歩んだのです。どうか安らかな気持ちになって下さい。あなたが得るはずだった幸せは一言で言い表せないほどすばらしいものでした。そんな幸せをどこの誰とも知れない私に与えてくれてありがとう。」