キングスランド 夢の扉

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コラム

 いつも新しい何かを追い求めていた20代前半。少年時代から好きだったプラモデルに限界を感じ始めていた。働き始めて自由にお金が使えるようになると、欲しくてしかたなかったプラモデルを買いあさった。欲しかった模型をあらかた集め終えると、あれほど好きだったプラモデルに限界を感じるようになった。それはプラモデルが模型であるがゆえに現物を超えられないという最早どうしようもないことだったと思う。いくらリアルなゼロ戦でもプラモデルでは大空を舞い20ミリ機関砲を敵機に叩き込むことは出来ない。タイガー戦車の88ミリ砲も大和の46センチ主砲もしかりである。当たり前だがプラモデルは見た目のリアルさを狙って作られた模型あって、それに実物の機能を要求するのは無理な注文だ。

 あちこち可動する模型やラジコンにも凝ってみた。BS弾を発射できるモデルガンとかラジコンは走ったり弾丸を発射したりと、そのアクションがリアルだったがやはり子供だましだった。モデルガンでプラモデルを撃ったところで、破壊のカタルシスは味わえるがそれは一方的な破壊であって戦いではないのだ。

 それでも何か楽しいものは無いかと模型店や玩具店を巡るのが好きだった。いつも付き合わされた彼女は退屈だっただろう。たまに行く玩具店キングスランドはどことなく楽しい店だった。ガラガラの店内にはお試しで遊ぶためのオモチャが放置されており自由に触れた。そんな自由な雰囲気が好きだった。ある日キングスランドを訪れるとファミコンがディスプレイされていた。家庭用テレビにゲーム画像を映し出すゲーム機が販売されていることは知っていたが、そこで遊ぶゲームはマリオが亀を蹴っ飛ばすようなアクションゲームばかりで、文字通りの子供だましと思っていた。しかしそのファミコンの脇に「近日中にゼビウス発売」のチラシが置かれていたのだ。

 あのゼビウスが家庭で出来るのか。狂喜した私は発売日を待ってファミコン本体とゼビウスを買った。ファミコンのゼビウスは衝撃的だった。ゲーセンで百円を入れないと出来ないゼビウスが、ほぼそのまま家庭のテレビで出来るのだ。マリオやドンキーコングみたいな子供だましゲームしか出来ないと思っていたファミコンが映し出すゼビウスの世界は未来の戦場だった。ソルバルウが宙を舞いザッパーを発射すると敵機タルケンが砕け散る。緑の大地や美しい海上を進むと大ボス アンドアジェネシスが現れ大量の弾を撃って来る。それをかいくぐり大ボスにトドメのブラスターを叩きこむ。なんと素晴らしい。私はこんな戦いをしたかったのだ。

 プラモデルの戦闘機は飛べないし弾丸も発射できない。敵役の機体も同様だし破壊したら後片付けが大変だ。そもそも何機もの敵機を作る資金も時間も無い。プラモデルでは永遠に出来ない派手なドンパチをファミコンは再現してくれた。勢い私はシューティングゲームの虜となりあらゆるゲームを遊び尽くした。ギャラガ、グラディウス、Rタイプ・・・。あれほど好きだったプラモデルが疎かになるほどだった。キングスランドはそんなシューティングゲームへの扉を開いてくれた店だった。

 シューティングゲーム熱が沈静化したころ、再び何か面白いものが無いか模索するようになった。つまらないとキングスランドに足が向く。付き合わされる彼女が可哀想だ。お店は模様替えしたらしく、展示していた在庫商品をたたき売りしていた。そこで見つけた1/43のフェラーリ・デイトナとフェアレディZ31が私の運命を変える。私はプラモデル命の青年だった。シューティングゲームに狂っていたがプラモデルを辞めた訳ではない。免許を取って実車を運転するようになるとフェラーリに憧れたが高卒の工場勤めに買える代物ではない。仕方なく大好きなフェラーリ・デイトナとどことなくシルエットが似ているフェアレディZ31を中古で買って乗っていたのだ。フェアレディZ31とて高校を出て6年しか務めていない貧乏人には充分贅沢な車だが、私の中ではあくまでフェラーリの代用品だったのだ。

 車のプラモデルでは1/24スケールが主流だが私も例にもれず1/24の車を作っていた。スーパーカーブーム当時に東京マルイ模型のカウンタックの素晴らしさに目覚め、免許を取ってからは国産車を作り倒してきたが、車のプラモデルにも限界を感じていた。前述の戦闘機や戦車のように戦えないという不満ではない。車の場合、走れないという不満が有ればラジコンに行けば良いが、私は実車の免許を取って運転するようになっていたので、プラモデルが走れないことに不満を感じていなかった。

 車のプラモデルは完成しない。塗装したり改造したりを覚えると中途半端な出来栄えは許せなくなり結果としていつまでも完成しない。未組立プラモデルの山が出来るという「完成しない症候群」に陥った。さらに大きな1/24カーモデルは置き場がない。適当に飾っていると埃が乗り誇りを払うとミラーやワイパーが取れる。そのうち色褪せてきたりデカールが劣化してきたりして、完成待ち車両の列に修理待ち車両が割り込むと言う悪循環に陥った。残業にデート、シューティングゲームと時間を奪われ未完成プラモデルの山は増々高くなる。キットを買っても完成するのは何年も先ではモチベーションは維持出来ない。私は1/24カーモデルに疲れてしまっていた。

 そのころモデルカーズという雑誌が創刊した。本物のフェラーリを何台も所有している方が、自分の所有するフェラーリのミニチュアカーを並べている記事を目にした。何と豊かな趣味だろう。自分は逆立ちしても買えないフェラーリを複数所有して、そのミニカーをまた並べる。本当に羨ましく思った。そして私の人生の方向性が決まった。自分もいつかフェラーリを所有したい。それはすぐには無理だがフェラーリのミニチュアカーは今からでも集められる。

 そんな風に思っていた矢先に前述のキングスランドでフェラーリ・デイトナに遭遇したのだ。定価なら3千円程度のソリドのデイトナは展示品処分価格で500円だった。同じくダイヤペットのZ31も500円だった。私のあこがれのフェラーリ・デイトナと所有するZ31のミニカーが売られている。その2台を購入しテーブルに並べた。なんとキッチュだろう。出来映えはソコソコだがミニカーは妙な魅力に溢れていた。1/24のうすらデカイ大きさに辟易としていた私は1/43の凝縮感に魅了された。(ダイヤペットは1/40)Z31はドアやリトラクタブルライトが可動する。プラモデルでは細心の注意を払って開け閉めしなければならない可動部だが、ダイキャストミニカーは無造作に扱ってもクリック感とともにカッチリ動作する。ミニカーは早く作らねばという脅迫観念を醸さない。買ってくるだけでこの満足度だ。その日から私はモデラーの誇りを捨てミニカーコレクターに鞍替えした。

 その日を境にダイキャストミニカーは増え続け今では数千台を超えた。十数年で数十台しか完成しなかった1/24プラモデルとは桁違いの速度で増え続けた。このミニカーたちにつぎ込んだ資金を合計すれば今頃は中古のピッコロフェラーリが買えたはずだ。それはミニカー仲間が皆言う笑い話だ。フェラーリを所有しそのフェラーリのミニカーを並べるという初心はいつしか消え、今ではフェラーリに限らずあらゆるミニカーを買い続けている。それはとてつもない楽しい日々だった。そのとてつもない楽しい日々の扉を開いてくれたのもまたキングスランドだったのだ。

 ゲームやミニカーだけではない。キングスランドに行くといつも何か楽しいモノに出会えた。それはスロットカーであったり、航空機模型だったり、怪獣のガレージキットだったりした。他の模型店や玩具店では出会えない楽しい何かが私を待っている夢のような空間だった。地方都市にあるありきたりの玩具店に過ぎないが、私にとってキングスランドは夢の扉を開けるような気分にさせてくれる楽しい店だった。

 キングスランドはその後玩具店からホビー路線に転向しガレージキットまで扱う総合ホビー店になったが2000年代に倒産してしまった。跡地では携帯電話店が営業している。キングスランドがあった場所を通ると今でも懐かしさが込み上げてくる。そこには楽しい空間につながる夢の扉があったのだ。無くなってしまったのは寂しいが、私の部屋はキングスランドから買われて来た幾多の模型で溢れている。夢の扉の向こう側から来た模型たちを見ると私はキングスランドに通っていた頃を思い出す。そんな若さと懐かしさと優しさに溢れた宝物のような空間で体験した素晴らしい思い出を大切にしようと思う。

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