昨今「AIの暴走」や「AI制御は不可能になる」と言った物騒な話題が、世界中を駆け回っている。
その発信元は「元AIの開発担当者」とか「現AI企業のCEO達」と言った当事者が発している「問題提起」であり、「警告・警鐘」なので、穏やかではいられない。
どこかの国の「言行不一致」で「針小棒大の虚言癖」を持ち、「自分の言葉に責任を持たない」、「駆け引き大好きな」大統領の発言ではないから、彼らの発する「問題提起」や「警告・警鐘」の信憑性は高いかもしれない、と注視しているところである。
「AIの暴走」や「コンピューターによる人類への反乱や抹殺」と言ったテーマは、スタンリーキューブリックの『2001年宇宙の旅』以来私達にとっては、お馴染みの近未来の課題である。
今から60年近く前に創られたこの「名作」が投げかけているのは、古くて新しい問題提起であり、おそらくこれからもほぼ永遠に、人類に付きまとってくる課題であり続けるだろう。
その課題が2026年の今日では、「いつか未来の話」ではなく数年後か数か月後には現実に起こり得る、現実に「差し迫った問題」として取り上げられ、真面目なAI研究者や当該企業の中のまともな経営陣によって、「問題提起」され「警告・警鐘」されているのである。
しかも彼らは遠からず「AIが人類を滅ぼす」危険性があるから、今のうちに「AI開発に国際的なルール」や「制約」を作るべきだ、と提案・提言してるのである。
丁度「原子力兵器の開発に国際的な制約」が必要であり、「航空機製造に安全上の一定の遵守事項」が必要なように、AI開発を「野放しにする」のではなく、「一定の国際的なルール」や「監視下に置き」「開発の枠組みをコントロールすべきだ」と、彼らは主張しているのだ。
そしてついに国連事務総長グテーレスでさえも、公の場で同様の事を危惧し、ルールを作る必要性を公言する事態に成ったのである。
既にドナルドトランプやザッカーバーグの様に、「AIを規制すべきではない」と主張するレベルの問題では、なくなってるようなのである。
この問題は今や、「根拠のない楽観主義者」や「利益至上主義者」が言う様に、「野放図に放置しておくテーマ」ではなくなっているのである。
とは言いながら、「AIの脅威」や「AIが人類を滅ぼす」という警告や警鐘が、具体的に「どのように現われ」「どのようにして脅威をもたらすか」については未だ不明確で、ハッキリしていない。
一部では「悪意ある人物たちによる生物兵器の製造と拡散」とか「人間のコントロールできないAI主導の戦争の勃発」「電力・航空・金融市場・通信ネットワーク等といった社会インフラの破壊や機能不全」といったことを、例示する研究者たちもいるようであるが、何となく"生煮え感"が否めない。
現時点では「イメージ」や「不安感」ばかり、先行している様に私には想える。
とはいえ、こういった「問題提起」や「提案・提言」「警告・警鐘」が当事者の中から起きている事を忘れてはいけないし、注視していく必要があると私は思っている。
私の基本的価値観として、「IT機器」や「AI」は人間にとって「道具」であり「便利なツール」であって、"人間にとって代わるものではない"と思っているし、”イニシアティブは人間が取るべきだ”と考えている。
であるから、常に「代替手段」や「代わりのツール」を確保する事を怠らず、「使いこなせる」レベルにとどめておく必要があると想い、いつも対策を考えてはいる。
道具への「100%依存」はあり得ない、と自らを律しているのである。