ネットをさまよっているとある本の広告を見つけました。
ちょっと気になったので取り上げたいと思います。
本のタイトルは「日本の死角」(講談社現代ビジネス編)で、惹句はこんな感じです。
「いまの若者たちにとって「個性的」とは否定の言葉である」
ふうん、そうなんですか。
そして、以下のような文言が並びます。
「個性的と言われると、自分を否定された気がする」
「周囲と違うってことでしょ?どう考えてもマイナスの言葉」
「他の言葉は良い意味にも取れるけど、個性的だけは良い意味に取れない」
「差別的に受け取られるかも」
さらに著者は、
「どうやらいまの若者たちは『個性的』だと思われたくないらしい。
思いをストレートに口に出すと、周囲から自分だけが浮いてしまう。
みんなと同じでなければ安心できず、たとえプラスの方向であったとしても自分だけが目立つことは避けたい。
近年はそんな心性が広がっているように見受けられる」。
と書いています。
ただ、最近の若者は「個性的」だと思われたくないというのは著者の感想みたいですね。
きちんとした調査もアンケートもしていないようです。
せいぜい周りの数人の若者に話を聞いたり、SNSの投稿を読んだ程度でしょう。
それでも一応、この意見が最近の若者たちの一面を捉えていると考えることにしましょう。
そうしないと話が進みませんから。
まず、私は、普通いわれているような個性というものは、単なる性格の偏りでしかないと考えています。
みんなドングリの背並べで生活し、ほんの少し出っ張っているところを個性といっているだけです。
本当の意味での個性的な人は日本に限らず人間社会では生きていけません。
それこそ誰も住んでいない孤島にでも行って完全自給自足の孤独生活をするしかないでしょう。
その意味では、個性的であることは長所ではない。
人間は社会的生物ですから、それが当たり前なのです。
ただ、こんなことは昔からというか、人間が発生したときから決まっていたことで、いまさら言い立てることではないでしょう。
若者に限らず大人も老人も同じです。
ですから上記の本は何も新しいことをいっていないし、若者の特徴だとしている点では間違ってもいます。
それはいいとして、「個性を活かす」とか、「個性を殺す」とか、「個性を作り出す」とかいいますが、いずれにしても社会に受け入れられる程度の個性なんて大したものではないので気にすることはありません。
繰り返しますが、無個性出会っても、個性的であっても大した違いはありません。
ただし、「あなたは個性的だね」といわれたら、目障りだという意味であることもありますから、注意が必要かも知れませんが。
では