幸せとはなんだ?-アマゾンのある部族の話(追記)
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一昨日と昨日の記事の追記です。
予想通りピダハン族の生き方がうらやましいとのコメントがありました。
そんなことには意味がないと書いたつもりだったのですが。
私はどうにもならないことをうらやんでも仕方がないと思っています。
ついでにいえば考えても仕方がないことは考えないようにしています。
たとえば「死」についてですね。
それはいいとして、表面的な部分だけを取り上げて、文明社会を批判したり、現在の自分の生活と比べるのはあまりにも安易としかいえません。
要するにないものねだりでしかない。
皮肉なことに、ピダハン族を世界に紹介したエヴェレットの話を信じるとすれば、彼らは無い物ねだりをしないんですね。
倣いたいのならそういう点も倣わないと。
エヴェレットや一部の人たちは、ピダハン族は世界で最も幸福だとします。
しかし、彼の赴任当初、家族がマラリアにかかったときにピダハン族の人たちはそのことを知りながら、誰も助けようとせず、それが当然であるかのように振る舞いました。
重い病気にかかった者は助けず、息を引き取るままに任せるわけです。
また母親を亡くし、母乳を飲むことができなくなり、衰弱した赤ん坊を見殺しにしました。
さらに、彼らは子どもが火に近づいても注意しない。
そして平均寿命は45歳です。
これでも彼らがうらやましいですか。
都合のいいところだけを見て、負の部分を見ず、一方的にうらやましがるのは本当に意味がないと思います。
ところで、ピダハン族について少し調べたのですが、いろいろと疑問点が出てきました。
まず、彼らを世界に紹介した言語学者 エヴェレットですが、彼はもともと宣教師で布教のためにピダハン族と接触します。
しかし、ピダハン語は「度外れて独特な言語」だったんですね。
当然、彼らの言語の習得は困難を究めます。
ピダハン族の部族民は英語やポルトガル語を介した学習ができない、いわゆる「単一言語」だったこともあります。
しかも、エヴェレットはピダハン族とは8年間一緒に生活しただけです。
合計では30年間にわたり研究したとのことですが、それでもエヴェレットがどの程度ピダハン語を習得したかは疑問です。
ピダハン族の言語はいわゆるチョムスキーの普遍文法(説明するのは大変なので興味がある方は自分で調べてください)を覆す他に類を見ない言語だとされています。
しかし、チョムスキー本人はこれを完全に否定しており、エヴェレットの誤解だとする意見もあります。
ただ、言語学に関する話は完全に私の手に余りますので、これ以上、深入りはしません。
話は変わりますが、気になるのは、ピダハン族の人々は暗くなっても寝静まることなく、時には狩りや釣りにも行くとのことで、時間の概念がないとされていることです。
では、人間には体内時計があり、朝太陽の光を浴びるとことでそれがリセットされるという話はどうなるのでしょう。
また、昨日も書いたように、ピダハン族では、将来を気に病んだりしないことが文化的価値になっており、将来よりも現在を大切にするため、進歩を望んでいないし、想像もしないとされています。
しかし、実際にはブラジル政府によってピダハン族の村にも電気が通り、学校ができてポルトガル語が教えられ、数字の概念も教育されており、彼らも変化を喜んでいるとのことです。
私はチョムスキーの普遍文法を支持していますので、ピダハン族の生活が変われば、当然、言語も変わると考えています。
昨日も書いたようにこれを部外者が残念だとか、文化の破壊だと批判する資格はありません。
私としては、非常に珍しい言語や習慣を持つ部族がいるくらいの認識で、繰り返しますが、うらやむ必要はないのではないでしょうか。
では