幸せとはなんだ?-アマゾンのある部族の話(追記)
一昨日と昨日の記事の追記です。予想通りピダハン族の生き方がうらやましいとのコメントがありました。そんなことには意味がないと書いたつもりだったのですが。私はどうにもならないことをうらやんでも仕方がないと思っています。ついでにいえば考えても仕方がないことは考えないようにしています。たとえば「死」についてですね。それはいいとして、表面的な部分だけを取り上げて、文明社会を批判したり、現在の自分の生活と比べるのはあまりにも安易としかいえません。要するにないものねだりでしかない。皮肉なことに、ピダハン族を世界に紹介したエヴェレットの話を信じるとすれば、彼らは無い物ねだりをしないんですね。倣いたいのならそういう点も倣わないと。エヴェレットや一部の人たちは、ピダハン族は世界で最も幸福だとします。しかし、彼の赴任当初、家族がマラリアにかかったときにピダハン族の人たちはそのことを知りながら、誰も助けようとせず、それが当然であるかのように振る舞いました。重い病気にかかった者は助けず、息を引き取るままに任せるわけです。また母親を亡くし、母乳を飲むことができなくなり、衰弱した赤ん坊を見殺しにしました。さらに、彼らは子どもが火に近づいても注意しない。そして平均寿命は45歳です。これでも彼らがうらやましいですか。都合のいいところだけを見て、負の部分を見ず、一方的にうらやましがるのは本当に意味がないと思います。ところで、ピダハン族について少し調べたのですが、いろいろと疑問点が出てきました。まず、彼らを世界に紹介した言語学者 エヴェレットですが、彼はもともと宣教師で布教のためにピダハン族と接触します。しかし、ピ
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