さくら

記事
コラム
さくらを、逆読みすると、らくさになる。

近くに「さくら」という介護施設が合って、
そこである一定の期間が過ぎると、
別の介護施設に移動する。
そこは、
拘束がひどくて、
始終垂れ流しの「なんで?」っていう終末病院。

うちの角を曲がる時、
「〇〇〇さは、行ぎでぐね~」という断末魔が響く。


昨日の強雨で、
桜はほとんど葉桜になってしまった。

今年は花びらひらひらで落ちないで、
花がボタボタ落ちた。

小さいころ、
よく祖父に、
三本木のたでのやまに、
花見に連れて行ってもらった。
今やバスで10分の三本木も、
当時の私にはとても遠いところで、
かならず酔ってしまった。
祖父が、
小1の夏の盛りに逝き、
小2の秋の遠足でたでのやまに行ったのが最後になった。

今は、
ほとんどが老木になったらしく、
花見の人では、ほぼないらしい。

記憶にない幼児の頃に、
自転車の前かごにちょこんといれられて、
近くの高校まで、
両親と11歳の叔母と花見に行った写真がある。
きっとその時の花見は、
生涯で一番楽しいものだったに違いない。
記憶にはないけどね。

花が咲くから花見だけど、
私は桜が、
それほど好きではない。

決定的に、
「はい、咲いてます」状態になったのは、
乳がんの戦友:須藤玲子が、
花の中で逝った時から。

あの日花が咲いた日、
泊りに来てと言われて、
まだ大丈夫だと思って、
私は俳句会の花見に行った。

須藤玲子のあの日はあの日だけだったのに。

「楽しみにしてたのに」。

遅めの開花だった。
そして、その花が足早に散った日から、
須藤玲子の声を聞いていない。

逝ったとて、
私の中では生きている。
殺さないで。
殺さない。

桜を見ると、
あの日行ってあげなかった、
自分の身勝手さを思い知る。

何十年、がんになった日から過ぎたとて、
がん患者には、
絶対明日が来る確証はない。
今日を生きるを見重ねて、
はじめて明日にいる自分の足元に気が付く。

今日も原稿が書けました。
でも、
明日も書ける確約はできないから、
私は、
即日納品を心がける。

パソコンの前でうなり続けているうちに、

桜は、葉桜になる。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す