宇宙的な3次元リアリティの大変動の中で、価値観のシフトをしなくてはならなくなった現在、思考の整理は本当に大切になっています。
子供たちもさまざまに変化を感じとり、中でも上の娘は思春期に入り始めたなぁ、いよいよ、と思わせるサインが端々にあります。
天恍星をもつ上の娘にとって、思春期は自分のアイデンティティに大きく影響する時期です。これがのちに自分の人生観に響いてくる体験になるからです。
思春期というのは、迷いおおき年頃です。大きな冒険の夢を心に思い描きながら、その世界の現実を体験したことのないわけなので、実際の現実に向き合う不安と自信のなさが心を不安定にします。また、体も大きく変わるときであり、周りの自分への見方が変化することで、自分も外に対して必然的に振る舞いを変化させていかなくてはいけなくなり、自分が社会でどういう顔を見せて生きていけばいいのか、自分なりのトライアルを繰り返すようになっていきます。体が大人になっていくことで可能性が広がるぶん、そこに基づいた自分、特に性がはっきりする中でその性を含めた自分をどう確立できるのか、自分のキャラの模索が始まる時期なのです。
親の反応によって自分を形作るのをやめて、社会に晒された時の反応から自分を見つけていこうとする、独り立ちの覚悟を持たされる微妙な期間です。
たまちゃんは、来年から中学生ですが、英語圏でも「あなた高校生よね?」と言われるくらい、破格にしっかりした日本人女子です。小学6年生というと周りからびっくりされますし、教室にいても大人っぽくて学年が一人だけ違う感じなんですよね。
その彼女が今抱えているのがやっぱり思春期・天恍星っぽい悩み。
それは「鏡の中の私は美しくない。足が太くて醜い。」
どうしてそう思うようになったの?と聞くと、通っているバレエの先生がそう言い続けたからだというのです。
これはやばいなぁと思います。バレリーナによく発生する摂食障害の兆候です。だから今、お母さんとして玉ちゃんの不安定な心の話をしっかりときき、しっかりと栄養をとらせ、ピカチュウも娘をしっかりとハグして想いを表現するように寄り添っているところです。
しかし、親としては、バレエの先生が保護者のいないところでそんな意識を一生懸命刷り込んでいたとは、全く知らなかったことでした。子供の側は、先生は正しいはず、間違っているとしたら自分、そう思ってレッスンを受けていたので、違和感は感じていながら、親に相談することがなかったんですね。
醜い私が悪い。うまくできない私が悪い。たまちゃんは、前回のようにそう思って、とにかく向上することで個人的な解決を図っていたというのです。
そこで私が今、娘に言っているのは、「そんなことないよ、あなたは美しいよ」という安易な言葉ではありません。
「あなたはいつの時点で、自分の価値評価を先生に委ねてしまったのか」
「自分の違和感や心のサインをなぜまたなかったことにしたのか」ということです。
バレエの先生は表裏が激しく、最初は優しくして生徒が教室に定着した、と思うと、その態度を翻して、ハラスメントを子供たちに行うのだと、たまちゃんは言いました。そのことは他の子供からも聞いたことがありました。
だから先生は最初の半年は、とっても優しかった。
でもその後から、態度が急激に変わっていった。
それは私がうまくできないからなんじゃないか、と私は思うようになっていって、ママに違う指導者の元に色々と連れていかれるまで、自分が被害に遭っていることに気づくのが遅れてしまった。という説明がたまちゃんからありました。実績を出している子もいるんだから、この先生のもとで頑張らないと、コンクールに勝てないと思ったことも手伝ったそうです。
「先生は自分の子供をみんなの前で突き飛ばしたこともある。けど、教室では保護者の誰一人、自分の子供が先生にどんな扱いをされているのか、未だ、気がついていない。怖いから子供達も言えない。泣きじゃくって、レッスン受けたくなくて玄関で立ちすくんでいる低学年の子もいる。けど、保護者はその子が怠けたいせいだろう、と思って、子供を無理に置いていくんだ。」とたまちゃんは言いました。
保護者を立ち入らせない密室の中で行われていたキッズへのバレエのハラスメント。これをチェックしたり取り締まる仕組みは、今の京都の教育界にはありません。教育委員会に気がついてほしいところなんですが、そもそも通報する立場の保護者自体がバレエの何が正解で、何が異常なのか、に気がついていないのが現実だと思います。
私がびっくりした京都のお教室の例としては、思春期の生徒に月謝払ってないんだけど、どういうつもり?なぁ、と、若い教師が裏でカツアゲのような責め方をしているのを目撃したこともあります。他にもビルの熱中症になるような暑い廊下で子供達を立たせたままにしたり、月謝の二重請求もしょっちゅう。体験した二つの教室でそれは当たり前のようにされました。謝罪もありません。京都は狭いから、バレエを続けたいなら身の保身を考えて、そんなバレエ教室を大っぴらに通報することができないから余計それが続いていくのです。誰が言ったのか、すぐにわかってしまい、また横の繋がりが厚いから前の教室で問題を起こしてやめた子供を受け入れない体制が出来上がっているのです。ちなみに私は見学を含め、バレエ教室を見に行った数は20は下らないと思いますので、大体バレエ教室はこういうところという基準は持っていますね。
私は東京出身だから、京都のバレエ教室がかなりの確率でそのようなことがたまに行われていることをうっかり口を滑らせて世間に伝えてしまうのですよね。それが京都で悪いことをやっている人たちの牽制にもなるからね。
私には不利にはなるでしょうが、子供の安全のためにやっぱり声をあげていうべきだと思います。誰かがうちもそうかも?と立ち止まってくれたら、子供は救われます。
でもその異常さは、バレエ教師が京都人だからそうなのではなく、京都のバレエ業界がおかしい。ということで、大概、京都出身の先生でないことがよくあります。だから、そうは言っても、ステレオタイプのいけず京都人をイメージはしないでほしい。(実際、親子で行き詰まったのを助けて知恵を授けてくれたのも、京都出身京都育ちの元プロバレリーナの先生でした。本当の代々の京都の方は基本的に情がわかり、とても優しいのです。)
ただ、地元の人には、私が東京水準を知ってるからこそ、京都では狂人的な教師が、指導の技術もハンパ、解剖学的、発達理解もない指導者が生徒たちを潰している実態に驚くほど多くの保護者が気が付かず、京都を中心にコンクールをダシにして、高額なお金を取っている可能性があることにも早く気がついてほしい、と思います。
なぜ、こんなに京都で状況が悪化するかというと、洋物のバレエの世界に、和の一人の師匠に一生つくのが基本みたいな指導体系意識を取り入れるからだと思います。京都の人はそんなもんだと思ってしまう。
それで教室を移ろうとすると、生徒を奪われた先生に恨まれる可能性があるので、怖くてその生徒を拒絶するという、京都ならではのバレエネットワークの闇があるからです。そして、コンクールのタイトルという餌をぶら下げて、まともな指導知識もない無資格のバレエ教師たちが、生活の糧という視点で都合よくシステム作りをしてきたこともあります。今下の娘が通っている本物ワガノワ系の教室は、京都のバレエがコンクールをダシにしていることを教育ではないと感じて、コンクールは禁止、発表会も2年に一回にしているそうです。京都のバレエ教室は恐ろしい。無知だからこそ、通っていられる。
これを聞いたのは、一人や二人からではありません。
これは、東京のバレエ教室ではありえないことで、実際、そのようなことはほとんど体験したことがありませんでしたし、教室を移るのも結構自由でした。
私が異様だと感じた、玉ちゃんが苦しんだ、この教室の負のサインは、初めての発表会でのことでした。ここは保護者会の中でヒエラルキーがあり、取り仕切っているボスは〜〜さんだから、すぐ挨拶してきた方がいいと、仲間の保護者に言われました。バレエ教室で、保護者のボス?!と、正直、目が点になりました。非常に時代遅れではないですか。
そのボスが最初のヒエラルキー圧力を喰らわせて牽制する意図で、新参者(と思っている)私に、みんなの前で小馬鹿にしたり、呼んでいないのに呼んでいると嘘をついて、舞台袖に向かわせたりと、巧妙な意地悪を集団で仕掛けてきたとき、私はその集団を仕切っているボスに向かって怒鳴りましたね。正面から、保護者たちの考え違いやボスの非常識をしかりつけました。
そのボスが、先生の前で自分の仕業をとぼけた上に被害者を演じてしおらしくしていた後、保護者会丸め込んで悪口を言いふらしたのも印象的でした。
おそらく、そういうシステムで何年も通ってきたので、私のようにそれを表立って戦う保護者が現れたのは相手としては計算外のことだったでしょう。
それくらい異様な人間社会がそこにありました。(都会出身者からすると、めちゃくちゃ、ダサすぎる大人の世界だ。)
陰湿なイジメは黙るからこそ図にのるわけなので、発表会の会場にいたお客さん全部に知ってもらうような勢いで、私怒鳴りましたので、先生も無視できなくなり、今年から保護者会の労働だよりではなく、自分たちで労働を確保することにしたようです。拘束時間も短くなったようです。
(私が怒鳴ったおかげで、保護者たちが楽になった。)
揉め事を起こしたことであとで両親には怒られましたが、ピカチュウは「仕方ねぇよなぁ、明らかに悪いことやってんだから。」と別に私に何かを言ってくることはありませんでした。
その発表会での違和感から、そもそも、このような人間関係の波動を惹きつけてくる先生は果たしてどういう人間なのか?と思うようになり、この一年、保護者として、注意深く先生の動向を観察してはいたのです。
だって、類は友を呼ぶ、でしょ。
そして保護者が月謝を払う理由である、そもそも、バレエをきちんと指導しているのか、第三者のプロの目でチェックしてもらうことにしたのです。海外のプロ指導者、ワガノワをアカデミーで教えている外国人教師に特別外部レッスンで娘たちの進度を見てもらうと、「姉妹とも全く基礎が身についていない」とのすぐさまの回答でした。それはそれは大きな衝撃でした。
あれだけ懸命にやって、基礎が身についていない?!
とすると、子供が先生の指導を無視していたのか、それとも教師が指導していないのか、という二者択一になります。
子供たちに話を聞きますが、埒があきません。
教室で実態を保護者が把握することが難しい密室の状況で、実際の状況に近い情報を引き出すには、子供たち自身に判断してもらう必要があります。
そこで、本物のワガノワメソッドをマスターしている先生を紹介していただいたんですね。その何回か行った教室の体験の中で、今の先生とこの本物の指導の何が違うのか、というのを子供自身に実感してもらうことにしました。
下の娘は今の教室の先生に、「出ていけ、やめろ!」と言われた日もあったそうで、それは人格を侵害していると思いました。たとえ、理由があって先生が正しい、娘が間違ってるとしても、もう教室が合わないわけなので、下の娘は即やめさせて、その違う教室に移すことができました。
問題は、頑張り屋の上の娘です。先生にお世話になったし、きっと自分を思って指導してくれているのだろう、と義理もある。先生にだって優しい時もある。だから、私はうつらない。と、私が教室を移るか尋ねたとき、そう決めたのだそうです。
しかし、本物の指導を受けた体験はじわじわと娘に事実を突きつけていきます。
本物は、怒鳴らない、責めない、子供の心を傷つけない。きちんと言葉で教えてくれる。見本を見せてくれる。解剖学的な事実を説明してくれる…。
本物を体験した娘は、もとの教室に戻るたびに体験の違いを発見します。
そして、ついに「これはバレエの指導ではない。自分に指導知識が足りない部分を誤魔化すためのイジメのようなトレーニングでしかないと気がついた…!」となり、心が破綻してしまったのでした。
今、Youtubeで発信し、東京で高額なレッスン費をとっているIさんという指導者がいます。彼女は、マリインスキーで活躍した実績を持っているバレリーナです。品性を感じられるかどうかは疑問の、レディースのボスのようなオラオラ系の方です。彼女が実績ある優れた指導者なのだということで、遠くは北海道から指導を受けに生徒が殺到しているようですが、同期で内部事情を知っている関西圏の留学経験済み・アカデミー資格取得ずみの本物の指導者の意見は違います。そのハリボテ指導をしっかりと見抜いていて、子供を壊す指導に顔を顰めています。海外の教師も付け焼き刃なのを知っていて、彼女の活動を冷めた目で見ているけど、干渉しないことにしているという裏事情があります。親も勉強しないと、実績だけで簡単に誤魔化されてしまうのがバレエ教室なのです。
ロシアやフランスのように国家資格としてバレエ教師という仕組みがある国では、バレエ経験があって舞台に立ってお金をもらったというだけのバレエ指導者なんて、まずありえないのです。ワガノワは、ワガノワの正式な講師資格を持たない指導者にワガノワを名乗ることを禁じる通達を世界に発信しました。スポーツは科学です。子供の体、骨格、心、幼児期から大人になるまでの健康を委ねられているのに、その知識がないままバレエを指導している方がおかしいのです。そしてそれをいまだに許容する、日本という国がおかしい。
しっかりとした、指導者の国家資格を早急に配備しなければ、子供たちが海外のバレエ講師ができる免許を持たないえせバレエ指導者に一生を壊されて続けることになるのです。
おそらく熊川哲也さんは、その日本のエセバレエ指導者が子供をダメにしてのさばっている現実を知っている。
反発を喰らうから、濁すしかなく、「お母さんたち、本当に賢くなって!」とせいぜいいうしかないのだと思います。
娘が自分の教室の異常性に気が付き始めたのと同時期に事件は起こりました。娘の耳下腺が腫れたので耳鼻科に行き血液検査をすることになった時、その結果を見て違和感を感じた医師が、真剣に私に言ったんですね。
「これ、絶対に小児科行ってください。子供の場合、単なる自律神経失調症ではない可能性があります」
そんな大袈裟なと思っている私に、
看護師さんも「行ってください、必ず。」と言います。
「何がうたがれているんですか?」という言葉には答えてはくれなかったのですが、気持ちが悪いなと怪訝に思いながら、すぐに予約した小児科を受診すると、数字が平常の3倍以上です、とにかく、すぐに総合病院へ向かってください。と医者に言われたのです。
まさか!と思いました。
そして、2週間の緊急入院。
疑われていたのは、小児がん。
しかし、幸いにもそれはないことが精密検査でわかり、突発的な甲状腺ホルモン異常だろう、というのが最終的な判断でした。
私としても、プライベートで大きな契約を控えていた時でもあったので、大変でした。
忙しいのが好きな天将星たまちゃんにとって、入院とは、静寂の世界でした。お見舞いに行くと、暇してるかな、と思ったら、
「お母さん、静寂って、何もしないって、こんなに心が安らかに落ち着けることだったんだね。」と言います。
入院とドクターストップのおかげで通常のバレエレッスンが通えなくなり、(今の教室を)辞めることに決まってしまいました。
でもこれは一方で、ハラスメントに気が付いた玉ちゃんにとって、心からほっとした事態だったのです。そして、自分の心が先生によってどれだけ追い詰められてきたか、バレエが怖いと思うまでになったか、最近は思い出すたびに泣きながら話してくるようになりました。
先にとっくに辞めていた下の娘は、新しい本物のワガノワメソッドの指導者のいるアカデミーの姉妹校に通っているのですが、無理がなく上手くなっています。そして、教室をうつってからは「毎日楽しい!レッスンを受けるたびにパワーをもらって帰ってくる!」とるんるんでダンスを続けています。
一方、「私はいい、今の先生で、厳しいくらいで帰っていい」と言い続け、うつるのを拒んだ上の娘は、今のバレエの先生に義理を通そうとしてついに体も心も壊れてしまったのでした。
だからと言って、それはたまちゃんの夢の終わり、ではありません。
これからがたまちゃんのもう一つの星、天将星にとっての本当のスタートなのです。
苦労のない大将は、大成しません。
体も心も壊れる体験を、私は自分が人生で何度も経験しています。
だから、それを乗り越えた時に、人はものすごく大きな視野を手にいれ、最強になって蘇ることも知っています。
これは娘にとって試練。
全てがうまく行っていたら、絶対に手に入らない気づきを手にいれる試練なのです。才能があり、うまく行っていってばかりの子供にとって何より必要なのは、失敗から立ち上がる経験です。親がこどもが失敗しないように守ることではありません。
そして、こういうことがあったとしても、私は親としての自分を責めることもしません。
達観できる理由は、塞翁が馬の宿命の本質を掴んでいるからで、今、私自身が大運の変わり目にあるからです。20年の子供の大運が終わるその年、自分の健康や子供に問題が出ても全くおかしくない。そして、たまちゃんも今年がすでに変わった大運の1年目です。環境が変わってくる気の流れの中でそういう要素が出てくるのは当たり前。
それは気の流れとして最初から定められていたことで、たとえ避けようとしても違う形で表出してくる現象です。それよりも真っ向から立ち向かい、それを次の大運に繋げる智慧に変えていくための、私と子供と乗り越えていく「お試し」なのです。
今の世の中は、結果を出すことに全ての意味を見出す結果至上主義です。
結果を出せなければ、意味がないと考える風潮があります。
でも本当は、人が生まれてくる理由はそれそのものが生きる目的ではありません。存在理由ではありません。
この幻のような人生を「体験」しにこの世にきているのです。
結果を出すために一生懸命、試行錯誤することで、磨かれることはあります。しかし、結果を出せなかったら、それにて終わりではない。
ここのところがわからなくなると、人はすぐに無気力・自暴自棄・依存・挙句のはてに自死してしまうのです。
これから大きな世界のシフトを迎えて、今あるものを失ったり、逆にひょんなところで何かを得る人もいるかもしれません。
そのような、安定とは無縁のカオスの世界に突入する中で、もし物質界の価値観だけに縛られて生きていたら、辛くて生きていくのが難しい世の中に感じられてしまうでしょう。
私が学ぶ仏教の禅の教えは子供に話したりもしますが、そうは言ってもまだそんなことを理解できる年齢ではありません。その世界は、言葉で伝えるほどに、薄っぺらな理解で終わってしまう。
でも、やっぱり彼女は強運ですよ。最上格の天将星ですよ。
最近彼女はゴルフを始めました。
私の使っていたグローブも、私が使っていたゴルフクラブもぴったりで、週2回、世界のトーナメントの最前線にプロとして立っていた元キャディにコーチしてもらっています。別にバレエをやめて、プロゴルファーに転向するためではありません。w
ゴルフというのは、やったことがある人だけがわかることではありますが、日本の動き禅とほとんど同じなのです。
茶道も動き禅の一つですね。動いているけれども、その内面には瞑想状態が働いている。それが動き禅ですが、西洋でも東洋でもなぜ、リーダーシップをとる立場にいる人間が、ゴルフを好むかというと、その魅力は単なるマナーにとどまらず、もっと深いところに理由があります。自分のメンタルを自分で掌握し、プレッシャーと決断力と実行力が問われる舞台で、自分の望む方向へ自分で動かしていく力をつけることにつながるからです。
たまちゃんは、その価値をあっというまに掴んでいきました。
というか、そのことをまず最初に娘に教えて掴ませた一流のコーチのレッスンにまず私は驚かされました。
コーチは、コースに立つプロが、打席に立つ直前、何に意識を向けているのか。という話をしました。そして外側の刺激にではなく、自分の内側にある反応性を見つめ、そこから静かな一打を繰り出せる心に持っていくまでのプロセスをたまちゃんに教えてくれました。もちろんスイングのフォームも一流で、個性的な教え方をしてくれますが、ゴルフのみならず、人間の精神の極限の世界の知恵を伝えてくれたと私は思いました。
この元キャディのコーチ、軍神・庚の日干、ゴルファーとして最強の宿命であり、戌亥天誅殺の先生なんですよね。メンタル世界の追求に強い天誅殺です。そして、特に絶対にブレない宿命でした。お客さんだからと言って、必要以上に意味なくチヤホヤもしない。ゴルファーにとって外野の声にブラされる事は御法度ですから、こういう方が勝ちに行ける。
納得の宿命の方だということを、私はスクールに入れる前から調べ上げていて、その上、玉ちゃんの日干支が、このコーチの宿命にはまってくる関係性でした。つまり、気が接続されるので、コーチの経験値がたまちゃんの本質そのものにうまく流れていくのです。
バレエの先生の生年月日はわからなかったし、まぁそこまでする必要はないだろうと思ってたんですけど、今回のことを受けて、こどもを立て直すことができる指導者を探したんですね。(プロ登録時に、ゴルファーは結構生年月日公開してるので。)
案の定、たまちゃんは、コーチとマンツーで向き合う中で、さまざまなことに気がつき始めます。指導者の顔色を伺い、褒めてもらおうとしていた自分の心の動き。そして、鏡を通していきすぎたバレエ指導が自分に欠点にフォーカスするメンタルを作ることになり、外側からどう見られるのか、人の目や人の心の声がどうであるかを想像して不安になって苦しんでいた自分が客観的にわかった、と玉ちゃんは言いました。
「ゴルフは、自分の内面に向き合うんだ。他人じゃなくて、私の心に目をむける。体に集中し、体の声を聞こうとする。体から、自分の心の状態を掴んでいく。無心で球を打っていくと、静かになっていく。」
「ゴルフは楽しい。今までどんどん縮こまっていた自分が解放される。」と玉ちゃんは嬉々として言っていました。ゴルフはおじさんが大好きな理屈の世界です。玉堂星は再現性のある理屈の世界は好きです。スポーツとしての相性も良かったんですね。
ちなみにバレエより本当はゴルフをさせたかった私は、幼児の頃、一度生日中殺の下の娘に、ゴルフに興味を持ってもらう導入として昭和のアニメ「プロゴルファー猿」を見せてみたんですけど「わいは猿やぁ〜!!」と言って棒を振り上げて、ミスターXのモノマネをして終わりました。(反応が昭和の子供と同じ)
玉ちゃんのゴルフのコーチが素晴らしいのは、
「頭で考えなくていい。ああしようとか、こうしなきゃとか、そういう考えは全部捨てていい。ただ、自分がクラブをふるたびに、その感覚だけに集中するんだよ。うまく行った時に体にどんな感覚が残ったか。それだけを記憶していくんだ。結果に意識を向けなくていい。たまたま当たった一打に気持ちが振り回されることよりも重要なことがある。」
と、レッスンのたびにたまちゃんに教えてくれたことなんですね。
それは、それまでのバレエの指導者とは真逆の指導と言える内容で、
やって考える、思考を使うのではなく、感覚を尖らせる、意識を内側に持っていく、というもの。その指導は、これまで、外に外に「ダメだダメだ、お前はダメだ」とばかりに目線を持たされ、欠点を引き出されていたバレエの苦しみの熱が冷めて、まるで徐々に心が静かになっていくような感覚があったそうなんですね。
小学校6年生で、たった一ヶ月で、このコーチからそれだけのことを感知した娘には驚きました。優れた刀となった庚は、何が無駄で何が重要な部分なのかを瞬時に見抜く力があります。いらないところだけをスパンときる力がある。
一流の庚の能力と大きさによって、不安定だった娘がレッスン中に子供の頃の自由さを取り戻し、心救われていくのを見て、私は嬉しくてなりませんでした。
ゴルフは経験のない遠いスポーツではなく、バレエや日本舞踊で鍛えた体幹と重心バランスが備わっていますから、たまちゃんにとって、軸を保ち旋回する動作、スイングすることはそれほど難しいことではありません。
帰りの車の中で、体に意識を向ける、感情に気づく、そんなゆとりすらないバレエを、これが正しい指導を受けていると思い込んで耐える体験をしていた、とたまちゃんは泣いていました。
苦しいこと=向上ではない。
耐えること=美徳ではない。
これを私はずっと言ってきたけれど、なにぶんパパがMな車騎星なので、鍛え上げられる環境好きです、ええ、ええ、車騎星ならそれで、全然いけます。
でも、忌神・車騎星の価値観をパパを通して取り込んでいた玉ちゃんには、やっぱり向いていない価値観だったんです。
パパの価値観の圧力とバレエの先生の指導がリンクして、ママが「今の教室あってないんじゃない?ちゃんと指導されている?」と、それとなくちょこちょこ聞いても、耳を貸すことがなかったたまちゃんだったので、「誰がどんなことを言ったとしても、現場で自分が感じた真実に嘘をつかないことが大事だ。」という私の話に、自分の違和感を大切にすることの深い意味を再確認したようでした。
突然の入院はパパにもショックを与え、「パパが変わらないなら、私は娘たちが大事なんで、マジで来月離婚するからね。」という私に「そんなこと言われる前に、わかってるさ!俺だって娘は大事だ!」とかなり考えたようでした。
玉ちゃんが反発していた、パパとの関係性もどんどん改善されてきていて、パパは真剣に「俺の娘だから、厳しくても耐えられると思って、親として甘えていた」とたまちゃんに謝っていました。
うちの娘になんて事してくれたんだよ!と呟くくらいバレエの先生にも怒っていて、もう二度とそんな思いさせないからな、と言っていました。
パパも今年、大運の変わり目にあたるんですね。
だから、家族全体の環境変化が子供の成長のフェーズとともに大きくやってきています。たまちゃんが無事に思春期を乗り越えられるよう、家族はいつでも相談に乗れるような立ち位置でいてあげたいと思います。
そして、バレエができない体調で、彼女なりに焦りがあることも承知していますが、吉田都さんが書籍の中で、ケガして練習できないそういう時だって、バレリーナにできる事はある。それは心を磨くこと、感情を大切に暮らすこと、芸術に触れること。と言っていたのを思い出したんですね。
だから、子供に無料で見せてくれる一流のバレエ団のチケット、一流のクラシック音楽の子供の無料チケット、伝統芸能の無料チケット、めっちゃ手配して、大好きな舞台をたくさん見せてあげています。(全部無料かよ!wって、付き添いの親にはお金がかかるので痛い出費だけどね。)
先々週もGARAを嬉々として解説してくれるたまちゃんの横顔を見て、バレエは褒められたいからやってた、とか私にうそぶいてたけど、それを抜きにしてもほんとにバレエ好きなんじゃん、と内心思いながら、何も言わずにたまちゃんのバレエと自分を立ち止まって見つめる時間を見守っています。
AIの時代、子供は体を使うこと、心を使うこと、素晴らしい師と出会うこと、経験に基づいた真理を受け継ぐこと、親と心から触れ合うこと、こういうことをちゃんと体験しておかないと、その後の世界を生きていけない人間に仕上がってしまうと思う。
iPad世代と呼ばれる、たまちゃんの世代は、アメリカの子供たちの平均IQが30〜40下がったと言っている教職の人もいて、英語圏全体で人類の知性が落ちているという話題もみた。
子育ては、鳳閣星と調舒星の世界。それは、子供のために何を残してあげるかを考える世界。手助けと与え尽くしの世界なんだよ。
補助として使うことはできても、I Tそのものに子育てはできない。
どんな現代風の屁理屈を捏ねたとしても、親が真っ当に心を使うことでしか、子供は育たないんだ。
そう最近実感しています。