秋期授業のまとめの中でM先生の、印象深いお話がありました。
何をやってるんですかと人に聞かれ、密教を大学で教えていますと言うと、めちゃめちゃ胡散臭いオカルトイメージで見られたり、本当に、ごまだきとか効能あるんですか、とか、かなりの確率で色々言われる(ちょっと諦めに似た悲しいニュアンスで)っていうお話をされていて、そうなんや(汗)教授になってもそう思われるんや〜と思いました。
ならば、きっと他人から見ると、自分も怪しい一人なのだろう....(シーン....)
先生の話の中で聞いたのですが、密教と言っても普通はこんなに一般人が手軽に要点だけ学ぶなんてことはできないみたい。
例えば、チベット密教を本当に学びたかったら、いきなり修行させてくれるわけではなく、20年近い下積み(座学)をやってから、やっと修行に入るんだそうです。外国人はチベットの寺には入れないみたいだしね。
そして、その下積みというのは、原理主義仏教とかから、上座仏教や部派仏教や大乗仏教に至り、密教基礎と、今大学でやっているような、流れを全部学んでからやっと実践に入るのだそう。体系がある世界の仏教ではこうなので、空海があの時代、あのルートで密教を修めたのは、密教界としても本当に異例だったのだろうと推察します。
だから、チベット仏教の僧院に6歳とか8歳とかの男の子が入ってるのを見ると、日本の親としては、甘えたいことや温もりを感じたい年に、家族から離れて厳しい環境で暮らす彼らを見て、たまらない気持ちにはなるけど、この道を目指すならば、そもそもその年齢から勉強しないと、体が成人して過酷な修行に耐えられる一番良い時に間に合わないのか、と、気がつきました。
あの、一休さんが「母上様...」と生き別れになって、寺に入るシーンから始まるあのアニメ、辛いですよね。仏教界では、長らくそういう世界が当たり前だったのだなぁ。うちの子供たちにはとても耐えられない世界です。
修行僧の星といえば、算命学では、天南星は過酷な修行場におくれ、と言いますね。そもそも、天将星・天南星の人たちというのは、普通の人たちではありません。そこに耐えうる最強の体力と意思力をお持ちです。
人にできない体験ができる、という意味で、ひ弱な自分からすると、まっこと羨ましい限りです。そんな自分は、先日風呂掃除をした後、脱衣所のクッションフロアでスリッパが滑り、後ろから転倒。今も全身打撲で鞭打ち症状を抱えている状況。もはや老人...!?
そのまま起き上がれなくなり、うめいているなか、青くなった子供たちに介抱され、ピカチュウに脱衣所から運ばれる自分。....ダサい、ダサすぎる、と自らを恥じながら、今年の修験道の道場へ果たして、大学から挑戦する許可が出るのかどうか、不安がよぎったのでございました。
ほんまに、今、天南星の体が欲しいですわ。
並木良和氏だって、オネエっぽいし、過酷なことは嫌っ!って精神的に軟弱そうにみえながら、ああ見えて、天南星ですからね。
実はやらせればできるだろうし、めっちゃめちゃ体力あるはずです。
でも一般の天南星の方は、そんなマニアックなことに自らの体力を使おうとは思いもよらないでしょうね。w
だから、便利な俗世にあって、普通の人と同じ生活をしながら、妙に体がなまったりして、なんか違うなぁという違和感が起こるのだと思います。
とにかく、この体よな。
生まれ変わって、欲しいものは、頑丈で健康な体ですよ。
というわけなんで、自分ができないことをやってのける陰陽師や修験者たちの体力にはめっちゃ憧れ、時々、そういうビデオを見ます。
でかい権力と戦える力を持つのも天南星なので、政治家さんやジャーナリストにも結構天南星はおいでです。
天南星といえば、この方、参政党代表の神谷 宗幣氏もガンガン天南星っぽさが滲み出る方。
元予備自衛官もされたようで、体力はめちゃめちゃ使ってますし、しごかれているのでしょう。よりでかい権力を相手に戦っていこうとするところが、まさに陽転した天南星・車騎星所持者っぽいですね。
この方の宿命がこちら。
はい、天南星あります。
熱い人に見えますが、この方、外に見えるのとは違い、意外に冷静で慎重です。そして世直しのために生まれた方ですね。「どいつもこいつも、やるべき仕事をみんなちゃんとやれ!!」って思います。よく揉めますし、どこへ行っても世の中の矛盾がたくさん見えて、その違和感が苦しいのです。
そして、気が変わりやすい面はありますが、生年中殺なので、先入観なく世の中を見渡します。つまり、世の中的には、ちょっと変わった人であっても、受け入れる度量があるんですね。
そもそも、辰巳天誅殺ですから、合理性を発揮して、これは世の中の現実に役に立つ、と思えば、どんどん領域を限定せずに受け入れていくでしょう。
ただ、少し、心配なのは、この方が今年から天誅殺に突入することです。
言葉の揚げ足取りや、失言などで、世の中を賑わしてしまうかもしれませんし、ストレスの溜まる二年間になると思いますので、健康に注意していただきたいです。誤解されやすいですが、おそらく、青臭いと言われそうなくらいまっすぐな思いで、国のため、世界のため、義のために動いていると思われますので、このエネルギーをふんだんに世の中のために使っていただきたいものです。
そして、この神谷さんがメンターとして耳を傾ける相手というのが、また面白いんですよね。その方は、表さんと言って、日本の二大修験道の一つ山陰のトップを務める、関西の(情報があまりないので、間違ってたらごめんだけど)修験者さんなんですよね。
だから、二人を動画で眺めながら、
「神谷さん、あなたも過去生で修験者だったこと、ありますよね?」
って、私は思いましたね。w
神谷さん、荒削りであったとしても、年長者や経験者の言に耳を傾けていく姿勢がある限りは、国会議員として大丈夫でしょう!
で、今日はそんな神谷さんのメンター表さんがyoutubeで公開しておられた、除霊法というのが非常に役に立つので、ここにご紹介します。
除霊法って言ったら、やっぱり「あの世三兄弟」w (どんな三兄弟じゃって感じですが)を忘れてはなりませんね。天馳星・天庫星・天極星さんは、知っておいた方が何かと良いかと。
表さんの教えてくれた除霊法は、非常に簡単で効果が高いものだそうで、「宗教とかそういうものととらえずに、生活様式として取り入れて欲しい」とおっしゃっておりました。
それが、平安時代から続く、この「お茶湯」を振る舞う、という除霊法です。
お茶湯というのは、空海が日常的にやっていたと言われる修法だそうですが、 修行者は何かに頼られることが多かったりして、不成仏霊からするとこの人は助けてくれる、と思うと、出かけた先や人混みで後からついてくることもよくあるよう。
一般人でも、優しそうな人に、迷った霊がついてくることもある。
霊媒体質の人はそもそも、優しいんだそうですよ。
だから、人混みで疲れるとか、気の澱んだところに行って、なんか調子が悪い、としょっちゅうおかしくなる人は、この作法で除霊して落としてから家に入ると良いんだそうです。必ず、帰ってくれるそうです。
◆お茶湯のやり方◆
1.外出前に保温機能つきポットなどでお茶を沸かして玄関に置いておく。
2.帰宅後、不浄霊/迷った霊のために湯呑みにポットの熱いお茶を入れて、玄関のドアの外、端の右か左に置く。
3.手を合わせて、「私たちについてきた仏様、ここでお茶湯を振る舞いますので、これを飲んで元のところへお帰りください。」と手を合わせて、心で念じる。四回柏手をうち、肩腰を手で撫でるようにはらう。そして四回再び柏手を打つ。そして家の中に入る。
4,お茶が冷めたら(夜にやったら朝)、「無縁法界供養(ムエンホウカイクヨウ)」と言って、そのお茶を地に流す。マンションなら、側溝に流す。すると、地にいる未浄化霊たちがそれを飲んで、上に上がっていくことになる。
地獄界におられるような下の方ほど寒く、迷っている人たちがいるので、お茶湯によってあったかいものを飲むと、ホッとして落ち着いて、上に上がっていく一助になるとか。
霊媒体質の方はぜひ習慣化して!とのことでした。
すると、敏感な子供が落ち着いたり、うちの中のゴタゴタが収まっていくことがよくあるそうです。
面白いことに、沖縄の方言で、ウチャトーというのがあって、それは仏壇にお供えするお茶のこと。音がとても似てますよね。古い方言なので今、この言葉を使ってる人はいないそうですけど、平安時代から使われていたならば、この儀式が沖縄まで伝わっていてもおかしくないですよね。
私も、祖母がよく仏壇に欠かさずお茶をあげている姿を見て育ちましたが、こんな些細なことで、確実に帰ってくれるって、行者さんたちが言ってますので、霊媒体質系の人はやってみたらいいと思うんですよ。
私も、大学から帰るとき、たまになんか重いなぁ、と思うことがよくあるんで、この大学に来てる人を見て、僧侶だから助けてくれるって思ってはるんかな、とか思いました。
特に自分に似ている教授の授業に出席した後というのがとてつもなく重たい。キッツイです。
その教授、第一人者として、あちこちの寺で説法して回っているので、(ついてくるものがたくさん)いるんだな、そして波長が似てるから一部がこっちに来るんだな、と密かに思ってます。
単純に考えて、人は死んだ後、どうしていいかわからなくなった場合、とりあえず宗教関係のところに行けば、なんとかなるかもしれない、と思うもんなんではないでしょうか。
そして、人通りの多いところへ行けば、一人はなんとかしてくれる人に出会えるかもしれない、と思って霊能者を探すと言います。
例え、実感がなくても、習慣化すると良いと私も思いました。
あと、結界というのは、自分がこの空間を守る、という意図を持って張るものなので、きっと、帰宅後にこうした儀式を通して、外と内の心理的なケジメ(気締め)をつけることで実際に家が守られる、家族が守られるというような意味もあるんでしょうね。
東北に行ったときに、その土地の霊能者の方が、津波で亡くなって、自分の状況がわからないまま、いくらでも迷ってる人がまだいるっておっしゃっていたのを思い出します。
表さん的には、こういうことを各家庭でしていくことで、この世に迷う方が見切りをつけて上に上がっていき、日本の土地に不成仏霊の数が減っていくことになるので、日本で人が生きやすくなるそうですんで、災害地域の方もやってみるといいかもしれません。
京都も戦乱を超えてきた街ですので、私もやり始めましたよ。
チベットの人たちって、祈りに始まり、祈りに終わると言われるくらい、祈りと共に生活があるそうなんです。
日本もかつてはそうだったんじゃないでしょうか。
だから、生活様式として、やってください、という表さんの言葉はなんか響きましたね。
28日続けると習慣化する、と言いますので、魔法瓶も買ったので、このまま続けてみようと思っています。