私は、サイキックではないとおもうの。
だって、サイキックの定義は、自分の意思で向こうと繋がり、向こうのもたらすメッセージを正確に解釈する能力だから。
わざわざそういうのを開発するために修行したことがない。
でも、18年前、霊能者のおばさんにこう言われたことがある。
「今から10年後のあなたは霊能者になっている。」
ええっ?!
確かに、妙に勘は鋭くて変な体験はする方だけども、さすがにそこまでは....というのが、その時の正直な感想である。
でもそれくらいから、ふっとした瞬間に異世界の様々なものとの交流があり、「サイキックの人たちは、こういう体験して、そういうのを見てるのね」と思うことも増えていった。
でも、自分はあくまで異界に対して受け身なので、それからだいぶ経ってはいるが、サイキックではないと思う。
そんなわけでサイキックの修行をしていないので、自分に伝えてくる存在が本当にそこから来ているのか、自分の迷いからなにかに化かされているだけなのか、確証はもてない。
勝手に確証をもったら、ある種の病気なのではないか、と思うからだ。
多分、並木良和さんもいうことが実際に当たっているので、周りは信じるし、この人正気だな、と思われるけれども、そのサイキック・デモンストレーションがなかったら、統合失調症や妄想癖を疑われてしまうだろう。
とすれば、サイキックにまで昇華していない、世の中に大勢いるだろう中途半端に受け身の霊媒体質の人は、グレーゾーンにいることが精神の迷いの元にしかならない。
確実ではない。
しかし、ときに人生を大きく変えることになる、このメッセージをどう捉えたら良いのだろう??
と、心の土台が不安定になりやすい。
そして、相談できる人もいない。
そりゃあ、悩みまくるだろう。理由も説明できないし、第一だれに相談すれば良いのか、よくわからないだろう。
だからいま表舞台に立っている並木氏や江原氏が、若い頃にちょっと勘の良い人間の領域を突っ切ってサイキックの世界に到達し、そっちの世界で生きると決めたこともすごいことだし、たまたま(偶然ではなく必然だろうけど)それにふさわしい師を見つけられたのはすごい強運。そもそも、「なんてこころの強い人たちなんだろう。」と意志力の強さには感銘を受ける。
下手をすれば、吊し上げのキリストにだってなりかねない。
科学技術が発達している世界ならではの、怖さだってあるはずだ。
でもそれでも、この道を歩んでいく覚悟があるというのは、彼らを下支えしている信念があるからなんだろうな、とも思う。
私は、どちらかというと、そういう方たちとは違い、父親の教えから、基本的に「確定」すると可能性を閉じる、と考えているので、すでに決めたことでも、何度でも自分について懐疑するので、一旦こうだ、と思っても、いやいや、こういう見方もあるよな、と検討して壊しながら、新たに構築している。つまり、むちゃくちゃ不安定な信念体系を、毎度、地ならししながら進んでいる。
それでも、向こう側からやってくるメッセージというのは不思議なもので、自分の意思や自分が考えて作ったんではないとわかる、まったく異質な思考や確固とした意思力がやってきて伝えてくるので、霊夢なら霊夢で目覚めてもしっかり覚えているし、その意思を疑う、ということはできないぐらい、確信的なものになる。
で、自分の検討する性格を向こうが知り抜いているのか、その裏付けをちゃんと示してもくれる。ここ何年かの、それというのが、聖者だったり、並木良和さんが、数日前に私のガイドがいったことと全く同じことをしゃべる。という現象。
これは、本当に不思議でね〜
あ、このあいだ、言われたこと、彼がそのまま語ってるわ
と、もうそのままなんだよね。
だから、彼がいうことは、自分にとってはほとんど新しいことではないし、自分のガイドが言ったことは作り事じゃないってことだね、という、確認事項みたいになってるんだよね。
並木さんとはあまりに共通項が多すぎて、逆に不一致点を探すことの方が難しい。だからか絶対におなじ故郷で知り合いだった、という確信がなぜかある。
これは、並木さん側からも言われないと、確信が持てない話なのだが、
ある時「お久しぶりぶり〜!!元気してた〜?」とむちゃリアルな存在感で夢枕に立ったことがあって、「あ、やっぱりそうだ、昔、友達だったな、だから似てるんだよな。」と思い出したことがあった。
安倍晴明ワークも本来は参加しないんだけど、「五芒星」は自分のガイドが大事にしろと言ったサインなので、五芒星を追った結果、ここになにかある、と感じて、晴明のワークショップに参加することになったようなものなんだよね。
そのとき、並木さんが言ったのは、「このワークショップに参加した、全員が過去みんな修験者だったり、密教に仕事としてかかわった人たちだからね!自分だけはちがう、っていうのは、絶対違うよ。100%そうだからね!陰陽道に近いものを全員が使ってたんだからね。」
って、確信もって断言してて
「うわ、やっぱり、自分も混じるのか!」って思った。
そうなんだよな。
学んでいても、なんか真新しいものや異質なものに感じない。それどころか、自分が使える気がしている。
でもそっちいっちゃ、まずいんじゃないか?
.....っていう常識が邪魔してるだけなんだよね。
並木良和さんを知ったのも、自分が算命学を学んだずっと後だったんで、自分が算命学は本来こういうものなんだよ、と思ってる源流の算命学と並木さんの言ってることは、矛盾が全くないことにそもそも驚いた。
算命学の知識や技法の知識をごそっとぬいて、源流の算命学の世界を語れば、並木さんの語り口調そのままになるだろう。
絶対に偶然の一致ではない。
真理だからそうなのだと思う。
それが、私が並木良和さんに、アンカーを置く理由でもある。
私か並木さんのどちらかが中心点からブレたら、違和感としてすぐに気づけるからだ。彼はそういう役割をする仕事をしている。
今ある日本の算命学は、密教を背景に持つ源流の算命学とはだいぶ違う。
それは算命学の歴史の流れを霊視してくれた、サイキックの方も言っていた。
おそらく現代日本人が密教世界の理解がなかったために、いじってしまったものがかなりある。
その改変させられたものをどんどん習得し、追求していった先に、それが本来持つ、知恵の樹がつけた実・生命力が消えていった。
自分が過去生でつかっていたものとは形は似てるけど、全く別物だ。
そういう強い思いがわたしにはある。
だから、各流派の説明を読んで、この技法は違う、この解釈は違う、とはっきりわかり、確信を持って切り捨てたものもたくさんあって、その根拠は全て過去の経験からのものだと思う。
そういう点で、既存の日本の算命学の流派で習った人たちには、?もあるかもしれない。
でも、全て細かく一人一人に説明していく時間はないし、それを教えていく義務もないので、実学算命学は、全員に認められる必要はなく、そこに直感的に共感してくれる人に必要とされれば良いと思ってるんだよね。
で、その安倍晴明のエネルギー・ワークの時、晴明から巻物を渡されるというビジョンがあって、その巻物がどんな形のものかという説明を、並木さんがするんだけど、そのワークの最中、衝撃的なことを知った。
巻物の外見を聞いていて「あ、その巻物、しってるわ。見たことがある。」と思ったんだよね。
そう、自分が鑑定学校に入る数年前に見せられたガイドのメッセージの夢の中で、自分が依頼人に開いて説明していた時の巻物だ。
鑑定士にならなくてもいい、とその際、ガイドには言われたけど、私はまさにこの巻物を開いて、依頼人に説明していた。
並木さんは、「この巻物は、人生のブループリントです。」と説明した。
それをみて、私が一瞬動きを止めたのは言うまでもない。
ブループリントだって!!?
そうだよ、まさに、いま自分がやってることって、そのまんまじゃないか!!
って、衝撃を受けたんだよね。
わたしがやっていることは、あなたはこういう人間です、と占いを使って正確に現象を当てているんではない。相手の人生のブループリント(巻物)を広げてみせて、説明しているだけ。
そういうことかよ!!
と、その先の言葉は出なかった。
深くは有料ブログで説明させていただいたけど、要するに「天意を読む」ということだ。
五芒星を追って、安倍晴明氏のところへ来て、そしてわかった巻物の正体。
そしてこれは相当前からこの未来図は示されていたということだ。
直接的にコミュニケーションをとる並木さんの話では、晴明氏は「道を極めるもの」だけを相手にする方らしい。中途半端なファン精神では、彼はスルーするそうで、どんな道でも良いから、一途にそれを追っていこうとするものを導いてくれるのだそう。
陰陽道はまさに陰陽五行の世界で、国は違うけど式神などもチベット密教では、違う呼び名で普通に使われている。チベット密教とダイレクトに繋がるモンゴルもそうだろう。
己の道を、極めろ。
そういうことか。
だから、晴明さんに呼んでもらったのか。
これまでの一連の流れがクリアになってきて、一般レベルでプラプラしていたいという自分のなかの個人的な葛藤とどう話し合うか、みたいな感じで、いまどう生きるのか覚悟を迫られているのと同じなのだな、と思った。
庚戌は、強い刀の日干支だ。
覚悟を迫る。
自分の中の思考の整理やこれからについて、真剣に考えなくちゃいけないだろう。晴明氏のメッセージをがっちり受け取って、ただいま変革期である。