自分の性格の悪さを認めることで得られるもの

自分の性格の悪さを認めることで得られるもの

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コラム
今回ブログが書けなくなったのは2つ理由がある。

1つ目は、メモ帳に書き貯めていた文章がPCの電源が落ちたことで飛んでしまったため。
2つ目は、その飛んでしまった文章が上っ面な内容だったので、頭の中にはああるけど再現しようと思えなかったため。

上っ面。

不愉快で、優しくて心地よく、攻撃してくる。

「なんでも相談してね」と口にして後で送ってくる文面も優しいが、語気に嫌悪感を感じる。
本人すら気づいていない感情の根っこが私を攻撃してくる。

「嘘はつけない」という嘘。
嘘をつけないといいながら今日話した会話の中にいくつ嘘があるのか。
自分をよく見せる嘘、人に気分よくなって貰うための嘘。

心配して連絡をしたら旦那や義母の悪口を言う。
私はあなたのサンドバッグじゃない。
私が何百万もウンセリングにお金をかけて暗い話をしないようにしているのに、自分は人の悪口を無料で私にするのか。
でも彼女の締めの言葉アはいつも「お義母さんに感謝している」。
なんて上っ面な言葉なんだ。
嫌いならさっさと別れればいいのに。
「子供のため」に別れない。
本当は自分のためのくせに。

欺瞞。欺瞞。欺瞞に満ちている。

自分と向き合わないから、自分の醜いところを見ようとしないからそうなる。

自分の醜い一面は見たくない。痛いから。
いいところだけ見れば気持ちいから。

でも、本当は気づいているんじゃないか?

自分にも、自分の嫌いな人と同じように醜い面があることを。
嫌いな人は自分を写し出す鏡だということが。

本当は自分の性格の悪さに気づいているんじゃないか?

なのにいいところしか見ようとしていない。

他人によく見せようと必死なのではなく、自分によく見せようとしているのではないか。

そろそろ自分の性格が悪いことを認めてもいいのではないか。

自分のいいところ・悪いところ全てを認め許すことが自己受容なのだと思う。

自分の性格の悪さを認めない限り、いつまで経っても自己受容はできない。
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