Étoile Nouvelle 莉那のえるです。
私の過去のお話をしたいと思います。
「誰かのせいで、自分がこんなに傷ついているんだ!」と思ったこと、ありませんか?
私は昔、ずっとその気持ちを抱えて生きていました。
特に、親のせいで自由が奪われたと思い込んでいた時期がありました。
厳しすぎる家庭環境の中で
私の家は、いわゆる「厳格な家庭」でした。
母は専業主婦で、いつも私を見張っているようでした。
成績を常にチェックし、誰とは仲良くしていいけど、誰とはダメなど友達付き合いにも口を出してくる。
父は帰りが遅く、家庭内ではあまり話をしませんでしたが、母の「教育方針」に口を出すこともなく、全てを任せていました。
子供の頃から、私の一日は決められたルールでぎっしり埋まっていました。
塾通いは当たり前、家では自習。
やりたいことを聞かれることもなければ、遊びたいと頼んでも、無下に却下されるのが常でした。
学校でも、友達が自由に遊んでいるのを見ては、「なぜ私だけ?」と不満を抱き続ける日々。
どんどん家に対する反発心が強まり、中学・高校と進むにつれて、家庭内での関係は冷え切っていきました。
学生時代のいじめと親への反発
親への不満が増す一方で、学校でも辛い経験が続きました。
中学時代、私の服装や持ち物が他の子と違うという理由で、些細ないじめが始まりました。
決して目立つ方ではなかった私ですが、親が決めた服装や鞄のせいで「堅苦しい」と言われ、からかわれ、距離を置かれるようになったのです。
最初は無視される程度でしたが、次第に物を隠されたり、冷たい視線を浴びせられたりすることも増えていきました。
家に帰って親に相談する勇気もなく、「親がもっと普通の家庭だったら…」と自分を納得させるしかありませんでした。母が「変わり者の子と付き合うな」と言った日から、私は友人との距離も感じ、孤独を深めていきました。
家でも学校でも居場所を失った私は、ますます「親がこんなふうに育てたから!」と両親を責めるようになりました。そして、社会人になって数年後に会社の寮に入り、実家から出て親との関係を絶ち、離れて生きることを決意しました。
母からの「ごめんね」で気づいた真実
社会人になっての会社の寮生活は新しい出会いや自由に満ちていたものの、心の中にはずっと「両親を許せない」という思いがこびりついていました。
そんな時、ある日、実家に帰った際にふと母から「ごめんね」と謝られることがありました。
最初は戸惑いました。私を抑圧してきた母が、なぜ今さら謝るのかと。でも、その言葉をじっくり受け止めてみると、母の声には、ただ心配していただけの母の心が垣間見えました。
彼女も不完全な人間で、親としてどうすれば良いか悩み、必死だったのです。
その瞬間、これまで両親を責め続けていたことで、私自身も両親を深く傷つけていたんだと理解しました。
私が「親のせいで!」と思うことで、実は親の心にも深い影を落としていたのです。
親の「完璧じゃない」愛に気づいたとき
「親も人間なんだ。完璧じゃないんだ。」
その気づきは、私にとって大きな転機でした。すると、心の中で何かが溶けていくように、両親へのわだかまりが少しずつ消えていきました。
それからは、少しずつ親との関係を修復し、過去の出来事を少しずつ話し合うことができるようになりました。今では、「親が厳しかったおかげで、今の私があるんだな」と感謝の気持ちも生まれました。厳しい中でも、私の未来を心配して一生懸命だったのです。
いじめや心の病、困難を乗り越える中で
もちろん、親との和解だけが私の成長のすべてではありません。その後も、大切な人の病気や仕事の問題、心の病など、いろいろな試練が私を待っていました。
仕事のプレッシャーに押しつぶされそうになり、何度も「もうダメだ」と思う瞬間がありました。
でも、その度に立ち止まって「今、この瞬間の自分をどう満たせるだろう?」と考えました。小さなことでも、自分を労わり、いたわることの大切さに気づいたのです。そうやって少しずつでも前に進むことで、心のバランスを取り戻していきました。
辛い経験があったからこそ見える景色
振り返ると、今ここにいるのは、すべての経験があったからこそ。辛いことも悲しいことも、その全てが「私」という存在を形作ってくれました。
そして、もし今、あなたが親との関係やいじめなどで悩んでいるなら、私の経験が少しでも希望になることを願っています。
心の氷を溶かして、一歩ずつ前に進んでみませんか?あなたの「本当の幸せ」に向かって、一緒に歩んでいきましょう。
ご相談、お待ちしています。