私はよく名前を間違えられる。
嫁いだ先の苗字が、某有名企業(とボカシておきます)の発音に近いため、体感、初対面の4人に1人は間違って呼ばれます。
慣れたから全然気にしてないんですが、困る場面もあるにはあります。
・病院
⇒もし万一誰かのカルテと取り違えられたらと思うとぞっとします。
・公的書類
⇒これも場合によって別人扱いされるかも。
これだけ間違えられる頻度が高いと、”名前って何だろう”とも思います。
某漫画にも”諱(いみな)”という概念が出てきます。
本名というのは自分そのもので、人に教えてはならない。という考え方ですね。
ジブリの”千と千尋の神隠し”でも、名前の一部を奪われ、自分が誰だったのか思い出せなくなってしまいます。
自分という人生は自分の名前と共に歩んできているので、名前を捨てるというのは自分を捨てることと同義ということですね。
そのくらい名前というのは大事なものです。
逆に特に困らない場合は、
・レストランの待ち客名簿
⇒なんならゲームの登場キャラを書いている人もいるくらい、どうでもいい。
だって間違ってよばれても”私だ”ということさえ分かれば何も問題ない。
「私」を呼ばれていることが分かれば
”山田さん”でも
”小鳥遊さん”(⇐これわかります?小鳥が遊んでるので、鷹無し・タカナシさんと読みます)でも
”マリオさん”でも
”紫式部さん”でも
いいわけで。
旦那には「なぁなぁ、」としか呼びかけられませんしねw
さてでは、通称ってどうでしょう?
・ニックネーム
・SNSでのアカウント名
・仕事上でのみ使うビジネスネーム
これらもやはりその名前で長く活動していると、自分のアイデンティティと共に名前も生きているので相当大事ですね。
芸能人の芸名などはまさにそうです。芸能人ともなると、本人も本名の方が違和感を覚えてしまうかもしれません。
これらはやはり活動量と認知度が大きくかかわってくると思います。
使い捨てのように名前を変えていく人もいるでしょう。
SNSでは”裏垢”を使い分ける人もいて、名前に対する感じ方考え方も相当多様になっている気がします。
LINEのオープンチャットなどはその典型かなと思います。参加するためだけの思い付きの名前を使用します。同じ名前がいれば区別するために数字や記号、仮名をローマ字にしたり。
ゲームでもそうですね。某超絶有名ゲームアプリでは、アカウント作成時に様々なものを試すも「そのアカウント名は使用されています」と言われ続け、もうアイデンティティだかなんだかわからない「これ誰?」というアカウント名に落ち着いたりします。
ニックネームなどもそう。はじめについたニックネームから日に日にどんどんと進化し続け、原形をとどめないニックネームに落ち着き、その後に知り合った人に説明できないニックネームになってたりします。
でも。
それは使い続けることで自分のアイデンティティになります。
逆を言えば使い続けていない名前はただの記号でしかない。
つまり名前は名付けた人間の意図に反して、周囲の反応や年月によって変化し、変化したものが定着することがあるもの。
間違われても、その名づけ時の意図や思いを大事に持ち続け、ずっと共に生きていくことで自分の名前として育っていくもの。
あなたのアイデンティティは何ですか?その名前そのものですか?その名前とともに過ごした年月も含めての自分なのですか?
使い続けていない名前はただの”記号”。
芸能人などはわかりやすいかなと思います。
たとえば”IMALU”さんとか”くっきー!”さんとか。
売れていないうちは「? 何? 人の名前?」みたいな反応になりますよね。
たぶん呼び間違い、書き間違いはたくさん経験されたんじゃないかと思います。
いまる(ひらがな)
いるま(ひらがな&違う)
IMARU(RちゃうしLやし)
クッキー(カタカナ&”!”なし)
くっきー。(”!”だし)
・・・・・
「いまるってさー、すごいんだよね」
「クッキーのお笑い、めっちゃ好きやわー」
こんなやりとりが日本中でいくらでもされていることでしょう。
これを見て、
「ちがうよ!”IMALU”だよ!」
「ちゃうで、”くっきー!”やで」
とかイチイチ言い直しますか?またはご本人は訂正するでしょうか?
私は”しない”と思います。
最初、”名前はアイデンティティだ”と述べました。
しかし”記号”だとも言いました。
たとえば上記のような会話があったとして、訂正する意味は?
本人のアイデンティティを守るためでしょうか。
上記の会話が為されているとき、会話の本質は”すごい”という部分、”めっちゃ好き”という部分のはずです。
”すごい”が何にかかっているか⇒IMALU
”めっちゃ好き”が何にかかっているか⇒くっきー!
ということがわかれば問題ないわけで、
もし世の中に”いまる””クッキー”という有名人が別に存在するのならば問題になりますが、いないので問題ありません。
ですよね?
文脈を読めば、誰を指しているかはわかるのですから。
たとえば、声に出したときはどうでしょう?
いまる・IMALU・イマル
くっきー!・クッキー・くっきぃ
どう呼んでも、日本語ではほぼ同じように発音するわけです。
では「いまるさん!」「クッキーさん!」と呼ばれた時のアイデンティティは守られてるのですか?
名前は”記号”と思うのはそのためです。
アカウント名「kukki-15」さんがいたとします。
同じゲーム内で遊んでいて、「kukki-15さん!援護して!」とか「くっきー援護!」とか言われたとして、前者しか援護しないとかありますか?どちらも援護するでしょう。
「わたしは”くっきー”ではないので、わたしに頼んだんではないよね?」とか言ったとしたら、もう一緒に遊んでもらえなくなると思います。
もし、「おい、サブレ!援護!」とか言ったとしたら突っ込まれるかもしれません。
「いや、kukki-やし」
そりゃそうですよね。もはや誰かわからないレベルです(まぁ予測でわかるでしょうが)(そして関係性にもよるでしょうが)。
では上記のような場合の”名前”とは何なんでしょうか。
・つけたいアカウント名は誰かと被ってるから、ほんで記号は使えないから、本当は「くっきー!」にしたかったのに「kukki-15」になってしもた…
・一緒に遊んでる奴には、最近はとうとう”サブレ”と呼ばれる始末…
このひとのアイデンティティは”くっきー!”の中にあるのか?”kukki-15”の中にあるのか、はたまた”サブレ”にあるのか…。
なんてことを
とりとめもなく考えていたら、名前って
自分と相手の間にあって、お互いがわかっていれば少し違っても成り立つし、役目はそれではたしているのかな~
と思います。
決して
「わたしはクッキーじゃありません!プンプン」と
ケンカを始めるための口実ではありません。
仏も名前も自分の心にあるもの。
「わたしは自分の名前に誇りを持っています。だからkukki-15と呼んでくださいね^^」
↑これで良くありません??
ちなみに
私は女性で、結婚するときに相手の苗字に改名しています。
結婚前から勤めていた会社では旧姓で呼ばれ続けたので、本名に慣れるのにずいぶん時間がかかりました。
私のアイデンティティは旧姓にあるのか、今の名前にあるのか??
以上!!