「不公平感」という、これなんでしょうか?

「不公平感」という、これなんでしょうか?

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コラム
こんばんは、みなと です。

今日の話を「介護」と言うには、おこがましいのかもしれません。

でも、高齢の親と暮らしていると、毎日の中に小さな役割がたくさんあります。

三度の食事を作る
洗濯をする
話を聞く
病院の予約を確認する
冷蔵庫の中身を気にする
で、「ジュース、もうないんだけど」と言われて慌てて買う

一つ一つは、大したことではない。
でも、それが毎日続くと、地道に心が削られていきます。

その中でも、いちばんしんどいのは「話を聞くこと」。

身体的には何も重くないのに、気持ちだけが消耗していきます。

同じ話が何度も繰り返される
こちらの話は途中で消えてしまう
気づけば、会話というより“受け止めるだけの時間”になっている

ああ、またか
もうわかったよ

そう思ってしまう自分にも、少し疲れていきます。

そして、ふと思うことがあります。

お母さん

私をいつも守ってくれたお母さん
昔は、私を守ってくれた人だったはずなのに
いつの間にか、対等に話せない距離になっていく

それは仕方ないこと

それは分かっているのに、気持ちが追いつかないときがあります。

テレビのクイズ番組をみて、「〇〇!!」と答えを一番に言い
正解なら「ほらね」という自慢顔
不正解なら知らん顔

いつから「子供」みたいになっちゃったの?


そんな母を「かわいいね」「元気そうでよかった」と言えない親不孝者がここにいます。

そこに、もうひとつ現実があります。
家族の役割の違いです。

私には姉がいます。
姉は車を持っているので、通院の付き添いや外出の手伝いをしてくれます。
必要な時、入院費や急な入用なもののお金を出してくれたり。

とてもありがたいことです。
それは本当にそう思っています。

でも、だからこそ言いにくくなることがあります。

姉はいつも穏やかで、機嫌がいいように見えます。
私は日々の細かいことに追われて、気づけば余裕がなくなっている。

姉が楽をしているわけではないし、私が損をしているわけでもない。
ただ、担っているものの種類が違う。

お金で支える役割
日常を支える役割
どちらが重いかは、比べられません

でも、「毎日そこにいる人にしか見えない疲れ」は、確かにあります。

いつでも動けるようにしておくこと
自分の予定を後回しにすること
相手の状態をずっと気にしていること

そういう目に見えない負担は、積み重なるほど静かに重くなって

そして気づくと、心の中に小さく

「なんで私ばっかり」

という気持ちが出てきます。

情けないな、と思います。
姉のことも嫌いじゃないし、母のことも大切なのに。
そんなふうに思ってしまう自分がいます。

でも本当は、誰かを責めたいわけではないのだと思います。

ただ、この「説明しにくい不公平感」を、どこにも置けないまま抱えているだけなのかもしれません。

もし同じように感じている方がいたら、
それは特別なことではないのだと思います。

ちゃんとやろうとするほど、しんどくなることもあります。

うまく言葉にできなくても大丈夫
整理できなくても大丈夫

ただ、気持ちをそのまま話せる場所があれば
あの日の私が救われたと思って、
不慣れながら「ココナラ」の電話相談を始めて、ここにいます。

本当にしんどい
誰もわからないでしょ
かみさまはいない
たすけてよ

そう思ってきた夜は私にも数え切れなくあって、
でも、寝なきゃ仕方ない

明日はきっといい日になる
そう呟いて(言霊ってあるらしいです)

今日は寝ましょう
私もあなたも

おやすみなさい。
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