何もしていない罪悪感
オンラインカウンセリングの画面越しに、ユキさんは小さくため息をついた。
「あの、先生……私、本当にこのままでいいんでしょうか」
画面の向こうで、少し困ったような笑みを浮かべている。その表情には、焦りと不安が滲んでいた。
ダイキ「どうしたんですか?何かありました?」
ユキ「いや、何もないんです。それが問題で……」
そう言って、ユキさんは言葉を詰まらせた。
ユキ「退職して、もう8ヶ月なんです。最初の頃は『休もう』って思えてたんですけど……最近、友達が転職成功した話とか聞くと、自分だけ取り残されてる気がして」
ダイキ「取り残されてる、ですか」
ユキ「はい。毎日、カフェ行ったり、散歩したり、たまに単発バイトしたり……でも、それって『何もしてない』のと同じじゃないですか」
その言葉には、深い自己否定が込められていた。
ダイキ「『何もしてない』……ユキさんは、何かをしてないと、ダメだと思うんですか?」
ユキ「......そうですよね。だって、周りはみんな頑張ってて。私だけ、ただ時間を浪費してる気がするんです」
手の中にあるもの
ダイキ「ユキさん、ちょっと聞いてもいいですか。この8ヶ月で、何か楽しかったことはありますか?」
ユキ「楽しかったこと......?」
ユキさんは少し考え込んだ。
ユキ「うーん、そうですね……ああ、そういえば先月、知人に頼まれて小さなイベントのフライヤー作ったんです。報酬はほとんどなかったんですけど」
ダイキ「それ、楽しかったんですか?」
ユキ「楽しかったです。久しぶりにデザインして……あ、でもそれって『仕事』じゃないし、ちゃんとした『キャリア』には繋がらないですよね」
ダイキ「...どうして、そう思うんです?」
ユキさんは一瞬、言葉に詰まった。
ダイキ「ユキさんは、今『手の中にあるもの』を見てないんじゃないですか。デザインのスキル、知人とのつながり、時間的な余裕……それって、すごく価値があるものだと思いますよ」
ユキ「でも……それだけじゃ、何も始まらないじゃないですか」
ダイキ「本当にそうでしょうか」
偶然の連鎖が始まる瞬間
それから2週間後、ユキさんは少し表情が明るくなっていた。
ユキ「先生、聞いてください。あのイベントのフライヤー、SNSで結構反応があって……それ見た別の人から、『うちのカフェのメニュー表作って』って依頼が来たんです」
ダイキ「それはすごいですね」
ユキ「しかも、そのカフェのオーナーさんが『実は新しい事業考えてて、ブランディング手伝ってくれない?』って」
ダイキ「おお、それは……」
ユキ「でも、私、ブランディングとかちゃんとやったことないし……失敗したらどうしようって」
ユキさんの声には、期待と不安が混ざっていた。
ダイキ「ユキさん、もし失敗したとして、失うものって何ですか?」
ユキ「えっ……?」
ダイキ「たとえば、この仕事を受けて、うまくいかなかったとします。その時、ユキさんが失うものって、具体的に何でしょう」
ユキさんは、しばらく黙って考えた。
ユキ「......時間、ですかね。あと、相手からの信頼?」
ダイキ「時間はどのくらいですか?」
ユキ「1ヶ月くらい……いや、もっと短いかも」
ダイキ「なるほど。で、その1ヶ月を使って、もし失敗したとしても、ユキさんは何か得るものがあると思いますか?」
ユキさんは目を丸くした。
ユキ「......経験、ですよね。ブランディングの経験」
ダイキ「そうですね。失っても大丈夫な範囲で、小さく始めてみる。それって、すごく大事なことだと思います」
ユキ「......やってみます」
その言葉には、少しだけ決意が込められていた。
予測不可能な展開
1ヶ月後、ユキさんの表情は一変していた。
ユキ「先生、すごいことになってます」
ダイキ「どうしたんですか?」
ユキ「あのカフェのブランディング、やってみたんです。そしたら、オーナーさんがすごく喜んでくれて……それで、『実はこれ、地域の若手起業家を支援するプロジェクトの一環なんだ』って」
ダイキ「え、そうだったんですか」
ユキ「知らなかったんです、私。でも、そのプロジェクトの他のメンバーにも紹介されて……気づいたら、3件も依頼が来てて」
ユキさんは興奮気味に話し続けた。
ユキ「しかも、そのうちの1人が『デザイナー探してたんだよね。一緒に事業やらない?』って」
ダイキ「それは……すごい展開ですね」
ユキ「ですよね!? でも、正直、戸惑ってます。私、起業とか考えたこともなくて……」
ダイキ「ユキさん、1ヶ月前を思い出してください。あの時、何か『こうなる』って予測してました?」
ユキさんは首を横に振った。
ユキ「全然……」
ダイキ「でも、起きたんですよね。ユキさんが小さく一歩踏み出したから」
レモンからレモネードを作る
2ヶ月後、ユキさんはまた違う表情で画面に現れた。少し疲れているようにも見えたが、目には力があった。
ユキ「先生、実は……あの事業の話、ちょっと変わっちゃって」
ダイキ「どう変わったんですか?」
ユキ「最初は『カフェやイベントのブランディング支援』っていう話だったんですけど……メンバーで話してるうちに、『キャリアブレイク中の人が、自分のスキルを活かして小さく稼げる仕組み』を作ろうって方向に」
ダイキ「それは……面白いですね」
ユキ「ですよね。でも、当初の計画とは全然違うんです。最初のパートナーは『それは違う』って離れちゃって……」
ユキさんの声には、少しの寂しさがあった。
ダイキ「それで、今はどうなってるんですか?」
ユキ「新しいメンバーが2人加わって、むしろ前よりいい感じなんです。一人は元人事の人で、もう一人はエンジニア。『キャリアブレイク中の人のスキルマッチングプラットフォーム』を作ろうって」
ダイキ「予定外の展開が、かえって良い方向に?」
ユキ「そうなんです。すっぱいレモンを渡されたと思ったら、レモネードになってた、みたいな」
ユキさんは、初めて心から笑った。
パイロットとして飛ぶ
それから3ヶ月後。ユキさんは、もう以前のユキさんではなかった。
ユキ「先生、テストローンチしました」
ダイキ「おめでとうございます」
ユキ「ありがとうございます。登録者、まだ50人くらいですけど……でも、すでに10件くらいマッチング成立してるんです」
ダイキ「それはすごい」
ユキ「最初、『こんなサービス、需要あるのかな』って不安だったんですけど……キャリアブレイク中の人って、思ってた以上に多くて。みんな、『スキルはあるけど、どう活かしていいかわからない』って言うんです」
ダイキ「ユキさん自身が、8ヶ月前に感じてたことですね」
ユキ「......そうなんです」
ユキさんは、少し感慨深そうに言葉を続けた。
ユキ「あの時、『私は何もしてない』って思ってたけど……実は、全部が繋がってたんですよね。カフェ巡りで見たお店のデザイン、散歩中に思いついたアイデア、単発バイトで出会った人……」
ダイキ「それが、今の事業の種になってるんですね」
ユキ「はい。しかも、もう『未来を予測しよう』とは思わなくなりました。どうせ予測通りにはいかないし……それより、今目の前にあることを、自分でコントロールしていく方が楽しいんです」
その言葉には、確かな手応えがあった。
夏休みの終わり、そして始まり
最後のセッション。ユキさんは、穏やかな表情だった。
ダイキ「今日で最後のセッションですね」
ユキ「はい。先生、本当にありがとうございました」
ダイキ「ユキさん、最初のセッションを覚えてますか?」
ユキ「もちろんです。『私、何もしてない』って泣いてましたよね……恥ずかしい」
ダイキ「あれから、どのくらい経ちましたっけ」
ユキ「......ちょうど半年です」
ダイキ「半年で、ここまで来ましたね」
ユキさんは、少し照れくさそうに笑った。
ユキ「でも、これって『人生の夏休み』が終わったってことですかね」
ダイキ「どう思いますか?」
ユキ「......いや、違うかも。『夏休み』って言うと、『ただ休んでた期間』みたいに聞こえるけど……実は、新しい何かが生まれる前の、準備期間だったんだなって」
ダイキ「準備期間、ですか」
ユキ「はい。種を蒔いて、水をやって、芽が出るのを待つ時間。それって、ただボーッとしてたわけじゃなくて……ちゃんと、何かが動いてたんですよね」
ダイキはゆっくりと頷いた。
ユキ「今、うちのサービスに登録してる人たちも、みんな同じだと思うんです。『何もしてない』って焦ってるけど、実は、すごい可能性を持ってる」
ダイキ「ユキさんが、それを証明したわけですね」
ユキ「......そうだといいんですけど」
少し間があった。ユキさんは、何かを思い出すように、ゆっくりと話し始めた。
ユキ「先生、最初のセッションで言われたこと、覚えてます。『手の中にあるものを見てない』って」
ダイキ「ええ」
ユキ「あの時は、正直ピンと来なかったんです。でも今なら分かります。私、ずっと『大きな何か』を探してたんですよね。でも、必要だったのは、今ここにあるものを組み合わせることだった」
ダイキ「それが、エフェクチュエーション的な考え方ですね」
ユキ「エフェクチュエーション......?」
ダイキ「起業家が実際に使っている思考法です。未来を予測するんじゃなくて、今あるものから始める。失っても大丈夫な範囲でリスクを取る。偶然の出会いを活かす。予想外の展開を機会に変える。そして、未来を自分でコントロールしていく」
ユキ「......まさに、私がやってきたことですね」
ダイキ「そうです。ユキさんは、理論を知らないまま、それを実践してたんです」
新しい産業の誕生前夜
ユキ「先生、最近思うんです。『キャリアブレイク』って、単なる空白期間じゃなくて、新しい働き方を作る実験期間なんじゃないかって」
ダイキ「面白い視点ですね」
ユキ「だって、会社員やってた時は、『こういう働き方しかない』って思い込んでたけど……辞めてみたら、色んな可能性が見えてきたんです。フリーランス、複業、起業、パラレルキャリア……」
ダイキ「選択肢が広がったんですね」
ユキ「はい。しかも、私だけじゃなくて、うちのサービスに登録してる人たちも、みんな同じことを言うんです。『キャリアブレイクして、初めて自分の働き方を考えられた』って」
ユキさんの目には、確かな光があった。
ユキ「もしかしたら、私たちは新しい『産業』の入り口に立ってるのかもしれないって、最近思います」
ダイキ「新しい産業、ですか」
ユキ「はい。『人生の夏休み』を、『新しい働き方を探す実験期間』に変える産業。それを支える仕組み。まだ小さいけど……でも、確かに動き始めてる気がするんです」
その言葉には、未来への希望が込められていた。
エピローグ:1年後
ユキさんからメッセージが届いた。
「先生、報告です。登録者が500人を超えました。マッチング成立は200件以上。月の売上も、やっと生活できるレベルになってきました。
でも、一番嬉しいのは、『ここで出会った人同士が、新しい事業を始めた』っていう報告が増えてることです。まるで、小さな種がいっぱい芽を出してる感じ。
あの時、『何もしてない』って泣いてた自分に、『大丈夫だよ』って言ってあげたいです。
先生が教えてくれたこと、忘れません。『手の中にあるものから始める』『失っても大丈夫な範囲で試す』『偶然を味方につける』『予想外を機会に変える』『未来は、自分で作る』
これからも、この5つを大切にしていきます。
本当に、ありがとうございました。」