言葉にできない想い
カウンセリングルームに入ってきた彼女は、どこか緊張した面持ちだった。
クライエント「あの...こんなこと相談していいのかわからないんですけど」
ダイキ「大丈夫ですよ。どんなことでも話してください」
彼女は少し躊躇してから、ゆっくりと話し始めた。
クライエント「マッチングアプリを始めて、もう3ヶ月くらいになるんです。プロフィールを見ていいねをくれる人は結構いて、マッチングもするんですけど...」
ダイキ「マッチングはするんですね」
クライエント「はい。でも、メッセージのやり取りが全然続かなくて。何を書けばいいのかわからないし、相手から返ってきても、どう返せばいいのか...」
彼女の声は次第に小さくなっていった。
クライエント「なんか、私...言葉が下手なんだと思います」
その言葉を口にした瞬間、彼女の目が少し潤んだ。
ダイキ「言葉が下手、ですか」
クライエント「そうなんです。友達とは普通に話せるんですけど、恋愛となると、途端に何を言っていいかわからなくなって」
原始時代から変わらないもの
ダイキ「ちょっと不思議な質問かもしれないんですけど、人間っていつから言葉を使うようになったと思いますか?」
クライエント「えっ...?」
彼女は予想外の質問に戸惑った表情を見せた。
ダイキ「私たちの祖先、原始時代の人たちも、言葉でコミュニケーションをとっていたんですよね」
クライエント「まあ、そうですよね...」
ダイキ「でも、その時代、恋愛で使う言葉って、今ほど複雑じゃなかったかもしれない。『この木の実おいしい』とか『あそこに獲物がいる』とか」
クライエント「......確かに」
ダイキ「それが何万年もかけて、『あなたといると幸せです』とか『将来の夢は何ですか?』とか、すごく複雑な感情を言葉で表現するようになった」
クライエント「言われてみれば...言葉って、すごく進化してますよね」
ダイキ「そうなんです。でも面白いことに、私たちの脳や感情は、原始時代からそんなに変わっていないんです」
クライエント「どういうことですか?」
ダイキ「つまり、私たちは複雑な言葉を使えるようになったけど、心の奥底では、もっとシンプルなコミュニケーションを求めているところがあるんじゃないかと」
彼女は少し考え込むように、視線を落とした。
完璧な言葉なんてない
ダイキ「マッチングアプリで、どんなメッセージを送ろうとしてるんですか?」
クライエント「えっと...相手のプロフィール見て、趣味のこととか、好きなこととか...でも、なんか上手く書けなくて。変に思われたらどうしようって」
ダイキ「変に思われたら、って?」
クライエント「......なんか、つまらない人だと思われそうで」
彼女は俯いた。
ダイキ「完璧な言葉を探してるんですね」
クライエント「そう...なのかもしれません」
少しの沈黙が流れた。
ダイキ「友達とはどんな話をするんですか?」
クライエント「えっ? 普通に、今日あったこととか、愚痴とか...特に何も考えずに話してます」
ダイキ「その時、完璧な言葉を選んでますか?」
クライエント「......いえ、全然」
ダイキ「でも、友達とは会話が続くんですよね?」
クライエント「はい」
ダイキ「何が違うんでしょうね」
クライエント「......安心してるから、かな」
その言葉が出た瞬間、彼女ははっとした表情になった。
言葉は武器じゃなくて橋
ダイキ「言葉って、よく『武器』って言われますよね。相手を口説くための武器とか」
クライエント「はい...私も、そう思ってました」
ダイキ「でも、もしかしたら、言葉は武器というより、橋なのかもしれない」
クライエント「橋...ですか?」
ダイキ「自分と相手をつなぐ橋。その橋は、完璧じゃなくてもいいんです。少しガタガタでも、ちゃんと渡れれば」
クライエント「ガタガタでも...いいんですか?」
ダイキ「逆に、完璧すぎる橋って、怖くないですか? 高速道路みたいな立派な橋より、ちょっと揺れる吊り橋の方が、一緒に渡ってる感覚がある」
彼女は少し笑った。
クライエント「確かに...」
ダイキ「友達と話すとき、完璧じゃないけど、ちゃんと気持ちが伝わってますよね?」
クライエント「はい」
ダイキ「それは、『伝えよう』としてるからだと思うんです。『完璧に言おう』じゃなくて」
過去に埋め込まれた不安
ダイキ「ちょっと聞いてもいいですか。昔、言葉で傷ついたり、失敗したりしたことってありますか?」
クライエントは少し驚いた表情を見せた後、ゆっくりと頷いた。
クライエント「......中学生の時、好きな人に告白したことがあって」
ダイキ「はい」
クライエント「その時、すごく緊張して、うまく言葉が出てこなくて。相手に『何言ってるかわかんない』って笑われて...」
彼女の声が震えた。
クライエント「それがすごく恥ずかしくて。それから、好きな人の前だと、言葉が出てこなくなっちゃって」
ダイキ「その経験が、今も...」
クライエント「はい。だから、完璧に言わなきゃって。失敗したくないって」
涙が一粒、彼女の頬を伝った。
ダイキ「その気持ち、すごくよくわかります」
少しの間、ダイキは静かに彼女を見守った。
ダイキ「でも、中学生の時は、完璧じゃなかったかもしれないけど、ちゃんと自分の気持ちを伝えようとしましたよね」
クライエント「......でも、失敗しました」
ダイキ「失敗したと思ってるかもしれないけど、気持ちは伝わったんじゃないですか?」
クライエント「え...?」
ダイキ「相手は笑ったかもしれない。でも、自分のことを好きだってことは、わかったはずです」
クライエント「......そう、かもしれません」
ダイキ「言葉が完璧じゃなくても、気持ちは伝わるんです」
言葉の本当の力
ダイキ「言葉の力って、何だと思いますか?」
クライエント「えっと...相手に自分の考えを伝えることですか?」
ダイキ「それもありますね。でも、もう一つ大事なことがあると思うんです」
クライエント「何ですか?」
ダイキ「相手のことを知ろうとすること」
クライエント「......」
ダイキ「マッチングアプリで、『何を書けばいいかわからない』って言ってましたよね。もしかして、『自分をどう見せるか』ばかり考えてませんでしたか?」
クライエントははっとした。
クライエント「......そうかもしれません」
ダイキ「でも、会話って本来、キャッチボールですよね。自分のことを伝えるだけじゃなくて、相手のことを知ろうとする」
クライエント「相手のことを...知る」
ダイキ「そう。『この人はどんなことが好きなんだろう』『何を大切にしてるんだろう』って、興味を持つこと」
クライエント「でも、それって...質問攻めみたいになりませんか?」
ダイキ「質問するだけじゃなくて、相手の言葉を受け止めることも大事ですよね。『そうなんですね』『それ、いいですね』って」
クライエント「......ああ」
ダイキ「言葉って、自分を表現する道具でもあるけど、相手とつながる道具でもあるんです」
小さな一歩
クライエント「でも、やっぱり不安です。また失敗したら...」
ダイキ「失敗が怖いんですね」
クライエント「はい」
ダイキ「じゃあ、まず小さく始めてみるのはどうですか?」
クライエント「小さく...?」
ダイキ「例えば、次にマッチングした人に、『完璧な言葉』を送ろうとするんじゃなくて、『今日あったこと』を一つだけ送ってみるとか」
クライエント「今日あったこと...」
ダイキ「『今日、カフェで美味しいケーキ食べました』とか。完璧じゃなくていい。ただ、自分のことを少しだけ伝えてみる」
クライエント「......それなら、できるかも」
ダイキ「そう。そして、相手が返してくれたら、『あなたは最近、何か美味しいもの食べましたか?』って聞いてみるとか」
クライエント「相手に興味を持つ...」
ダイキ「そうです。完璧な言葉じゃなくて、気持ちを伝える言葉。相手とつながる言葉」
彼女は少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
クライエント「やってみます」
未来への言葉
カウンセリングの終わりに、ダイキは彼女にこう言った。
ダイキ「言葉は、何万年もかけて進化してきました。でも、一番大切なのは、進化した複雑な言葉じゃなくて、シンプルに『伝えたい』『知りたい』って気持ちなのかもしれませんね」
クライエント「......はい」
ダイキ「その気持ちがちゃんとあります。あとは、完璧を手放して、その気持ちを言葉にのせるだけ」
クライエント「完璧を手放す...」
ダイキ「そうです。ガタガタの橋でいい。その橋を、一緒に渡ってくれる人が、きっといますから」
彼女は涙を拭いながら、でも今度は笑顔で頷いた。
クライエント「ありがとうございます。なんか...少し、楽になりました」
ダイキ「よかったです。また、いつでも話に来てくださいね」
彼女がカウンセリングルームを出る時、その背中は少し軽くなったように見えた。
後日談
数週間後、彼女からメッセージが届いた。
「ダイキさん、実は...完璧じゃないメッセージを送ったら、相手の方から『正直で好感持てます』って返信が来たんです。まだ会ってはいないけど、今、すごく楽しくやり取りしてます。ありがとうございました。」
言葉は武器じゃない。橋なんだ。
その橋は、完璧じゃなくてもいい。ただ、心を込めて架けたものなら、きっと誰かと出会える。