「休んでないですね」と言われて
オンラインのカウンセリングルーム。画面の向こうに映るユミさんは、やや疲れた表情をしていた。でも、その目には「何かを成し遂げなければ」という焦りのようなものが宿っている。
ユミ「あの、最近すごく疲れてて……でも、やらなきゃいけないことがたくさんあって」
ダイキ「やらなきゃいけないこと、ですか」
ユミ「はい。辞めてから3ヶ月経つんですけど、まだ次が決まってなくて。だから毎日、転職サイトをチェックして、応募書類を書いて。あと、今のうちに資格も取ろうと思って勉強してるんです」
彼女は少し早口で話し始めた。
ユミ「それから、会社辞めてから運動不足になるのが心配で、朝5キロ走って、ジムにも週に5回は行くようにしてて。あと、前から気になってたオンライン英会話も始めたんです」
ダイキ「なるほど……」
私は、彼女の話を聞きながら、あることに気づいていた。
ダイキ「ユミさん、今お話しされたこと、全部『退職してから』始めたことですか?」
ユミ「そうです。働いてた時はそんな時間なかったので」
ダイキ「……ユミさん、失礼ですが、今の生活、休んでないですね」
ユミさんの表情が一瞬、固まった。
ユミ「え……でも、仕事してないですよ?」
ダイキ「仕事はされてない。でも、休んでもいない」
ユミ「…………」
彼女は、何かを言おうとして、でも言葉が出てこないようだった。その沈黙の中に、戸惑いと、少しの怒りのようなものが混ざっているのを感じた。
ユミ「でも……休んでたら、体力も落ちるし、次の仕事に向けての準備もできないし……」
その言葉を口にした瞬間、ユミさんの声が少し震えた。
「休む」ことへの罪悪感
ダイキ「ユミさん、『休む』って聞くと、どんな感じがしますか?」
ユミ「どんな感じ、って……」
彼女は少し考えてから答えた。
ユミ「……怖い、かな」
ダイキ「怖い?」
ユミ「はい。休んでる間に、どんどん自分がダメになっていく感じがするんです。体力も落ちるし、頭も鈍るし、やる気もなくなって……そのまま何もできない人間になっちゃうんじゃないかって」
彼女の言葉には、切実さがあった。
ダイキ「『何もできない人間になる』って、すごく怖いことですね」
ユミ「……はい」
ダイキ「ユミさんは今、その恐怖から逃げるために、たくさん動いてるんでしょうか」
ユミさんは、しばらく黙っていた。そして、小さくうなずいた。
ユミ「……そうなのかもしれません。止まったら、終わりな気がして」
ダイキ「止まったら、終わり」
ユミ「はい。会社を辞めたことで、もう私は一度『ダメな選択』をしてるんです。周りは続けてるのに、私だけ辞めて。だから、今度こそちゃんとしなきゃって」
彼女の目に、うっすらと涙が浮かんだ。
頑張れば頑張るほど、疲れていく矛盾
ダイキ「ユミさん、今の生活で、エネルギーは満ちてきてますか?」
ユミ「……え?」
ダイキ「体は元気になってますか? 朝、起きた時に『今日も頑張ろう』って思えますか?」
ユミさんは、答えに詰まった。
ユミ「……正直、朝起きるのがすごく辛いです。目覚ましが鳴っても、『また今日も』って思って……」
ダイキ「また今日も?」
ユミ「また、走らなきゃ。また、応募書類書かなきゃ。また、勉強しなきゃ。って」
ダイキ「…………」
ユミ「でも、やらなきゃダメなんです。やらないと、本当に何もない人間になっちゃう」
彼女の声には、必死さがあった。まるで、自分に言い聞かせるように。
ダイキ「ユミさん、ちょっと変な質問かもしれませんが……今、スマホのバッテリーが10%だったとして、どうしますか?」
ユミ「え? 充電します、当然」
ダイキ「充電しながら、動画見たり、ゲームしたりしますか?」
ユミ「それだと充電遅くなるから……しないかな」
ダイキ「そうですよね。充電を早くしたかったら、何もせずに充電だけする」
ユミ「……はい」
ダイキ「今のユミさんは、バッテリー10%の状態で、充電しながら動画も見て、ゲームもして、アプリも更新して……って、全部やってる感じなんです」
ユミさんは、はっとした表情になった。
ユミ「……それじゃあ、充電できないですよね」
ダイキ「そうなんです」
エネルギーの「収支」という考え方
ダイキ「ユミさんは、『楽しいこと』や『体にいいこと』をすれば、元気になると思ってませんか?」
ユミ「……はい。だから、ジムに行ったり、走ったり」
ダイキ「でも、実際には?」
ユミ「……疲れてます。むしろ、前より疲れてるかも」
ダイキ「それはなぜだと思いますか?」
ユミさんは、少し考えた。
ユミ「わからない……楽しいことって、元気になるんじゃないんですか?」
ダイキ「楽しいことでも、エネルギーは使うんです」
ユミ「え……」
ダイキ「たとえば、旅行って楽しいですよね。でも、旅行から帰ってきたら疲れてませんか?」
ユミ「……あ、確かに」
ダイキ「楽しい=疲れない、ではないんです。楽しくても、新しいことをすれば、刺激を受ければ、体も心もエネルギーを使う。そして、今のユミさんは、そのエネルギーがもう残ってない状態なんです」
ユミさんは、何かに気づいたように目を見開いた。
ユミ「じゃあ、私……ずっと、間違ったことをしてたんですか?」
ダイキ「間違ってたというより、『今のユミさんには合ってなかった』んです」
「危機モード」になってる心
ダイキ「ユミさん、退職する前、どんな状態でしたか?」
ユミ「……毎日、朝から夜まで働いて、上司には怒られて、お客さんからクレーム受けて……もう、限界でした」
ダイキ「限界まで頑張って、それで辞めた」
ユミ「はい」
ダイキ「その状態の時、心も体も、『危機モード』になってたと思うんです」
ユミ「危機モード?」
ダイキ「人間は、強いストレスを受け続けると、心が『生き延びるモード』に切り替わるんです。周りを警戒して、ちょっとしたことにも敏感になって、常に緊張状態」
ユミ「……ああ、それ、すごくわかります。会社にいた時、些細なことでイライラしてたし、周りの目が気になって仕方なかった」
ダイキ「そうですよね。で、その状態のまま退職して、『さあ休もう』と思っても、心はまだ『危機モード』なんです」
ユミ「…………」
ダイキ「だから、休んでるつもりでも、心の中では『本当に大丈夫なのか』『このままでいいのか』って、ずっと警戒してる。それで、落ち着けない」
ユミ「だから、じっとしてられないんだ……」
ダイキ「そうです。じっとしてると不安になる。だから、何かしてないと落ち着かない」
ユミさんは、深くため息をついた。
ユミ「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「離れる」「休む」「工夫する」の順番
ダイキ「ストレスに対処する方法って、順番があるんです」
ユミ「順番?」
ダイキ「まず、『離れる』。次に、『休む』。最後に、『工夫する』」
ユミ「…………」
ダイキ「ユミさんは今、一番目の『離れる』はできてます。会社を辞めて、ストレスの元から離れた」
ユミ「はい」
ダイキ「でも、二番目の『休む』を飛ばして、三番目の『工夫する』に行っちゃってるんです」
ユミ「……工夫する?」
ダイキ「ジムに行く、資格を取る、転職活動をする。それって全部、『次に向けての工夫』ですよね」
ユミ「……あ」
ダイキ「でも、二番目の『休む』ができてないから、エネルギーが回復してない。だから、工夫すればするほど、疲れていく」
ユミさんは、しばらく黙っていた。そして、小さな声で言った。
ユミ「じゃあ、私……順番、間違えてたんですね」
ダイキ「間違えてたというか、多くの人が間違えるんです。だって、『休む』って、何もしないことだから」
ユミ「……何もしない」
ダイキ「何もしないって、すごく怖いことですよね」
ユミさんは、うなずいた。涙が一筋、頬を伝った。
「休む」のは「逃げ」じゃない
ユミ「でも……休んでばっかりいたら、本当に何もできなくなっちゃう気がするんです」
ダイキ「その気持ち、すごくわかります」
ユミ「だって、世の中には、辛くても頑張ってる人がいっぱいいて……私だけ、休んでるなんて」
ダイキ「ユミさん、今、骨折してる人がいたとして、その人に『走れ』って言いますか?」
ユミ「え……言わないです」
ダイキ「なんでですか?」
ユミ「骨折してるから……無理したら悪化するし」
ダイキ「そうですよね。骨折してる人には、まず『治療』が必要。それと同じで、心が疲れてる人には、まず『休養』が必要なんです」
ユミ「…………」
ダイキ「でも、骨折は目に見えるけど、心の疲れは目に見えない。だから、『これくらい大丈夫』『もっと頑張らなきゃ』って思っちゃう」
ユミ「……そうかもしれません」
ダイキ「休むのは、逃げじゃないです。治療なんです」
ユミさんは、ハンカチで目を拭いた。
ユミ「……でも、どうやって休めばいいのかわからないんです」
具体的な「休み方」
ダイキ「じゃあ、一緒に考えてみましょう。今のユミさんの生活で、一番エネルギーを使ってることって何ですか?」
ユミ「……転職活動、かな。求人見て、応募書類書いて、面接の準備して……」
ダイキ「それ、1日どのくらいの時間使ってますか?」
ユミ「3時間くらい……いや、もっとかも。求人サイトって、見始めると止まらなくて」
ダイキ「なるほど。じゃあ、それを1日1時間にしたらどうですか?」
ユミ「え……でも、そしたら遅れちゃう」
ダイキ「何に遅れるんですか?」
ユミ「……え」
ダイキ「今、明日までに応募しなきゃいけない求人があるんですか?」
ユミ「……ないです」
ダイキ「だったら、1時間でいいんじゃないですか? それとも、3時間かけないと、何か起きますか?」
ユミさんは、しばらく考えた。
ユミ「……何も起きないです。ただ、『やらなきゃ』って思って」
ダイキ「その『やらなきゃ』が、ユミさんを追い詰めてるんです」
刺激から離れる時間
ダイキ「あと、もう一つ。ユミさん、スマホって1日どのくらい見てますか?」
ユミ「え……わからないけど、結構見てるかも」
ダイキ「転職サイト、SNS、ニュース……」
ユミ「はい、全部見てます」
ダイキ「それ、全部『刺激』なんです」
ユミ「刺激?」
ダイキ「新しい情報、誰かの投稿、ニュース。それを見るたびに、脳はエネルギーを使うんです」
ユミ「……そうなんですか」
ダイキ「特に、疲れてる時って、刺激的な情報に引き寄せられやすいんです。でも、それを見れば見るほど、疲れは増える」
ユミ「……じゃあ、見ない方がいいんですか?」
ダイキ「全部見るな、とは言いません。でも、『見ない時間』を作ることは大事です」
ユミ「見ない時間……」
ダイキ「たとえば、夜8時以降はスマホを見ない、とか。朝起きてすぐにスマホを見ない、とか」
ユミ「……難しそう」
ダイキ「難しいですよね。でも、やってみる価値はあると思います」
「何もしない」という勇気
ダイキ「ユミさん、今日ここまでお話しして、どんな気持ちですか?」
ユミ「……正直、まだモヤモヤしてます」
ダイキ「モヤモヤ?」
ユミ「はい。『休んだ方がいい』っていうのは頭ではわかるんです。でも、心が『それでいいのか』って言ってる感じで」
ダイキ「そうですよね。長い間、『頑張らなきゃ』って思って生きてきたから、急に『休んでいい』って言われても、信じられないですよね」
ユミ「……はい」
ダイキ「でも、ユミさん、考えてみてください。今のやり方で、元気になってますか?」
ユミさんは、首を横に振った。
ユミ「……なってないです」
ダイキ「だったら、違うやり方を試してみる価値はあるんじゃないですか?」
ユミ「…………」
ダイキ「何もしない、って、すごく勇気がいることです。でも、その勇気が、ユミさんを次のステージに連れて行ってくれるかもしれない」
ユミさんは、深呼吸をした。
ユミ「……やってみます」
ダイキ「無理しなくていいですよ。少しずつ、できる範囲で」
ユミ「はい」
3週間後の変化
それから3週間後。再びオンラインでユミさんと話した。
ユミ「ダイキさん、ちょっと変化がありました」
彼女の表情は、前回よりも明るかった。
ダイキ「どんな変化ですか?」
ユミ「転職活動、1日1時間って決めてやったんです。最初はすごく不安だったけど……意外と、それで十分でした」
ダイキ「それは良かったです」
ユミ「あと、夜8時以降はスマホ見ないって決めて。最初の3日は無理だったけど、4日目からできるようになって」
ダイキ「すごいですね」
ユミ「それで、8時以降は本を読んだり、ぼーっとしたり……してたんですけど」
ダイキ「はい」
ユミ「なんか、久しぶりに『何も考えない時間』ができて……それが、すごく楽だったんです」
彼女の声には、少し驚きが混じっていた。
ユミ「ずっと、何かしてなきゃって思ってたけど、何もしなくても、別に大丈夫だったんだなって」
ダイキ「それは、大きな気づきですね」
ユミ「はい。あと、朝のランニングも週2回に減らしたんです。最初は『体力落ちるかな』って心配だったけど……」
ダイキ「実際は?」
ユミ「逆に、走る時の方が楽になった気がします。毎日走ってた時は、義務感でしんどかったけど、週2回だと『今日は走る日だ』って思えて」
ダイキ「それ、すごく大事なことです」
まだ続く旅路
ユミ「でも、まだ完全に不安がなくなったわけじゃないんです」
ダイキ「どんな不安ですか?」
ユミ「このペースで本当にいいのか、とか……もっと頑張ってる人と比べちゃうと、焦る気持ちが出てきて」
ダイキ「そうですよね」
ユミ「でも、前と違うのは、その焦りに気づけるようになったことです」
ダイキ「気づける?」
ユミ「『あ、今、私焦ってるな』って。で、『でも、今は休む時期なんだ』って、自分に言い聞かせるようにして」
ダイキ「それ、とても大切なスキルです」
ユミ「まだ、完璧にはできないですけど……少しずつ、自分のペースが掴めてきた気がします」
彼女は、少し照れくさそうに笑った。
最後に見えてきたもの
ダイキ「ユミさん、今の状態を、一言で表すとしたら?」
ユミさんは、少し考えた。
ユミ「……『充電中』、かな」
ダイキ「充電中?」
ユミ「はい。前は、バッテリー空っぽのまま走り続けてたけど、今は充電してる。まだ100%じゃないけど、確実に増えてる感じがします」
ダイキ「いい表現ですね」
ユミ「次に進むための準備をしてるっていうか……焦らずに、今は自分を整える時間なんだって思えるようになりました」
ダイキ「その感覚、大事にしてください」
ユミ「はい。ありがとうございます」
画面の向こうのユミさんは、最初に会った時とは違う顔をしていた。
まだ不安は残っている。でも、その不安と、少しずつ付き合えるようになっている。
「休む」という勇気を持てたこと。それが、彼女の次の一歩につながっていくのだろう。
【この対話を通じて】
ユミさんのように、退職後に「頑張らなきゃ」とエネルギーを使い続けてしまう人は少なくありません。
でも、疲れている時に必要なのは、「楽しいこと」ではなく「エネルギーを使わないこと」。
それは逃げではなく、次に進むための大切な準備です。
あなたは今、「充電」できていますか?