涙が止まらない朝
カウンセリングルームに入ってきた彼女の目は、少し腫れていた。
「すみません......朝また泣いちゃって」
クライエント(以下、Aさん)は小さな声でそう言うと、ゆっくりと椅子に座った。32歳のAさんは、数ヶ月前に3年付き合った恋人と別れた。
ダイキ「朝、泣いてしまったんですね」
Aさん「はい......目が覚めて、ふと『もう隣にいないんだ』って思ったら、涙が......」
Aさんはそう言って、また目頭を押さえた。
ダイキ「今日ここに来るのは、どんな気持ちでしたか?」
Aさん「正直......来たくない気持ちもあったんです。でも、このままじゃダメだって......友達にも『まだ引きずってるの?』って言われて」
彼女の声は少し震えていた。
自分を責める言葉
ダイキ「『このままじゃダメ』って思うんですね」
Aさん「はい......もう3ヶ月も経つのに。周りは『時間が解決するよ』って言うけど、全然......私、弱いんでしょうか」
ダイキ「弱い、ですか」
Aさん「だって、友達は失恋してもすぐ立ち直ってたし......私だけこんなに引きずって。情けないです」
Aさんは自分を責める言葉を次々と口にした。
ダイキ「今、『弱い』『情けない』って言葉が出てきましたね。ほかにも、自分に対してどんな言葉をかけてますか?」
Aさん「......『私なんて』って、よく思います。私なんて価値がないって......だから別れられたんだって」
そう言って、Aさんは視線を落とした。
恋愛中の自分と今の自分
ダイキ「『私なんて価値がない』......そう感じてるんですね」
Aさん「はい......付き合ってる時は、そんなこと思わなかったんです。でも別れてから、自分のダメなところばっかり見えて......」
ダイキ「付き合ってる時は、どんな感じでしたか?」
Aさん「楽しかったです。彼と一緒にいると、『私、ちゃんとできてる』って思えて......なんか、自信があったんです」
Aさんは少し顔を上げた。
ダイキ「恋愛中は自信があった。でも今は......」
Aさん「今は......全然です。何をやってもうまくいかない気がして......」
恋愛中は自分に自信を持てていた。でも別れたら、その自信が消えてしまった──Aさんの言葉から、そんな構造が見えてきた。
自信の「根っこ」はどこにあるのか
ダイキ「Aさん、ちょっと聞いてもいいですか? 付き合ってる時に感じてた自信って、どこから来てたと思います?」
Aさん「......彼が、いてくれたから、ですかね」
ダイキ「彼がいてくれたから、自信があった」
Aさん「はい......私のこと好きって言ってくれて、一緒にいてくれて......だから私は大丈夫だって思えたんです」
Aさんはそう言って、また少し涙ぐんだ。
ダイキ「なるほど......じゃあ、彼がいなくなった今、自信もなくなっちゃったんですね」
Aさん「......はい」
しばらく沈黙が流れた。Aさんは自分の手を見つめている。
ダイキ「Aさん、ちょっと想像してみてほしいんですけど......もし、付き合ってる時の自信が、彼からもらってたものじゃなくて、Aさん自身の中にあったとしたら?」
Aさん「......え?」
気づきの瞬間
ダイキ「たとえばね、恋愛中って『自分っていいかも』って思える瞬間、ありませんでした? 彼に褒められた時とかじゃなくて、自分で『今日の私、いい感じ』って思えた時とか」
Aさん「......ありました」
Aさんはゆっくりと言葉を探すように答えた。
Aさん「料理を作って、『おいしくできた』って思った時とか......仕事でちょっといいことがあった時とか」
ダイキ「その時の気持ちって、どんな感じでしたか?」
Aさん「......嬉しかったです。なんか、自分でできたって」
ダイキ「『自分でできた』」
Aさん「はい......あ......」
Aさんの表情が少し変わった。
他人に依存した自信と、自分の中にある自信
ダイキ「今、何か気づきましたか?」
Aさん「......自分でできたって思った時の自信は、彼がいなくても感じてた......ってことですよね」
ダイキ「そうですね。Aさんの中には、彼がいてもいなくても感じられる自信があったんじゃないかな」
Aさん「でも......別れてから、そういう気持ちになれなくて」
ダイキ「うん。それはどうしてだと思いますか?」
Aさん「......自分のこと、見てなかったから......かな」
少し間を置いて、Aさんは続けた。
Aさん「別れてから、『彼がいない私』のことばっかり考えて......『私なんて』って自分を責めてばっかりで......」
ダイキ「自分を責めてばかりいると、『自分でできた』って感覚、持ちにくいですよね」
Aさん「......そうですね」
Aさんは深く息を吐いた。
自分を大切にするということ
ダイキ「Aさん、心理学で『自尊感情』っていう言葉があるんです」
Aさん「......自尊感情?」
ダイキ「自分を尊重する気持ち、っていう意味です。恋愛中って、この自尊感情が高まるんですよ。相手から愛されてるって感じると、『私って価値があるんだ』って思えるから」
Aさん「......それ、すごくわかります」
ダイキ「でも、その自尊感情が『相手から愛されてるから』っていう理由だけで成り立ってると......」
Aさん「......相手がいなくなると、崩れちゃう」
ダイキ「そうなんです」
Aさんはゆっくりと頷いた。
ダイキ「逆に、『自分で自分を認められる』っていう自尊感情を持ってる人は、失恋してもわりと早く立ち直れるんです」
Aさん「......自分で自分を認める」
ダイキ「そう。『私はこれができる』『私はこういうところが好き』って、自分を肯定的に見られる力」
小さな一歩
Aさん「でも......今の私には、そんなの無理です。自分のいいところなんて......」
ダイキ「今すぐ全部見つけなくていいんですよ。小さなことからでいい」
Aさん「小さなこと......」
ダイキ「たとえば、Aさん、今日ここに来ましたよね?」
Aさん「......はい」
ダイキ「それって、すごいことだと思いませんか? 辛い気持ちを抱えながら、『このままじゃダメだ』って思って、ここに来た。それって、自分を大切にしようとしてる行動じゃないですか」
Aさんは少し驚いたような顔をした。
Aさん「......そうなんですかね」
ダイキ「そうですよ。Aさんは今、自分を大切にする練習を始めてるんです」
Aさん「......練習」
ダイキ「そう。いきなり『自分を認めよう!』って思っても難しい。でも、小さな一歩を積み重ねていくことはできる」
涙の意味
Aさん「......でも、また泣いちゃうと思います」
ダイキ「泣いてもいいんですよ」
Aさん「......え?」
ダイキ「涙って、感情を外に出す大切な方法なんです。泣くことで、心が少しずつ整理されていく」
Aさん「......そうなんですか」
ダイキ「うん。『泣いちゃダメ』『早く立ち直らなきゃ』って自分を責めると、かえって辛くなる。自分の感情を否定しないでいいんです」
Aさんは目に涙を浮かべながら、小さく頷いた。
Aさん「......泣いてもいいんですね」
ダイキ「はい。泣きたい時は泣いて、でも、その中で少しずつ『今日の私、これできた』って見つけていく」
Aさん「......はい」
これから、どう生きるか
ダイキ「Aさん、これから先、どんな自分になりたいですか?」
Aさん「......自分に自信が持てる人に、なりたいです。誰かに愛されなくても、自分で自分を認められるような......」
ダイキ「素敵ですね。そのために、今日からできることって何だと思いますか?」
Aさんは少し考えて、答えた。
Aさん「......小さなことでも、『できた』って認めてあげる、とか」
ダイキ「いいですね。具体的には?」
Aさん「......朝起きられた、とか。ちゃんとご飯食べた、とか」
ダイキ「それ、いいと思います。毎日、一つでもいいから『今日の私、これできた』って見つけてみる」
Aさん「はい......やってみます」
彼女の表情は、少しだけ柔らかくなっていた。
最後に
カウンセリングの終わりに、Aさんはこう言った。
Aさん「......なんか、少しだけ、楽になった気がします」
ダイキ「それは良かったです」
Aさん「自分を責めるのをやめて、『できたこと』を見つける......ちょっとずつ、やってみます」
ダイキ「応援してますよ。また、何かあったらいつでも来てください」
Aさん「はい......ありがとうございました」
彼女は少しだけ笑顔を見せて、部屋を出て行った。
失恋の痛みは、簡単には消えない。
でも、自分を責めるのをやめて、小さな「できた」を積み重ねていくこと。
それが、自分で自分を支える力を育てていく。
そして、その力こそが、どんな別れからも立ち直るための鍵なのかもしれない。