生きるということは、基本的には苦しく、決して割に合わないものなのかもしれません。
「周りの人はこの苦しさを分かってくれない」と感じる時、私たちは深い孤独に陥ります。
私自身、生きることが無条件に素晴らしいことだとは考えていません。
かつて多くの宗教、例えば真言宗を除く仏教宗派の底流には、「現世が辛い(修行をする)のは来世で幸せになるためだ」という固定観念が存在していました。
これは現世の苦しみを無理に肯定するための論理ですが、そうした教えに触れるとき、一つの疑問が頭をよぎります。
「では、今すぐ死んでもいいのだろうか。死ぬことは許されているのだろうか」と。
もし社会が「死の自由」を完全に許容してしまえば、私たちの脳裏には常に自殺の念が付きまとうことになります。
さらに深刻なのは、その自由を曲解し、他者を巻き込む「道連れ」のような悲劇を引き起こす者が現れる点にあります。
ゆえに、結局のところ自ら命を絶つことは許されておらず、私たちはこの苦しい現世を生き抜くことを義務づけられているのです。
しかし、なぜ私たちはこれほどまでに生きることを「苦しい」と感じるのでしょうか。その答えは、私たちの「脳」という臓器の仕組みに隠されているのかもしれません。
そもそも脳は、私たちが過酷な環境を生き延びるために、直面する問題を解決すべく進化してきた器官です。
危険を察知し、不安を感じ、それを回避するために合理的な行動をとる。その生存本能のシステムこそが脳の役割です。
つまり、脳は私たちを「幸福にするため」ではなく、ただ「生き延びさせるため」に進化してきた。だからこそ、普通に生きているだけでストレスや不条理な苦しみを感じてしまうのは、生物として自然なことなのです。
この脳の仕組みを理解すると、世間でよく混同される「幸せ」と「成功」の微妙な違いが見えてきます。多くの場合、成功とは他者との比較や条件付きの達成(脳が生存競争に勝とうとする興奮状態)を指しますが、本当の幸せとは、もっと静かな「ストレスをあまり感じにくい状態」、すなわち心身の健康や安心感が満たされた状態(ウェルビーイング)を指すからです。
精神科医の分析によると、人がこうした「幸せ体験」を得る時、脳内には主に3つの神経伝達物質が分泌されていることが分かっています。
セロトニン(心身の健康):心のおだやかさや爽快感、病気のない状態から得られる基礎的な幸福。
オキシトシン(つながり・愛):家族や友人、ペットとのふれあい、他者への感謝によって生まれる幸福。
ドーパミン(成功・達成):目標を達成したとき、お金や地位を得たときに高揚するエキサイティングな幸福。
現代社会、特にお隣の韓国における熾烈な受験戦争や、日本の高い自殺率という背景を見つめ直すと、私たちはあまりにも「ドーパミン(成功)」ばかりを求められ、脳が限界を迎えている構造が見えてきます。
親の期待を背負い「成功しなければならない」という重圧に潰される若者たちに必要なのは、果てしない競争ではなく、セロトニンやオキシトシンがもたらす「静かな安心感」のはずです。
生存のために進化し、放っておくと不安や苦しみを生み出してしまう脳。
だからこそ、私たちは意識的に「生まれてきてよかった」と思える小さな幸せ体験を、社会や人生の中に増やしていく必要があります。
それは大いなる成功を目指すことではなく、仏教でいう「悟りを開く」というような、おだやかで健やかな感覚に近いものなのかもしれません。
沙門蒼俊 合掌