「生きるのが辛い」と感じることは、決してその人が「弱い」からではありません。
むしろ、複雑すぎる現代社会の構造の中で、知らず知らずのうちに「弱くさせられてしまった」というのが本当のところではないでしょうか。
心が限界を迎えているとき、私たちは自分自身の辛い状況をまっすぐ直視することすらできなくなります。どうしてこんなに苦しいのか、その理由さえ分からなくなるものです。
それもそのはずで、「生きるのが辛い」という状態は、個人の心の持ちようなどではなく、人間の認知能力の限界を超えるほど複雑な現象だからです。
ここで混同してはならないのは、「考えている」ことと「悩んでいる」ことはイコールではないという点です。
心理学者のダニエル・カーネマンは、人間の思考には2つのシステムがあると提唱しました。
ひとつは、脳の扁桃体から発信されるような、直感的でバイアスに支配されやすい「早い思考」。
もうひとつは、前頭葉を使い、数学の難問を解くときのように理性的にアプローチする「遅い思考」です。
私たちが「どうして辛いのだろう」とぐるぐる思い悩んでいるとき、脳は「早い思考」の渦に呑み込まれ、ただ感情に圧倒されているだけなのかもしれません。
本当に必要なのは、一歩立ち止まって「遅い思考」を起動させ、理性の力で問題を整理することなのです。
例えば、「なぜ日本の景気が良くないのか」という社会全体の大きな問題なら、私たちは客観的に語ることができます。しかし、自分自身の人生という混沌とした問題になると、途端に全体像が見えなくなってしまいます。
だからこそ、絡まった糸を一度に解こうと焦る必要はありません。
大切なのは、山積みの問題を細分化し、小さくなった問題をひとつひとつ解決していくことです。
すべてが一気に解決することなどありません。100%の完璧な解決を目指すのではない、まずは5%だけでも解決できれば御の字という「程よい諦め」が心を救います。
かつて人類は、精神薬などない時代も何とか生き抜いてきました。その時代の知恵をうまく解釈し、現代に応用していく視点も役に立ちます。
現代には認知行動療法のような心理的なツールもありますし、もし人に相談するハードルが高ければ、まずはAIに胸の内を打ち明けてみるのも一つの手です。
お金がない、仕事ができない、といった現実的な苦しみも、細分化して向き合っていきます。
ひきこもり状態にある方の支援も同様です。訪問看護や行政の介入、医療機関など、頼れる外部の力をひとつずつピースのようにはめ込んでいき、現実的な課題を解きほぐしていきます。
世間はよく「休んでいいよ」と優しく声をかけますが、具体的なあてがないままの言葉は、時に無責任に響くこともあります。
本当に必要なのは、「これこれの制度が使えるから、今は休んでいいよ」という具体的な解決策の提示を伴った、安心できる休息の提案ではないでしょうか。
大きな苦しみを前に立ち尽くしたときは、まず「悩む」のをやめて「考える」こと。そして問題を小さく切り分け、目の前の5%を動かすことから始めてみたいものです。
沙門蒼俊 合掌