デジアナ時代SDGsを地で行く今こそ令和江戸時代へ。
江戸時代は発生抑制のリデュース、再使用のリユース、再生利用のリサイク、賃貸レンタル 、月額課金・定額制サービスサブスク、最小限シンプル生活ミニマリスト、SDGsの見本的文化。
着物ひとつとっても合理的・機能的で、四角く切って組み合わせ、肩や腹の部分に長さ調節して大人物を子供のサイズに合わせ、成人になり未婚女性として振袖、結婚をして振袖をカット普通サイズ、古くなると敷布団や掛け布団のカバー綿が貴重なので、何回もうち返して使い、更に古くなって座布団カバー、半纏・ちゃんちゃんこ、これらを代々使い、最後の最後に雑巾。
ここまできたら高い反物でも元を取ったので処分できる。
浴衣なら古くなって赤ちゃんのおしめ。
江戸時代は長屋で暮らす際、布団からのふんどし・腰巻きまでレンタルがあり(下着のレンタルはちょっと抵抗が)、包丁は研ぎ屋さんが来て、 欠けた茶碗は金継ぎで使い、貧乏で物が持てない?又は持たない?ミニマリスト。
長屋や地域に一つ井戸があり、そこで水を汲んで瓶に入れて食事に使い、井戸で茶碗や洗濯をし、ついでにご近所さんと情報交換するから井戸端会議。
糞尿も肥やしとして買い取とり、畑の肥料としていた。
御三家や大名の肥やしはいい物を食べているので高く、長屋の貧乏人は大した物を食べていないので肥やしの値段も安かったらしい。(合理的な考え)
稲の米を取った後の茎や葉稲わらを家畜の飼料、編んで米や魚を運ぶ俵や雨合羽の代わりのミノ、靴の代わりのわらじ工芸品・藁葺屋根、敷物としてのゴザ(茣蓙、蓙)ムシロ(筵、簟)・こも、古びたり使えない物は、燃料や畑の寒さ対策や肥料。(最後の最後まで使い切る素晴らしさ)
米自体もそのまま食べる物と、乾燥して干飯・煎餅、日本酒、発酵させてみりんや酢などの調味料。
このようにひとつのものでいろ々と使えるようにしていたのだから、そのアイデアをやはり今使うべきではないか?
江戸時代はヘアスタイル・小物や着物などで、その人の職業や地位が分かる。
舞妓さんや芸妓さんの簪(かんざし)と着物に至っては四季も現わしていた。
寺子屋やお店で働きながら読み書きそろばんを習い、識字率も高く高等数学をゲーム感覚でやっていたり、看板にしても見てわかるパターンとクイズやとんち、謎かけ、ダジャレで表し、現代のクイズ脱出ゲーム同様、遊び感覚も高い。
それに比べ、1970年のオイルショックから50年近く、新しい物、代替や代用物も出てきて、今は値上げで苦しくなっているのに、出来てから5年~10年経って一体いつになったら活用できるのか?
原発しか出来ないの?バイオ燃料やメタンガス・ゴミ石炭代用も官僚・役人が中心にやればいい事で、それに議員・政治家が邪魔をしたり反対するならその旨を国民に知らせればいい。(特に選挙前に、コロナのひどい時にリモートを嫌がり「直接持って来い」と言ったパワハラ議員は誰かとか)
議員・政治家は国民の代表と言うより代行・代弁者であるべきで、それが自分の支持・支援者や自分のしたい事中心でやるなら、国民の代行・代弁者ではなく報酬や政党助成金などの特権もその支持・支援者に養ってもらえばいいし、官僚・公務員は市民・国民の為に働かない者の言う事を聞く必要はない。
官僚・公務員は市民・国民の為に仕事をするもので、議員・政治家の為にいる訳ではないのだから。
昔、国交省が中心となって行ったとしても、今や時代が変わって環境省や農水省が中心になってやる可能性だってある。
そも々どこの省庁が中心で「予算をぶんどる」のが手柄ではなく、どの省庁も協力して国民の為に働くのが本来の仕事、義務!では?
それをやらないのはどうなんだろう?国民の為に働けないんだったら公的適性無いので、省庁や役所辞めた方がいいと思う。
政治家も官僚も国民にとって”益”か”害”か監視し、チェック指導し、それでも反したら排除や被害分のペナルティを回収するシステムがないのもおかしいのでは?(ばら撒きよりこれをやって欲しいのに)
機能・実用・合理性・効率性が高く、知性・理性・遊び感覚、精神的余裕が感じられるが、それに比べて現在はどうか?
学歴・学業点数至上主義の割には理性・知性・モラル・倫理観が低く、IT・AIデジタル化でも機能・実用・合理性・効率性が余り良くなく、余計な何かを押し付けられて精神的余裕もなくいっぱいいっぱいに追い詰められてる感じが強い。
その原因は何なのだろう?
貧しいのに精神的余裕を持ち、糞尿すら商品としたSDGsを地で行っていた『江戸時代』と言うこんなに良い手本があるのにも関わらず・・・