生きる道:副業のバイブル ~今なぜ副業なのか~③

記事
マネー・副業
●今なぜ副業なのか?

・副業は本音が出せる
さて、ここまで読んで頂ければ「今なぜ副業なのか」、その答えが見えたように思われますが、如何でしょうか?
「本業でできないことを副業で求めるんだろ!」
ハイ、その通りです。
でも「なぜ副業」なのでしょうか?
「それは、傍らの収入じゃ食えるだけ儲からないだろうし、会社を辞めたら大変だろう!」
ハイ、ごもっともです。
確かにそのとおりです、副業はあくまで副業、傍らにすることです。いくらやりたいこととは言え、いきなりそれを本業へシフトするなど危険極まりないわけで、とてもリスキーなことです。覚悟を決めて、気合いで会社を飛び出たのはいいとしても、始めたことも結局ものにならず、苦労の甲斐もなく途中で諦めざるを得なくなり、挙句生活維持(食べていく)のためには何か仕事をしなくては、そして取り敢えず条件が下がってもできる仕事へ就くことに・・。
このような最悪の事態だけは是非避けておきたいわけですから、ひとまず今身を置いている職場・仕事はベースにして、生活の基盤を維持しながら、その上で「傍ら」の「望む業」を営むべきなのです。
ここでもちょっと付記させていいただくなら、「業」という文字を強調してしまうと、やはり傍らで「銭儲け」的な「生業」じゃないのか?と思われてしまいそうです。がしかし、ここでの「業」は、あくまで自分がやりたいこと、やってみたいこと、しかもそれは本業では実行できない・実現できないことを行う、という、「銭」のためではなく、あくまでもやらなくてはいけない「使命」とでも表現してみたらどうでしょうか。そこはまさに自分に嘘はつかなくてもいい、本音で勝負できるフィールドなのです。
その結果として、行ってきた「業」の意味が、生活の安全を確保しながらできる「副業」であり、最大のメリットと言える、ということなのです。
ただし、ここでいうメリットはあくまで形式的なものにしかすぎません。
「副業」には、その形式的なメリットを活かして、更なるメリットを得ることが可能となるのです。すなわちこれが、今まで述べてきた「価値観」とリンクしていくことなのです。
本音でものが言える、本音とはつまりは自分自身でありますから、ここで行う「業」は、正々堂々の真っ向勝負なのです。

●自分を活かす術

・現在の環境を確認する
現在の本業がどれほど自分の価値観とフィットしているのか、ということを先ほどお尋ねしてみました。
例えば、
 ・満足度の高い仕事ができているでしょうか?
 ・仕事の結果・成果に対して納得のいく評価を得られているでしょうか?
 ・やりたいと思う仕事はどの程度できているのでしょうか?
 ・自分の能力、スキルを思う存分発揮していると思えるでしょうか?
 ・自分の考え・企画がどれほど通用しているでしょうか?
 ・満足な『給料』ですか?
以上のようなことが、価値観を判断する材料としてだいたい上位にくるのではないかと思います。もっとも、サラリーマンである以上、なかなか自分の意見がそのまま通るとか、思ったとおりに仕事ができるなど、そうそうあることではないのは確かでしょう。まあ、自分の思い通りにしたかったら、独立すれば!って言われるのが落ちですからね。

大方、会社の方針で、そしてそれに基づいた上司からの指示命令により、決定された業務に変更を余儀なくされ、しぶしぶ日々の業務をこなしているのではないでしょうか?それでも従来のように何から何まで会社が面倒を見てくれていた時代なら、それでも良かったのです。
故、植木等さんの、「サラリーマンは、気楽な家業ときたも~んだ♪」と歌っておられた歌詞の内容のようには今はそうはいきません。
日々我慢しながら仕事はすれども、待遇は一向に改善しない、むしろ下降をたどる世の中なのですから。しかも、何時肩を叩かれるか分からない、そんな心配を背負いながらサラリーマンは、毎日身を粉にして戦っているんですよね。
90年代バブルの崩壊後、大々的なリストラが始まり、早期退職優遇制度などの文字が新聞やテレビで踊りました。しかしその実態は「首切り」なわけです。それを案じてか、「出る杭は打たれる」になってはいけないと、事なかれ主義で静かに物言わず、コツコツやっているほうが利口だ、との意識が蔓延し出したのもの、その頃からじゃないでしょうか。
もっとも長い歴史の中では、いつの時代に限らず、そのような思考タイプがいたのも、また事実でしょうが。
だからアフターファイブの井戸端ならぬ、居酒屋会議に熱が入るわけですよね!

さて、話を戻しましょう。
結局の所サラリーマンは、自分の思うようにはいかない仕事をこなしているということです。もちろん全部がそうだとは言いません、歴史の古い会社であればあるほど、いわゆる悪しき習慣も根強く残り、今もなお労働者意識など関知しない会社、多いことでしょうと思います。

・環境の確認のしかた
自分の今属している会社、職場がいったいどんな環境なのかを知るためには、手っ取り早くは先輩などに聞いてみるのがいいでしょう。会社のことを聞きたくなったときに、その材料として浮かぶのが、過去の退職者たちの辞めた理由です。ただし、これはあくまでも一方向からだけの情報ということになりますから、それをそのまま鵜呑みにすることは、判断を誤る可能性も大いにありますから注意が必要です。そこを踏まえた上で、聞くとしたら比較的若い先輩がいいかもしれません。なまじ管理職名が付いた人は、その権威が邪魔して、真実を語ってくれないのが常、よっぽど親しくさせてもらっている方以外は、むしろそのようなことを聞くのはやめておきましょう。
これから仕事をするのに、辞めた人の話を聞くとは、何かあるのでは?などと勘ぐられる恐れも、あると思います、ので。

先ほど一方向から、と申しましたが、もう一方の話はなんなのか、ということになります。これについては、社内に成功者はいるのか、もしいるとしたら、どのような成功(プロセスを含め)なのかを聞いてみることです。
ただ、これにも注意が必要で、その成功者を認めている人に聞かないといけません。仮にその人のことをよく思っていない、あるいは当初は好敵手であったものの、その戦いに敗れた、なんて方は理屈では分かっていても、その成功者のことをあまり良く言わない可能性があるからです。
このように、ある成功事例なども確認し、そこに自分をラップさせてみることによって、この環境で自分が活きられるのかどうか、という判断も出せるはずなのです。
自分が活かせる環境がそこにあるとしたならば、あとは自分の価値観がそれに対応するのかどうか、その判断のみということになります。
そして良き判断が下せるとしたら、特に副業に走る必要もなくなるのです。
しつこいですが、本書は「副業のススメ」的な意図はありません、自分たちの活きる(生きる)術を、どこに求めるか、ということを主眼においているのですから。

・求める環境と求めるもの、それが「副業」
対して副業はどうでしょうか。自分のやりたいこと、思ったことを思う存分できると思いませんか? とは愚問ですね。自分がしたいことを、やりたいようにできるから、だ・か・ら「副業」なのですから。
自分でやりたいことをやる、やれることをやる、ということはすなわち、副業をすることによって、「自分を活かすことができる」、そして「自分を活かす術が持てる」、その結果として「自分で納得感・充実感」を得ることができる、ということになるのです。ではその「術」はどうやって探すのか?これについては後の章で述べることにします。
そう考えると、いかに生活のため(基盤)とはいえ、日々いやいや・我慢をしながらする仕事に比べて、自分の時間で自分の思ったこと、描いたことを自分の為に行う、することができる、ということはどれほど精神的に健全なことか!

自分で考え、自分でことを起こし、そして行動する。その結果が、残念ながら上手くいかなかった、としてもきっと誰のせいにしないと思います。自分で落ち込むことはあっても、それを他人や環境のせいにするとは思えません。
ガックリして当然です、だからそれをバネにして更なる行動へとつながっていくのです。こんなことが本業の中で例えばあったとしたら、本意に自分の反省として受け入れる方がどれほどいらっしゃるか、疑問です。
自分がやろうと思っていることを、強い意志で取り組む、仮にどうにもならない環境の下に置かれてしまった場合でも、自分の意志で動こうとし、夢や希望を求めることができるとしたら、真夜中だろうと、早朝だろうと休日だろうと、自分がしたいと思っていることをやる上では、普段は苦痛とも思えるような状況が、ある種の快感=価値観になるということなのです。
これはまさに好きな趣味に時間を忘れて没頭するのと、ほぼ等しい状態にあるからなのです。そこに苦労は感じていないのです。
仮に「うわ~、大変だ~、疲れたな~」って感じたとしても、それは肉体的な疲労感と一緒で、しばしの休息ですぐに回復してしまうのです。
対して、本業でミスや失敗を犯したり、自分の比にあらぬことでも叱責を受けたりと、そのような状況に追い込まれた時の疲労感、いわゆる精神的な疲労は、単に体を休めても容易く回復などしないのです。
「副業」は「価値観」そのもの、つまりこれが副業のメリットの一つなのです。
人間は欲望の動物、副業はその「価値観」を得られるのです。

つづく
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