もどかしい高校時代を過ごした私は、小さい頃から憧れていた幼稚園教諭になるため保育学科のある短大へ進みました。
この2年間でさらに私は自己肯定感を失っていくことになります。
4年制の大学とは違い2年間で実習と座学が詰め込まれているため忙しい毎日でした。
というのは完全に私の言い訳で、確かに毎日授業はありましたが、考えれば家で寝ている時間もたくさんありました。ただ『めんどくさかった』だけです。バイトもとりあえず週1しかやっておらずふわ〜っと生きていました。人生を前向きに捉えられない典型でしたね。笑
さらに授業中はひねくれた友達と一緒に、ポジティブな子の悪口や、恋愛を楽しんでいるグループの子の悪口ばかり。今思うと恥ずかしいばかりです。
そんな毎日の中、実習で児童養護施設※に行くことになりました。違う県で泊まりがけ2週間の実習です。泊まりは初めてでしたが、実習はいくつか行っていたので、まあ大丈夫だろうと考えていました。
※児童養護施設…保護者のない児童、虐待されている児童など、環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設
私は、幼稚園児〜高校生までの女の子の寮で毎日の暮らしのサポートをするものでした。ご飯を一緒に作ったり、掃除・洗濯をしたり、お母さんのような役割です。
3人の先生がルーティンで交代するのですが、そのうちの2人が最悪でした。
とりあえず部外者扱いがすごく、思春期真っ盛りの中学2年生の子と一緒になって私の悪口を言ったりしてました。
私が子どもたちの置かれた状況や背景を考えて思いやりを持っていれば、もう少し余裕ができていたのかなと思いますが、当時の私には、自分の安心できる場所でもなく、さらに嫌われているとわかっている状況で何も考える気になれず早く抜け出したい気持ちばかりが募り、どんどん萎縮していきました。
毎日実習が終わると、部屋へ戻っては、身体中の水分が抜けるほど泣いて母に電話していました。
実習が終わり、家に帰ると一目散に母に抱きついて、また号泣しました。とにかく心が砕けてました。。笑
この出来事が「私ってダメなやつなんだ」と思い込ませてしまう一因となりました。
余談にはなりますが、この出来事について、母はすぐ、学校に手紙を書いて私に預けました。
どんな内容なのかは確認しませんでしたが、後日、実習担当の先生から、私がどれだけ辛い思いをしたのかを思いやる言葉、この実習先に後輩を行かせるか検討していくこと、また私の母について大変褒めてくれたことを覚えています。その言葉を聞いた時、心から救われた気持ちになり、自然と涙が溢れました。
少し話は飛びますが、母は私が22歳の時にガンで亡くなりました。この話の時も闘病中でしたが、いつも最優先に私や姉のことを考えてくれていたし、病気を嘆く姿は見せないとても強い女性でした。
そんな母が亡くなった後、遺品整理の最中、当時母が学校に宛てた手紙の下書きを発見しました。そこには、今回の実習の出来事が、私の自己肯定感を下がるきっかけになりかねないというような内容が書かれていました。大人になって読むと、母の手紙は学校への配慮も行き届いた丁寧なもので心から尊敬しました。
私が自己肯定感について考えるようになったのは、母がいなくなってからのことなので、もしその当時読んでも、よくわかっていなかったと思います。でも、母は当時からわかっていたんだなと思い、母の偉大さを改めて気づくきっかけにもなりました。
つい長々と語ってしまいました。汗
こうやって自分のことを話すとなかなか暗い人生を歩んでるなと思いました。笑
次は就職してからのことについてお話させていただきますね。