―責めるより先に、その子の心を守ること―
不登校になった子は、自分を責めています。
大人が思っている以上に、責めています。
「みんなは学校に行っているのに」
「自分だけできない」
「親に迷惑をかけている」
「このまま将来がなくなるかもしれない」
そんな不安を、子どもは口に出さなくても抱えています。
だから、親がさらに責めてしまうと、子どもの逃げ場はなくなります。
「いつまで休むの」
「勉強どうするの」
「将来どうするの」
「このままだと大変なことになるよ」
どれも、親としては心配だから出る言葉です。
でも、子どもにとっては、その言葉が重すぎることがあります。
本人だって分かっているのです。
学校に行った方がいいこと。
勉強した方がいいこと。
昼夜逆転を直した方がいいこと。
このままではまずいかもしれないこと。
それでも動けないから、苦しいのです。
不登校の子に必要なのは、まず安心です。
「学校に行けなくても、あなたの価値は変わらない」
「今は休んでもいい」
「一緒に考えよう」
「あなたを責めるために聞いているんじゃないよ」
そういう言葉が、子どもの心を少しずつ守ります。
もちろん、ただ放っておけばいいわけではありません。
生活リズムが大きく崩れているなら、少しずつ整える必要があります。
不安や抑うつが強いなら、専門家の力も必要です。
学びが止まっているなら、その子に合った学び直しの方法を探す必要があります。
でも、それは「責めて動かす」こととは違います。
支えることです。
伴走することです。
不登校になった子は、人生から脱落したわけではありません。
今いる場所で、もう一度自分を立て直している途中です。
学校に戻る子もいるでしょう。
フリースクールに通う子もいるでしょう。
通信制やオンライン学習を選ぶ子もいるでしょう。
家で少しずつ学び直す子もいるでしょう。
道は一つではありません。
大切なのは、子どもが「自分はもう終わりだ」と思わないことです。
不登校は、子どもの人格の失敗ではありません。
努力不足の証明でもありません。
その子の心と体が、限界を知らせてくれた結果であることがあります。
だから私は、不登校になってしまう子は悪くない、と強く言いたい。
悪いのは、助けを求める子どもの声を「甘え」と決めつけてしまう大人のまなざしです。
子どもを責める前に、まず守る。
その安心の土台があって初めて、子どもはもう一度、外の世界へ目を向けることができるのだと思います。