「先生から連絡があったわよ」
家に帰るなり、母親はそう切り出した。
委員会の仕事をサボる。
授業に集中しない。
テストの結果にもムラがある。
学校から見ると、その子は「ちゃんとしていない子」に見える。
母親も不安になる。
「ダメじゃない。ちゃんとしなくちゃ」
そう言いたくなる。
ところが、その子は何もできないわけではなかった。
算数の小テストは満点。
しかも、本人にとっては簡単すぎる。
もっと難しい数学の参考書がほしい。
でも、他の教科や学校の決まりごとには、ほとんど興味を示さない。
母親は戸惑う。
「どうして、こんなにできることと、できないことの差があるのだろう」
これは、ギフテッドの子によく見られる姿の一つです。
ギフテッドというと、何でもできる子を想像する人がいます。
勉強が全部できる。
人間関係もうまい。
先生の言うことも理解できる。
自分で計画的に努力できる。
けれど、実際にはそうとは限りません。
ある分野では驚くほど深く考えられるのに、別の分野にはまったく関心を持てない。
難しい問題には夢中になるのに、簡単な反復練習には耐えられない。
大人びた発想をするのに、生活面では幼く見える。
興味のあることには何時間でも集中できるのに、集団の中では浮いてしまう。
そのアンバランスさこそ、ギフテッドの子の難しさです。
学校では、子どもたちが同じペースで、同じ内容を、同じように学ぶことが求められます。
しかし、ギフテッドの子は、学びの速度や興味の方向が大きくずれていることがあります。
授業が簡単すぎる。
説明を聞く前に分かってしまう。
同じ問題を何度も解く意味が分からない。
先生の話より、自分の頭の中の問いの方が面白い。
すると、周囲からはこう見られます。
「授業を聞いていない」
「態度が悪い」
「協調性がない」
「好きなことしかやらない」
でも、本人の中では、違うことが起きています。
つまらない。
退屈すぎる。
なぜ分かっていることを何度もやるのか分からない。
もっと深いことを知りたい。
自分の疑問を誰も聞いてくれない。
その結果、学校への意欲が下がってしまうことがあります。
また、ギフテッドの子は、友達関係で孤独を感じることもあります。
話したい内容が周囲と合わない。
興味の深さが違う。
冗談の感覚が違う。
「どうせ自分の話なんて分かってもらえない」と感じる。
そのうち、話すこと自体をあきらめてしまう子もいます。
大人は「友達を作りなさい」と言います。
でも、本人にとっては、ただ一緒にいるだけで疲れることがあります。
合わせようとしても合わない。
浮かないようにすると、自分を隠さなければならない。
その孤独は、外からは見えにくいものです。
ここで大切なのは、ギフテッドを「すごい才能」としてだけ見ないことです。
才能はあります。
でも、困りごともあります。
できることがあるからこそ、できないことを理解されにくい。
頭がよいからこそ、「分かっているならちゃんとできるはず」と思われてしまう。
でも実際には、知的な理解と、生活・感情・対人関係の力は別です。
算数ができるからといって、委員会活動がうまくできるとは限りません。
難しい本が読めるからといって、友達との雑談が得意とは限りません。
大人びた発言をするからといって、心まで大人なわけではありません。
むしろ、内面はとても繊細で、傷つきやすいことがあります。
保護者ができることは、まず「なぜできないの」と責める前に、その子の中で何が起きているのかを見ることです。
サボっているのか。
退屈しているのか。
意味が分からなくて動けないのか。
人間関係に疲れているのか。
完璧にできないことが怖いのか。
好きなこと以外に関心を向ける方法が分からないのか。
同じ「やらない」でも、理由は一つではありません。
そして、支援の基本は、好きなことを入口にすることです。
数学が好きなら、数学を取り上げる必要はありません。
むしろ、その興味を大切にする。
そのうえで、他の教科や生活面につなげていく。
たとえば、
「この文章問題を自分で作ってみよう」
「好きな数学者について調べて文章にしてみよう」
「図形を使ってデザインを考えてみよう」
「計算力を活かして実験やプログラミングに広げてみよう」
このように、得意なものを足場にすると、学びは広がりやすくなります。
ただし、「得意なことをやらせれば全部うまくいく」というほど単純ではありません。
ギフテッドの子にも、苦手はあります。
感情のコントロール。
集団活動。
提出物。
時間管理。
雑談。
失敗への耐性。
興味のないことへの取り組み。
そうした部分は、叱って直すより、仕組みで支える必要があります。
予定を見える化する。
作業を小さく分ける。
なぜ必要なのかを説明する。
選択肢を与える。
本人の興味と結びつける。
安心して失敗できる環境をつくる。
それだけで、子どもの動きやすさは変わります。
ギフテッドの子は、決して「楽な子」ではありません。
才能がある分、周囲から期待されます。
でも、期待に応えられない部分もあります。
できることとできないことの差が大きいから、本人も苦しみます。
「自分はすごいのか、ダメなのか分からない」
そんな混乱を抱えることもあります。
だからこそ、大人が必要です。
才能をほめるだけではなく、困りごとも見てくれる大人。
「あなたはおかしい」と言わずに、「あなたにはあなたの学び方がある」と伝えてくれる大人。
学校の枠に合わない部分を、ただ問題行動として片づけない大人。
ギフテッドの子に必要なのは、特別扱いではありません。
その子に合った理解です。
算数は満点。
でも、委員会の仕事はサボってしまう。
その姿だけを見ると、わがままに見えるかもしれません。
でも、その奥には、退屈さ、孤独、興味の偏り、発達のアンバランスが隠れていることがあります。
「できる子なのに、なぜできないの」
そう責める前に、
「この子は、どこで力を発揮し、どこでつまずいているのか」
そう見てあげてほしいのです。
ギフテッドの子は、ただの優等生ではありません。
扱いにくい子でもありません。
その子の中にある強い光と、見えにくい苦しさの両方を理解されたとき、初めてその才能は、その子自身を支える力になっていきます。