トー横キッズ 第4話

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コラム

トー横キッズと学校の問題

いじめ、不登校、スクールハラスメントの先にあるもの

子どもたちが夜の街に向かう背景には、学校での傷つきが隠れていることがあります。
学校は、本来なら子どもが学び、友達と出会い、少しずつ社会とつながっていく場所です。
けれど、すべての子どもにとって、学校が安心できる場所とは限りません。
ある子にとって教室は、毎日息を止めて耐える場所です。
友達の視線が怖い。
グループに入れない。
からかわれる。
無視される。
SNSで何を言われているか分からない。
先生に相談しても、うまく伝わらない。
そうした日々が続くと、子どもは少しずつ学校そのものを怖く感じるようになります。
いじめは、殴る蹴るだけではありません。
令和のいじめは、もっと見えにくくなっています。
グループLINEから外す。
本人にだけ分からない話題で盛り上がる。
SNSに遠回しな悪口を書く。
動画や写真を勝手に共有する。
表面上は普通に接しながら、裏では笑う。
こうしたいじめは、大人から見えにくいぶん、子どもの心を深く傷つけます。
学校にいる間だけでは終わりません。
家に帰ってもスマホの中で続きます。
通知が鳴るだけで胸が苦しくなる。
明日、教室で何を言われるのか怖くなる。
そのような状態で、子どもが学校に行けなくなるのは、弱いからではありません。
心が、自分を守ろうとしているのです。
また、先生との関係で傷つく子どももいます。
もちろん、多くの先生方は子どものために一生懸命働いています。
学校現場が大変であることも事実です。
しかし、「指導」という名のもとに、子どもの心を傷つけてしまう対応があることも否定できません。
みんなの前で強く叱られる。
理由を聞かれずに決めつけられる。
「やる気がない」と言われる。
「普通はできる」と比べられる。
失敗を責められる。
教室にいられない子が、まるで困った存在のように扱われる。
大人にとっては一瞬の言葉でも、子どもにとっては長く残る傷になることがあります。
特に、不登校、発達特性、ギフテッド、2E傾向のある子どもたちは、学校の中で誤解されやすいです。
頭の回転が速いのに、提出物が苦手。
深く考えられるのに、板書が遅い。
好きなことには集中できるのに、単調な課題には苦痛を感じる。
感受性が強く、先生の何気ない言葉に深く傷つく。
同年代と話が合わず、孤独を感じる。
周囲からは「できるのにやらない」「わがまま」「扱いにくい」と見られてしまうことがあります。
でも、その子は反抗しているのではないかもしれません。
学校という環境が、その子の心や特性に合っていないのかもしれません。
不登校は、子どもが壊れたという意味ではありません。
今の環境が苦しすぎるというサインであることがあります。
それなのに、大人が「学校に戻ること」だけを目標にすると、子どもはさらに追い詰められてしまいます。
学校に行けるようになることは、もちろん一つの大切な道です。
けれど、その前に必要なのは、子どもがもう一度安心を取り戻すことです。
「自分は悪くない」
「つらかったと言っていい」
「学校に行けない日があっても、自分の価値は変わらない」
そう思えることが、回復の出発点になります。
トー横に向かう子どもたちの中には、学校で居場所を失った子がいるかもしれません。
教室にいても孤独だった子。
いじめに耐えてきた子。
先生に分かってもらえなかった子。
不登校になり、家にも学校にも安心できる場所がなくなった子。
その子たちは、夜の街に行きたいのではなく、ただ「自分を否定しない誰か」に会いたかったのかもしれません。
もちろん、夜の街には危険があります。
だからこそ、私たち大人は、子どもがそこへ行かなくてもすむ居場所をつくる必要があります。
学校に戻すことだけを急ぐのではなく、まず安心できる大人とつながること。
家庭でも学校でもない、第三の場所を持つこと。
好きなことを話せる時間を持つこと。
勉強より先に、心を休ませること。
そうした支えがあると、子どもは少しずつ変わります。
学校で傷ついた子どもに必要なのは、さらに厳しい指導ではありません。
安心できる関係です。
「ここでは責められない」と思える場所です。
「自分はダメじゃない」と感じられる経験です。
学校は大切な場所です。
けれど、学校だけが子どもの居場所ではありません。
学校で傷ついた子どもには、別の場所で回復する時間が必要なこともあります。
私たち大人が考えるべきことは、子どもを無理やり元の場所に戻すことだけではありません。
その子が安心して息をできる場所を、一緒に探すことです。
いじめや不適切な指導で傷ついた子どもを、さらに孤立させないことです。
学校に合わなかった子どもにも、未来があると本気で伝えることです。
トー横キッズの問題は、学校の外だけで起きている問題ではありません。
学校の中で見過ごされた苦しさが、夜の街に流れ出していることがあります。
だからこそ、子どもを責める前に、私たちは問わなければなりません。
その子は、学校で安心できていたのか。
つらいときに、助けを求められる大人がいたのか。
その子に合った学び方や居場所は用意されていたのか。
子どもが夜の街に向かう前に、本当はどこで手を差し伸べるべきだったのか。
子どもたちは、問題そのものではありません。
大人が気づけなかった痛みを、行動で示しているのかもしれません。
その痛みに気づき、もう一度安心へつなぐこと。
それが、学校で傷ついた子どもたちを守るために必要なまなざしなのだと思います。
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