正しく信じようとするほど、現実は遠ざかることがあります。
自分がまだ経験していない考え方や方法を取り入れる。
これは、よくあることです。
問題になるのは、何を取り入れるかではなく、取り入れ方です。
人は分からないものに出会うと、早く分かりたくなります。
はっきりしないまま抱えるより、結論があったほうが気が楽だからです。
このとき、起きやすい反応は大きく分けて二つ。
一つは、腑に落ちる。
もう一つは、確かめないまま確信する。
腑に落ちるとは、頭で納得したというより、
内側で一致した感じがすることです。
ただ、ここには注意点があります。
腑に落ちたと思い込んでいるだけの場合もあるからです。
気分や憧れを、理解だと勘違いすることがあります。
一方、確かめない確信は、もっと楽です。
検証しなくていい。
経験が足りなくても、結論だけ先に持てるからです。
そして厄介なのは、その確信が答えではなく、
見方そのものになってしまうことです。
人は確信に合わせて、現実を読み始めます。
読むというより、都合のいいものを選び始めます。
確信が強いほど、考えの自由は減っていきます。
自由を奪うのは誰かではなく、自分の確信です。
確信を守るために、現実のほうをねじ曲げ始めるからです。
これは人間関係でよく起きます。
相手はこういう人だ、と決めた瞬間から、
見えるものがその型に寄っていきます。
沈黙が拒絶に見える。
視線の揺れが軽蔑に見える。
少しの距離が、終わりの証拠に見える。
証拠を集めているようで、実際は自分の筋書きを補強しているだけになります。
現実を見ているつもりで、現実から離れていく道です。
ここで、確信の甘さが出ます。
確信が楽なのは、自分が変わらなくていいからです。
相手を悪だと固定できれば、こちらは動かなくて済む。
話す手間も、確かめる勇気も、責任もいらない。
人は自分を守るために、確信という殻に閉じこもります。
ただ、じゃあ確信しなければいい、で終わらないのも事実です。
確信を避けることだけを徹底すると、今度は何も取り入れられなくなります。
腑に落ちるまで待つ、を基準にすると、腑に落ちないものは全部切り捨てることになる。
それではそれで、世界が狭くなります。
だから必要なのは、確信するでも拒否するでもない態度です。
結論を急がず、いったん保留にして扱う。
保留とは、決めないまま放置することではありません。
仮置きして、観察の対象にすることです。
やることは単純です。
期限を切って試す。
それだけです。
たとえば一週間。
その間、信じるのではなく、検証としてやってみる。
何が起きたか。
自分の中で何が変わったか。
そこだけを見る。
気分が軽くなったのか。
選択が増えたのか。
人への見方が変わったのか。
逆に、窮屈になったのか。
正しさを証明するのではなく、変化があったかどうかを確認します。
変化が出ないなら、それは今の自分には合っていない。
変化が出るなら、その分だけ理解が進んだということです。
経験豊かな人の言葉は、地図としては役に立ちます。
でも、地図を信じ切ると迷子になります。
地図を捨てて歩けば、不安は増えます。泥濘を踏むからです。
それでも、歩いた分だけ経験が残る。
血の通った理解が残る。
それ以外は、頭の中の結論です。