もしもが多くて、今が見えない

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人は現実で苦しむより、可能性で苦しみます。
そして同じように、可能性で喜びます。
起きていない未来を大きくすると、感情だけが先に動きます。



たとえば、手に入らなかったものが、

あとからやたら大きく見えることがあります。


終わった恋

逃した仕事

買わなかった選択肢。


当日はそこまででもなかったのに、時間がたつほど苦しくなってきた。


それは、失ったものが大きいからとは言えないものです。

多くの場合、苦しさの正体は事実そのものではないものです。


起きなかった未来に、重みを乗せている。
頭の中で「こうなっていたはず」を完成させ、その世界に心を飛ばしている。

事実と違うから苦しい。



恋愛が分かりやすい。
付き合えなかった相手、別れた相手が、

時間がたつほど唯一の人に見えてくることがある。
もしそうだとしたら、あなたが「もし付き合えていたら」「ずっと一緒に過ごしていれば」

を作っているだけです。



うまくいった場面だけを切り取って再生する。
合わなかったところ

疲れたところ

噛み合わなさは消える。


そして「付き合えていたら毎日楽しいはず」「優しくしてくれるはず」

「次はうまくいく」といった脚本だけが残る。


その結果、相手ではなく、編集した記憶と存在しない未来に依存する。




大きいものを失ったのではない。
大きく見えるようにしているのは、自分です。


現実にあるのは「手に入らなかった」という一点だけ。


そこに「もう終わりだ」「私はダメだ」という物語を乗せるかどうかは別の話です。



あの時こうしていれば、もう一度だけチャンスがあれば。
これは反省ではなく、存在しない世界への執着です。
執着は現実の視野を狭める。


結果、次の選択肢が見えなくなる。

抜け方はシンプルです。
事実だけを書く。

何が起きたか。
もしもを切る。

採用しない。


起きなかった未来を眺め続けても、出来事は変わらない。


苦しさの多くは、出来事ではなく作った解釈です。

それを作ったのは自分であれば、終わらせることもできます。
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合成したみたいですね
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