【そこしか生きられないよ】

【そこしか生きられないよ】

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コラム
こんばんは。
細井敬太です。

最近、あらためて感じていることがあります。
それは、
「もう、そこしか生きられないよ。」
という感覚です。

昔のぼくは、
もっと分かりやすい成功を求めたり、
もっと良い方法を探したり、
もっと多くの人に伝わる表現を探したりしていました。
もちろん、それも大切な時間でした。
でも今は、
何かを目指しているというより、
自分が本当に心地よく存在できる場所から離れられなくなってきました。

歴史を振り返ると、
多くの思想家や探究者たちがいました。
彼らは長い年月をかけて、
対立するものを超え、
善悪を超え、
正解と不正解を超え、
もっと深い場所を見つめ続けました。
名前や時代は違っても、
最後には共通した場所へ向かっているように見えます。

ぼく自身、
特別なことをしている感覚はありません。
論文を書いているわけでもない。
大学で講義をしているわけでもない。
何かの教団を作りたいわけでもない。

ただ、
京都の街を歩き、
尾道の坂道を歩き、
カフェで珈琲を飲み、
人と対話し、
静かな時間を過ごしている。
それだけです。

でも最近、
その「それだけ」の中に、
とても大きな豊かさがあることを感じています。
何かになる必要がない。
誰かを超える必要もない。
誰かを否定する必要もない。
そして、
誰かの世界観に飲み込まれる必要もない。

ただ、
自分の感覚に正直でいる。
ただ、
安心感の中にいる。
ただ、
元々の自分を思いだし続ける。

それは一見すると、
何もしていないように見えるかもしれません。
けれど、
ぼくにとっては、
これ以上ないほど力強い生き方です。

「無為自然」
という言葉があります。
何もしないという意味ではありません。
自然な流れに逆らわず、
本来の自分から生まれる行為を生きること。
そんな意味だと感じています。

だから最近は、
人生を変えようとも思わないし、
誰かを変えようとも思いません。
ただ、
自分自身が整った状態で存在すること。
それだけを大切にしています。

2025年の夏頃から、
たくさんの言葉を紡いできました。
揺れた日もありました。
迷った日もありました。
それでも振り返ると、
ひとつの流れの中にいたように思います。

そして今、
静かに思います。
「そこしか生きられないよ。」
と。
諦めではありません。
降参でもありません。
むしろ、
とても自由で、
とても安心した感覚です。

現れて良し。
現れなくて良し。
今日もまた、
静かに立て看板を置いておきます。


2026年6月8日
細井敬太


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