前編から続いてのお話となります。
この日露戦争の薄氷を踏むような勝利は、現在でいうところの「特定秘密」のように、一般国民が知る機会はありませんでした。
国民が知ったのは、戦後になってからのことです。1968年から新聞連載された司馬遼太郎の「坂の上の雲」によって、多くの国民の知るところとなりました。
戦前の国民は、学校の教科書で日露戦争にまつわる話を学びました。
広瀬中佐、乃木将軍、橘中佐などが戦場で活躍したエピソードが有名で、当時の国民ならば誰もが知っている名前でした。
一方で、イギリスやアメリカの投資家から多額の融資を受けたことや、バルチック艦隊の動向を逐一知らせるなど日英同盟による様々な便宜、当時においては珍しいほどの知日派であったセオドア・ルーズベルト大統領の講和仲介など、日露戦争中は国民にも共有されていた事実も、教育やメディアには取り上げられなくなっていったように思います。
薄氷の勝利という特定秘密が、「戦争に勝ち、外交(講和条約)に負けた」という報道や批判を生んだことは間違いないと思います。
そして、メディア報道だけでなく教育にも影響を与えてしまい、次世代を含む社会全体の認知の歪みとなったのではないでしょうか。
このように、講和条約締結においては必要な「特定秘密」であっても、民意を無視できない仕組み(議会・選挙・世論など)をもった近現代国家では、その情報格差が問題を引き起こしうるということが具体的に学べます。
戦前の歴史の怖いところは、その政治的な仕組みが現在とあまり変わらないことにあると私は思います。
軍国主義などの暗いイメージをお持ちの方も多いかと思いますが、大正モダンの明るい文化もありました。
それに、東条英機首相は真珠湾攻撃の翌年に総選挙を行い、投票率83.1%の中で定数466名中381名が与党推薦候補という強い民意を得ています。
つまり、「あの戦争は軍国主義が勝手にやったことなのに、無辜の民衆が空襲や原爆に巻き込まれた」というわけでは決してありません。
戦前は今とは別世界なのではなくて、むしろ現代社会とほとんど同じ仕組みをもった世界と言えるのではないでしょうか。