「人生に無駄はない」の呪縛を感じるとき

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コラム

会話のなかで、
「人生に無駄はないんだよ」
と、聞くことがあります。

また、
「何事にも感謝だね」
と、言われることもあります。


わたしは過去、
理想の自分としての思考ならどちらの言葉も理解ができました。
一方で、
素の自分のこころは息苦しさを感じ、
(とても受け入れる余裕がない)
と、思っている自分が居るのも正直なところでした。

そんなとき、
(なんでこんなに息苦しさを感じるんだろう)
と思うものの自分なりに謎を解くことができず、
何れの言葉もこころに染みていかない実感と、
そんな自分を不甲斐なく思うばかりでした。

今になって思うと、
その頃は自分の人生の主役は自分で、
一番大切な存在なんだと思えず、
周りの人のことをいつも優先して生きていました。

理想像の自分を公私それぞれの時間で演じ続けることで、
こころに感じる息切れがだんだんと増していき、
自己犠牲的に生きているとの実感は強くなるばかりでした。

そんなころに、
「人生に無駄はないんだよ」
「何事にも感謝だね」
・・・全くこころに響く余地がありませんでした。


振り返って思うこと。
こころの深いところから
「人生に無駄はないんだなぁ、
どのような経験も自分の肥やしとなって今がある」
「感謝の気持ちが湧いてくるよ」
しみじみと感じられるかどうかは、
自己価値のバロメーターになるのかも、ってことです。
自分自身をまるっと受け入れているから、
こころに染みわたるっていうサインかもしれませんね。

この気づき、
ここでの苦悩、
自己価値の生みの苦しみ。

そこでのプロセスに、
カウンセリングのなかで唯一無二の自分と向かい合い、
そして取り組んでいくことは、
有意義な人生の歩みとしてチャンスであり、財産であり、
あなたならではの豊かさを得る源になると思いませんか?






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