不便だけど不幸ではないこと

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初めまして、初投稿します!

今年になって急速に生活様式が変わっていき、
閉塞感を感じずにはいられない時もあったりして、
お疲れさまって自分に言ってあげたい時もありませんか?

道を歩いていても、電車に乗っていても、
マスクをして協力し合えているっていうこと、
ふと連帯意識を感じてこころにジーンとくることがあります。


わたくしごとですが、少しお話させてください。

遡ることおよそ9年前。
ある日の朝、
(さぁ、起きて仕事にいく準備しなくちゃ)
と、マクラから頭を上げようとした途端、
背中に激痛が走り、すぐには起き上がれませんでした。
状況理解ができず、こころに(!)とだけ浮かび頭が真っ白に。
いざ起き上がれても腕を動かすことがままならず、
水道の蛇口ひとつひねることにも苦悶するありさま。

この日から突然、仕事に行くことができなくなり、
またいつ激痛から解放されるかもわからない状況が続き、
自宅内での身の回りのわずかな動作でもがく毎日がやってきました。

こんな時、目の前が真っ暗になり、
絶望的になっても不思議じゃなかっただろう。
なのに咄嗟に、
(せっかくもらった自由な時間、活かせることに活かそう!)
そう思っている自分に、
(ええ~!そうくる?)
と笑えてしまい、案外冷静な自分を頼もしく思えたことを思い出します。
そして、その時だからできた有意義な時間の過ごし方ができて満足しています。


いま思えば、
この時のわたしは目の前の【不便さ】を感じつつも、
【不幸さ】の発想はゼロだったので、
お陰で八方塞がりにならず、思考も感情も自由だったのかもしれません。

同じ状況にあっても、発想によって分岐点をつくりだすことがあるのでしょうね。
【不便だけど不幸ではないこと】
この発想は、その後も、そしていまでも生きていくうえでお守りになっています。

いま、コロナウイルスにまつわる生活様式の変化のなかにあっても、
【不便だけど不幸ではないこと】
これを活かすと発想が柔軟になり、思慮が自由になって拡がり、
一見制限ある生活の中にも、
この環境から自分なりの生き方につながるチャンスを見つけられるかもしれませんね。



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