『当たり前』を疑ってみる

記事
コラム
どの本で読んだか忘れましたが、
とても印象に残っている話があります。

ある人の妻が、大きなハムの塊を料理する際に
かならずハムの両端を切り落としていました。

それを不思議に思っていた夫は
奥さんの実家で、その話をしました。

すると妻の母親が
「それは昔、うちには小さい鍋しかなくて。
お婆ちゃんがハムの両端を切っていたのよ」
と言ったそうです。



〇〇せねばならない/してはいけない とか
〇〇であるべきだ/べきではない といった
自分の中の「ルール」すなわち「制限」は、
強くてネガティブな感情が伴うので
気づきやすいっちゃ気づきやすいです。


だけども、ハムの端を切る切らない とか
便座の蓋を上げとくか下げとくか(笑)みたいな
強い感情を伴わない「ルール」って
なかなか気づきにくいですよね。

あまりに当たり前すぎて、存在感がない。

でも、やっぱりそれも「制限」です。
ほかの選択肢を排除して
自分の行動を限定しているのですから。



エンパスは自他の区別がつきにくいので
知らず知らずに自分をお留守にして
他人を生きていることがあります。

当たり前にやっている習慣的な行動を
〝自分〟で選択しているのか、それとも
〝他者〟の選択を鵜呑みにしてるのか。

この違いは、とても大きいです。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら