無駄を避けるために、無駄を経験する
無駄なことをしたくない。それは当然の考えだ。時間は有限であり、効率よく生きたいと思うのは自然なことだろう。しかし、「無駄を避けるために行動しない」のは本末転倒だ。なぜなら、何が無駄で何が有益かは、実際に経験してみなければ分からないからだ。
例えば、新しい趣味を始めるとしよう。最初から「これは時間の無駄かもしれない」と考えてしまうと、何も始められない。やってみて、楽しければ続ければいいし、そうでなければやめればいい。その過程で得るものがあれば、それはもう「無駄」ではない。
さらに言えば、無駄なことを一切しない人生は、合理的に見えても、感情が動かない、無味乾燥なものになってしまう可能性がある。面白いこと、楽しいこと、意外な発見は、多くの場合「非効率」の中から生まれる。だからこそ、無駄を恐れずに手を動かすことが重要なのだ。
予測できないものに飛び込む
時間の使い方についても同じことが言える。「この時間は有益か?」「これは効率的か?」と、最初から判断することはできない。できるのは、「なんとなく面白そう」「楽しそう」という直感に従うことだけだ。
この「~そう」という感覚を持たない人は、合理的に見えるかもしれないが、感情の動きが少なくなる。それが悪いわけではないが、心が動かない行動ばかりでは、何かを楽しむことも難しくなるだろう。笑いや驚きといった感情は、予定調和では生まれにくい。
何かを始めたとして、それが期待通りの結果を生むとは限らない。でも、それが良かったかどうかは、やってみなければ分からない。「最初から完璧な選択をする」というのは幻想だ。
正解のない世界で決めたことをやる
リスクの取り方や決断の方法についても、絶対的な正解はない。あるのは「やった結果、何かを得る」という事実だけだ。それが思った通りのリターンであるかは分からないし、人によって価値の感じ方も違う。だから、方法論を一般化することは難しい。
決めたことをやってみる。その結果、「違ったな」と思えば、別のことを試せばいい。それだけの話だ。決断とは、何かを選んで終わりではなく、選んだ後にどう動くかまで含めたものだ。
成功確率や再現性の話になると、「どうすれば確実にリターンを得られるか」という議論が出てくる。しかし、どんな行動にも成功が保証されるわけではない。問題は「10回やって1回成功するのか、8回成功するのか」という確率の話でしかない。そして、その確率は、実際に試行回数を重ねなければ見えてこない。
だからこそ、量が必要になる。ある程度の量をこなした上で初めて、「こうすればうまくいく」「これは避けた方がいい」といった質的な判断ができるようになる。この感覚が分からない人は、単に経験が足りないか、過去に学んだことを忘れているだけかもしれない。
結局のところ、やるしかない。そして、その過程で学び、考え、判断するしかない。時間を使うことも、リスクを取ることも、最初から答えを知っているわけではなく、やりながら答えを見つけるものなのだ。