「まだやってるんだ」をポジティブに受け止める

「まだやってるんだ」をポジティブに受け止める

記事
ビジネス・マーケティング
先回の続きみたいな話です。
これって、タイトルが抽象的で悪いのは分かってるんですが、結果的にそうなる仮説も含んでます。だからこそ、まだ続きがあるし、言えることは多いだろうなと。

今回は、もうちょっと突っ込んで書いてみます。

何かはじめたい、やりたい、趣味ビジネス問わず、そういう人で、どれくらい活動したり何かするといいんだろうと漠然と「悩んでいる」人にはヒントになるかもです。答えがあるわけではないですよ(笑)

人はすぐ忘れる。自分も含めて。

ある本か記事で子どもはすぐ忘れるので何度も言うというのがありました。親向けですね。これは大人でもかと思っていて、僕もすぐ忘れます。自分が書いたこととかもですが、人から聞いたこともですよね(笑)

なぜか人は自分のことを棚に上げがちですが(認知しづらいからですよね、きっと)、「他人には忘れるな」というのに「自分は忘れている」ことに気づかないんですよ。面白いですけど、そういう前提があるコミュニケーションだと、「自分も忘れてますけど、」とか言えるから、もうちょっと潤滑的な感じがしますよね。多分。

これは、自分のやっていることでもよくあります。
つまり、自分がスポーツ選手でサッカーをやっているとします。ずっとサッカーを考えてやっているわけですよね?これがライターでも、不動産営業とかでもいいんですよ。なんでもいい。ずっとそれを考えるか、またはやり続けているとする(その期間も、考えるやり方もここでは問わずです。そう思っていればいい)。

でも、そんなこと多くの人は知らないんですよ(笑)これが事実というか、まあ当たり前ですよね。

必死に化粧品の新作のお試しを呼び込みをしているお姉さんがいるけども、その人が「今日で退職するんだ」なんてのは分からないじゃないですか。

めちゃくちゃしつこい営業している人が「ずっと成果がでなくて」とかも分からない。

もっとポジティブにいえば、「スーパーで対応してくれた店長さんが実はNo.1営業マンだった」とかも知りようがない。

みたいなことです。人は分からないですし、その人がずっとそれをやっているとかもわからない。多くは情報伝達の限界もあるのですが、そもそもあっても忘れるわけです。

ここまでOKですかね。人は忘れる。興味がないとかもあるんですが、多くは興味にならないか、もっても忘れると。忘れる前提で行こうってことにになります。

自分が何か発信しても何も起きないことが前提

だから、何かやりたい人は行動をしますよね。分かります。

例えば、SNSをはじめた。餃子を売りたいので餃子情報を流すようにしたとか。でも、そんなことをしてもすぐ売れるわけではないですよね?ここまで多くの人は想像できるはずです。

SNSをやれば売れるなんてそんな甘い話はないわけですよ。
ただ、そのSNSをやれば、とはSNSをどこまでやるか?もあるので、吟味していく必要がある。

SNSで餃子情報を流し続けているけど手応えが悪いみたいなことがあるわけですよね。普通に。でもその時って、冷静に見るとそれって「やってない」に等しいもあるわけです。

どういうことか?
つまり「SNSで毎日餃子情報を投稿している」という行為が、一般的にですが、フォロワーが1000もなければ、フォロワーに届いているかも怪しいと。ちなみに僕のXのフォロワーは1000くらいですが、ほぼ誰も見てないように思います(アナリティクスとか見てないのでここはサボってます)。

それで、だから「言っても、投稿しても意味がない」のではないんですよ。それくらいが普通ということです。フォロワー数は仮の話なのであまり気にしないでください。10でも、1万でも100万でも一緒かと思います。マインドセットの話がですね。

ここで「餃子について情報をだしているけど手応えがない」は正しくて、一方で、「それで情報を発信し続けている」のが一言でいえば「ぬるい」ということになるんですね。

ぬるいというと厳しいですが、シンプルに、
・届いてないのでどうすれば届けられるか?
を詰めてられるか?そこで考えてまた行動を重ねられるか?なのかなと。さらにそこから次の手応えが見られるか?なんですよ。

ここで筋が悪いという仮説というか考え方は多分ですが、
・自分には才能がない
・自分はマーケティングが下手だ
・社会や人のニーズがない
・SNSの使い方が悪い
みたいなことって考えがちじゃないですか?これ全部、筋悪(すじわる)ではないかと一旦してみます。絶対ではないですよ。

多分ここが最も大事なので、図解しておきます(笑)
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これってめちゃくちゃ精神論っぽいですよね。実際に半分くらいそうだなあと(笑)届いてないから「届くには?」を愚直に考えるという感じです。このとき、色々理屈をこねてもいいのですが、シンプルに理屈もいいよと、ただ行動としては「伝えたい人に届ける」ってことが最初に出てきて、そこをどこまでやれるかってことになるわけです。

具体的にアイデアとしては、
・届けたい人っていうけど、誰でもいいの?じゃないよね?誰に届けたいのか見えてる?
・読んでどうなってもらいたいのか、伝えたいメッセージは何か?行動を促進したいのか、認知してもらいたいのか?そういう意図は何なのか?
・自分が感動したり心が動いているのを伝えるなら、それは嘘ではない?本当に心が動いてて、それが言語で伝えられてない、コミュニケーション的な話ならばそれを改善していけばいいのでは?
みたいになるというか。
これって、やり方とかニーズとかの話ではないと思うんですよ。正確には重なりがありますけど、誰、どんな意図でみたいな「企画」だなと思うわけですが、そういうのがあるかどうか?

そして、そういうのの熱源って何か?ですよね。
それはやりたいとかってことでもいいし、僕なら楽しい面白いが大事なのでそこをやりたいかです。

という状態の時に「多少だめでも」「明らめない」がセットなんですよね。多少だめなら明らめる場合多分それはそこまでやりたいことではない。または、「あきらめがち」なことなら、手応え関係なくやめちゃうというか。どちらも大事という感じですかね。

ここまでで言えるのは、他人は忘れるし、自分も忘れる。その前提でやっていくとき、メッセージはほとんど伝わらないという前提でやりたいとってことですね。

やれば多分伝わるという「感覚」をもって取り組む

このエントリなども、エントリらもそうですが、多くの人はそれを理解できてないか、されていないか。これは読者を馬鹿にしているのでなく、一対一で付き合ってそれで説明しても「100%」なんてないんですよって「世界」であり「世界観」であり「理解マインドセット」のことを指してます。「50%」も伝われば十分というか大勝利かなと。

なので、10伝えたいなら、最初5だとします。次は、残り2.5でみたいな。次は1.25ってこれは例えであり絶対この通りではないですよ。だから、5、2,5、1.25で、これなら3回目でやっと、8.25ですから、8割やっと3回目で分かるわけです。そういう感じで捉える必要があるのではってことですね。

何も起きないから何をしてもだめでなく、何度もやるとその扉は開く
自己啓発感が強いですが大いに啓発されてください(笑)

本当にそうだと思っていますが、多くはこんな感じです。
1.何か試す、動く
2.何も反応がない
3.自分は才能がないんだ・・・下手なんだ、だめなんだ
4.明らめる
5.しかしやはりやりたいので、1へ戻る

人によっては、3が根深いので、ここでいう「実力」とか関係なくまずは動いて、「量、回数をこなす」ところへ行けないんですよ。これ不思議ですが、多くは量でカバー出来ると思います。というか、質が最初はないので量でカバーするしかないんですよ。ハードワークしろってことではないんですが、動くということはそういうことなので、時間を使いますよね。それは最初は仕方がないのかなと。逆にそうでないものってまあ怪しいですよね(笑)

4は誰でもあるんですよ。明らめるって。でも、だからだめでなく、それでもやりたいってのが普通はあったりする。なかったらそれはそれでいいのですが(笑)だから、5にいく。

そしてこのサイクルは何度も繰り返されるんですよ。
その度に3のところで「傷つく」と嫌なので、辞めると。分かりますが、そもそもずれていて、「それ誰も気にしてないですよ」です。嫌な奴がパフェでも食ってるみたいな本があったかな?と思いますがそういう世界です。

伝わってないという以前に量の問題があるんですよ。量が足りてないだけといってもいい。それやりまくって全然何も起きないなら本当に「やり方」の問題ですが、その「手応え」としてやりきったまでやっているか?なので、そこまでいって初めて「やり方を見直す」があってもいい。

という意味では、これらのところで「理屈」って守破離でいえば「守」で色々こねててもしょうがないんですよ。基本ができてないというか。考えてもいいですけど、圧倒的に体験、体験、知見との差異がある(頭でっかちになる)ので、そこはまずやってからでしょってなるというか。

「まだやってる」ってのは多分良いこと

交流があったり知っている人が、5年位経つ。でもあまり活動は変わらないとか、仕事が変わらないとかがある。それは良い意味でですね。やらされているのではない、やっているんだっていうものです。

1,2年くらいなら「頑張り」でカバーできますが、多分これは仕組みレベルでつまり、熱量や情熱、想いとかってことですけど、それがないと、まあ3年とかそれ以上無理なんじゃないかと。

なぜなら、「忘れ続ける」し「思い出す仕組みがない」ので、できないんですよ。文字どおり一生できない。正確には「やろうとするがやらないのを連続し続けているので、一瞬出るが出てこない」みたいな(笑)一人もぐらたたき状態というのが適切ですかね。

よって、「まだやってるんだね」は嫌味に思われるかもですが(笑)僕は良い風に取ったほうが良いと思います。それで「って思われるってことは、やり続ける何かがあったし、仕組みやモチベーションがあった」ということを証明しているからです。

これ、別に儲かるビジネスとか仕事とかでなくてもいいわけで。なんでもいいんですよ。そもそも人が何かをやることが奇跡くらいに思っていて、それを特定の領域でやるってことは、明らかにその興味や関心が一定以上あるわけです。そこをちゃんと評価出来る人がいないわけですが、それはわりと当然でして、あなたは私ではないわけですから。人は忘れるし、自分も忘れるわけですからね。

むしろ「まだやっているんだね」というくらいでやり続けていくことで、そこに活路を見出したほうがいいんじゃないかまであります。

自分が忘れるからやる気がないのではなく、僕は環境として仕込めなかったと考える方が強いです。多くの物事は「やる気」でなく、「環境」構築ができていないからできないという方に振っているからです。当然やる気とか興味はあるんだけど、それって周りがどうとかに影響されやすいからのほうが強いのではないか説ってことですね。

それが「能力」「実力」はあるんですが、とはいえ本当にそうなのか?ということでした。実際に「回数」が少ないから見られてないだけで、いわゆる「未経験故に経験量が少なく、幅が狭い、深みがない」というのはそういうことです。だからだめでなく、経験を増やしていく「しか」ないんですよね。

突破できるブレークスルー感覚は、ある日突然来ます。これはスピリチュアルではなく、自分が想定しているよりのものがたまに伝わったりそこで得てもらえるからです。これは何度も言っていますが、「自分が大変ではないけど、人が評価してくれること」があることから明らかです。これも人と自分が違うという前提でいえば当たり前ですが、見過ごしがちですよね。

というわけで、長くなりましたが、理屈も僕は好きですが、あまりあーだこーだ言わずにやっていくと見えることもあるんじゃないかということでした。だから、精神論で気合だけでやれってことは全く思わないです。その精神論的な精神でさえも「環境」が大事です。周りの仲間とか、関わりとかがかなり大きいのではないかな?と。そこを軽視する人も多そうですが、多分思っている以上にでかいはずです。

なので、何か成果がすぐ出ないなという人はこの原則?を押さえてもらっていくと、多分多くは「回数」「量」が絶対的圧倒的に足りてないだけと気づくはずです。「やってるんですが」といって「心からやれている人」はほぼ合ったことがないです。自分も「やっているのにおかしいな」と思ってます(笑)だけど、「やっているっていうけどどれくらい?」というとき、「全然だな、ごめんなさい」となるというか。そんな感じです。

これも相対的ですから、1日100投稿(笑)無理ですし、1日24時間しかないです。だから1日でやれることは本当に「1投稿」くらいでしかない。でもこれはやはり大きな一歩でそれを積み重ねていくしかない(1日1投稿しないとだめとかってことではないですよ。人によって違うので、ペースも考え方も)わけです。積み重ねているのであれば大勝利です。少しさぼってもOK。

最後は楽しんでやれているか?になりそうです。ここであれば、先のサイクルで補給が出来るので何度も何度もやれます。そこで補給できてないとしんどくなる。少ししんどいだけでもめちゃくちゃ後で負荷になって行き詰まります。そこを楽しめると、どんどんリジェネではないですが回復していくんですね。ここのイメージが大事かもしれないですね。
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