今回は言語化に関する話です。
とくに、何かやりたいとか、または誰かに説明する時に課題があるという人向けかもしれません。
言葉にするのは面倒くさい
これは僕が面倒ということではなく、面倒くささがあるよなというところと、そういう指摘をされると「確かに」あるよなという話です。
例を挙げてみます。
例えば、僕は生活の中で気づいたことをメモしてください、ということを言っています。アイデアってそういうところから生まれるからです。
ですが、これ「面倒くさい」わけですよ。
単純に習慣化されてないので、新たな行動は「脳」が拒否します(笑)ある種正しい反応だと思います。
そして、言語化する時、これは盲点だったのですが「自分の言葉」でメモするのと、それを「他人に」伝える言葉は大分違います。
端的にここでの記述を僕は「敬語」で、ですますで書いていますが、他者のまなざしを考慮しているからです。でないような自分メモを書いていますが、同じ話題でも「あーうん、だよねー、わかるわ」みたいな感じで書いています。それで書かれたら読む気になります?ってことでならないはずなんですよ。
違う例でいえば、Xで書かれた投稿をそのままインスタグラムに貼り付けるとなんか違うよな、ってありますよね。多分そういう違いにもなるというか。言葉が活きるかみたいな感じもあります。
整理すると、言葉にするのが面倒というとき、
1.気付いたことを自分の言葉にするまで
2.自分の言葉を他者に伝える言葉にするまで
があるんじゃないかと。あなたはどうですか?良かったら教えて下さい。
ここまで見えるだけでも収穫なのですが、
僕は、1も2もそれほど苦ではないんですよ。むしろ、0で得ているネタがあるので、1があれば別に2は他者に対して調整する「だけ」って感じです。相手が小学生ならそのように、ITがあまり得意じゃない人ならIT用語を減らしてとかはわりと出来るってことです。っていっても万人全てにいけるとかは思ってないです。ここで大事なのは、自分がそれらを意識していないので、かつそこで支障がないという点です。
はい、これが才能とか、強みとかっていいので、あとはここで価値がある、人が求めているならば仕事になるってことになります。
起業をしたいが書くのがだるいという人は結構いる
ここでは「起業」としましたが、「何かやりたいこと」と言い換えてもらってOKです。
ですが、「書く」のがだるいというか、面倒というか。
別に「自分の頭」の中に明確にあるので、言語化要らないでしょということです。
これに対する反例的な意味では、僕がぱっと出てくるのは、
・言語化しなくても、あなたの頭にあれば全然OK
・ただそれが以心伝心で伝わるものではない
・また背中を見て技を盗めはまあ乱暴といっていい
・故に、結果的に他者に(自社内でも、お客さんでも誰でもです)伝えるには、言語化は最低限いる
という考え方です。
なので、システム開発とかで冗談として「仕様書はないのですか?」「仕様は僕の頭の中にあります」みたいな返しがあるくらいなんですよね。これは冗談ですが、仕様書=言語化されたものがない、他者が分かるものがない、ということです。当然仕様書がないので、最初は良いんですよ。その担当者がいるうちはですよね。でも今は、40年もそこに勤める時代ではないですよね?なんていわなくても、まあ困るわけですね。困った時に「あー仕様書作っておけば」では遅いというか。
他の例も色々ありそうですが、少なくとも「他者に伝える」ことがないなら自分だけでOKですよね。ただ自分の中でも、僕もですが、自分で「言葉」として提示するとはっきりするし、思考もクリアになります。あとショートカットできたり、いちいち最初から考えなくて良い。ので、言語化しなくていいとは絶対に言わないです(笑)
今回は「だるい」「面倒くさい」というところを説明している感じです。
話を戻します。カフェをやりたいという人がいるとします。
しかし、カフェの事業計画書となると、書きたくないか、書けないという人は一定数いるのかなと。なんでか?面倒なんですよね。
しかも、自分は「分かっている」わけですよ。脳内に明確にある。非常に分かるんですよ。
でも、他者に伝える、はい、これが「他者のまなざし」ってことです。他者に理解してもらうには、言葉を変えないといけないわけです。
「自分は完璧に理解しています、頭のイメージがあります」では、融資がされないとか、相手に伝える言葉やイメージがないので「えーあのカフェ有名なんだけど、伝わらないのか。うーん」となって詰まってしまうわけです。
他者に説明する明確なシーンって実は、「何かやりたい」ことがなければ不要なのかもしれないです。ここはちょっと分からないです。
ただ、何かやりたいと呪文のように自分で唱えてもあまり何も起きないのかなと。誰かや人に伝えることで巻き込んだり、関わりが生まれる。少なくとも、僕は「楽しそうじゃないと関わりたくない」ですからね。本当にこれはそうです。
なので、だるいとか面倒くさいって分かるんですが、
それは自己完結する世界ではありだけど、何かやるという行為=社会的行為=人が関わるので、そこは手抜けない気がします。
あ、書くのが苦手なので誰かに書いてもらうのはありですが、原型とか、ネタはやはりその人が「書く」ことが大事かなというところです。プロみたいに、文章でメシを食うとかにならなくて全然いいし、そうでない人の方が多いわけですから。ここは誤解なきようというところです。
言語化するメリットは大きい
面倒くさい、だるいだけだと面白くないので、言語化のメリットで締めてみます。
・自分の思考がクリアになり、課題や強みが明確になる
・自分の目標ややりたいことが説明でき、ストレスがなくなる(もやもやが消えるとか)
・短時間で相手の理解が出来たり、またはこちらの理解を促進できる(これも弊害はあるわけですが、関係づくりならメリットは大きいはず)
・自分の思考の変遷、またはどう考えているかを伝えやすい(これはある程度量をこなす必要性がありますが、出来ると最初から考えなくていいので、いくらでもネタがある状態になります)
・振り返りの話は前しましたが、そのように振り返るときも言語化された記録がないときついですね(映像などリッチなものは見て聴いては思ったより大変です。音声ファイルも。文字の強みがそこにありますよね・・・)
などなど、結構あります。というかデメリットがないまであるというか。
ここでは少なくとも自分の言葉にする(正確にいえば、自分が気づいたことは自分メモを取る意味です。オリジナルな概念を作れではないです)ことはやったほうがいいのかなと。
そのうえで、他者への説明は、プロとか、何か特定の領域で高める必要があると思っていて。例えば事業の説明でもいいし、プレゼンでもいいし、話をして会話を盛り上げるでもいいし、もっといえばコミュニケーションの骨子なような気がします。
伝わらない説明とは、自分が伝えたいことだけがあって自分の言葉で話しているケースですかね。正確にいえば「話したいことも伝えたいことも、その人の言葉を使う」も全部OKですが、そこに「説明をされた」「相手側の反応」が皆無なら、それ「壁」に向かって話しているわけですが、人間扱いされてないと思いませんか?ってことです。ここを意識するだけでも良いかもしれません。
今回はこのくらいで!