学びとは何か?をということをふと考える機会がありまして。とはいえ、結論はなくて、あえていえば「何を学びたいかで変わるし、そう高尚なものでもない」というところです(笑)ただ、学ばない人生とか日々とかってかなり退屈で何か面白いことないかなと、そしてその面白いことがあれば誰かと共有していくほうが幸せかもなあという話です。
そういえばkindle本を出していた
かなりプライベートに近いですが、自転車縦断日記というのをまあ出したんですね。学生の時のなぐり書きみたいなものですが、気になればぜひと。
それはいいのですがそういうkindle本を出すって、またブログやエントリとは違って日々のアウトプットの延長でありつつも、違うなと。鍛えられるところやまとめ感みたいなものがもっと長いというか。
実際に日々のブログを自分が書くように読んでいるかというとそれはまあないんでしょうが、そこはそれ。色々なアウトプットの粒度に応じて手応えというか歯ごたえですかね、かみごたえがあるのがいいんじゃないか。
って意味ではそういう粒度を色々いじれるほうが幸せで。まさにこれは学びと通じると。端的にいえば誰かに伝える、教える方がぐっと学びの解像度が上がるわけですね。分からないことも明確になるので。
って意味で、まず準備をしてからでなく、まず書いてみる。そっちのほうが早い感じはします。ただ本当にインプットゼロだと何も書けないので、そうなったら書こうとする→インプットないことに気づく→学ぶ→みたいな循環になると。一方で、インプット=学ぶってことでなく、アウトプットも学びなので、そこをセットに考えたいところですよね。
空気のように考えてその思考を出していく
これは生き方というか信条みたいなものです。僕のですね。
学んでそれを伝えて分かった分からないがある。それを繰り返していくと。そういう繰り返しが楽しいのだよなあと。楽しいってそういうことだよなあと。学びってそういうことだったよなあと。
そういう原点に返る時、これでいいじゃないかという肩の力が抜けてかついい感じで強い球が飛ばせる、ゾーンなりに入った感じはしますよね、多分ですが。
それが才能であるからこそ、そうやって磨きをかけると。当然これも人との比較とかどうでも良くて自分でやってみてどうかを試していくと。
学んで幸せになろう
幸せでない人に幸せになろうとかってのはナンセンスで。このあたりは、学んでいるから幸せというわけです。もっといえば、学ぶ、あ、面白いね、という瞬間瞬間が幸せであるというわけです。
ここにおいて幸せの定義なんてなくて、自分がああいい状態だなと思えればそれは実は幸せで。なんてことを僕は考えているし、そうやって生きています。
なので学んでないから幸せとかでもないし、学びたいことがあるから幸せでもないし。それもナンセンスだと。学んでいてああ楽しいなあで幸せってことですね。
幸せを感じている人は人に学びも与えられるわけですよ。ここも最大の面白さかもしれません。だから、学びって何かっていわれたら、実は幸せであることそのものだし、僕はまさにそれが楽しいのだって答えるんじゃないかなと。