英会話での予想外な質問に立ち向かう:ソクラテス並みの謙虚さを目指して

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2024年1月13日
英語で話すとき、真実は何か?と問われたらどうするか?

英語を話すのは単に英単語や英文法を学ぶだけではない、今まで聞かれたことのない質問も聞かれることがある。これは英語だけの話ではない、そんな質問を受けてびっくり、頭が真っ白になる自分。さてどうするか。どうしようもできない。「何も知らないという自分を受け入れることしかできない」
All I know is I know nothing.まるでソクラテスの「無知の知」のように。情報洪水時代にこの謙虚な精神を保てるだろうか。

保つ方法として、たとえば、「」も言っているように、考えの違う他人の意見を聞きに行く、というのがあると思う。この人とは多分意見が合わないな、だけど、あえて、聞きに行こう。どう思いますか?相手から非難されたりするかもしれない。当然リスペクトはある前提で。すると、そうか、そういう見方もあるかと思えるかもしれない。

僕の個人的な話をします。

とある熱心なキリスト教徒の友人がいます。
彼はいいやつです。
ただ、キリスト教のことを語るとき、その熱意はちょっとやそっとではありません。と僕は感じます。

真実は何か?現実とは何か?という話がよく出てきます。
僕は答えに困ります。
真実が何か、現実が何か?死んだらどうなるのか?
そんなこと知らない。いや正確には興味はあるけど、誰も証拠を持って答えられないと思う。だけど世の中には、そうした世界観を「正解」という形で強く確信している人がいる。日本語世界でここまで頭を捻り、考えるような議論に出会ったことがない。英語では、しばしばある。他の言語でもあるかもしれない。単に日本語でそうした議論を避けてきただけかもしれない。けど否応なく、英語での議論はそうした場に連れ出される。

アメリカ人の別の友人と話しました。
彼は、何かを信じているとしても、それが「正しいかどうか」はあまり気にしないと。なぜって「誰もわからないから」と言っていまして、僕は少し気が楽になりました。

お読みいただきありがとうございました。

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