「この子、なんか普通とちがうんです」
外来でよう聞く言葉。親御さんが子どものことで相談に来るとき、学校の先生が心配して電話をかけてくるとき、あるいは本人が、「自分って普通とは違う気がして…」ってぽつりと言うときもある。
でも、「普通」って、本当にどこにあるんやろな。
誰が決めた基準なんやろな。
昔、大学生の患者さんが診察でこんなこと言うてくれたことがある。
「小さい頃から、ちゃんとできないって怒られてばっかりで…普通の子みたいにできない自分は、おかしいんだと思ってました。でも“脳のクセやから”って言われたとき、なんかちょっと肩の荷が下りた気がして」
その子は確かに、忘れ物は多いし、集中も続かない。けど、話してるとめっちゃユニークで、人との距離感も上手で、まわりの空気をよう見てる。
「普通じゃない」と思い込んでた部分にこそ、その子の良さがぎゅっと詰まってたんよな。
「普通」って、なんやろな。
たとえば、毎日決まった時間に起きて、指示通りに行動して、空気を読んで人と合わせられる。そんな人が「普通」って思われてるかもしれない。
でも、それが苦手な人が「異常」なんかって言われたら、そんなことないと思う。
精神科の仕事してると、よう感じる。
「みんなと違うこと」が、その人の生きづらさにつながってること、ほんまに多い。でもその「違い」を責められる社会の空気のほうが、しんどさをつくってるんじゃないかなって。
「普通でいなきゃ」ってプレッシャーが、一番、本人を追いつめてるのかもしれない。
けどな、同時に思うんよ。
「普通と違う」部分が、その人を助けることもあるって。
こだわりの強さが、仕事の丁寧さにつながったり、敏感さが誰かの痛みに寄り添える力になったり。しんどい経験してきた人やからこそ、持てる優しさってある。
「普通」からはみ出してる自分に、劣等感を持たんでええ。
むしろ、その“はみ出た部分”にこそ、その人らしさがあるんやと思う。
精神科医として、人によう伝えることがある。
「誰かと違うってことは、あかんことやない」って。
「自分は普通やないんかも」って感じたとき、
それは「あなたらしさがある」ってことかもしれない。
世界は、“はみ出した人”のおかげで広がっていく。
だから、無理して「普通」にならんでもええんちゃうかなって、そう思う。