ちゃぶ台日記Vol. 40「流れてきた一曲が、教えてくれたこと」
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コラム
ふと流れてきた一曲に、心を掴まれた。
何気なく聞いていたはずなのに、
気づけば涙が止まらない。
認知症になった親の気持ちを歌っているように感じたその歌は、
胸の奥に、静かに、でも確実に入り込んできた。
私の父は50代で亡くなった。
だからこそ、今でも元気でいてくれる母の存在が、どこか特別に感じる。
母は高齢になった。
老人クラブの集まりが大好き。
「今日は何を着ていこうかな」と嬉しそうにしている。
そんな母のために、季節に合う服を選んではプレゼントする。
新しいお洋服に大喜びする姿を見るのが、何より好きだ。
少しでも気分よく出かけられるように。
その時間が、少しでも輝くように。
そんな日常の中で、あの歌がふと重なった。
いつか、母にもそんな日が来るだろうか。
でも、どうかその時――
「迷惑かけてごめんなさい」なんて言わないでほしい。
そう、心から思う。
「自分が自分でなくなるこの恐怖」(歌詞より)
その言葉を聞いたとき、胸がぎゅっと締め付けられた。
認知症は、ただ“忘れていく“ことではないのかもしれない。
これまでのつみ重ねてきた時間や、
大切にしてきた人との記憶が、
少しずつ、自分の手の中からこぼれていく。
白い廊下
誰かの足音
「お昼ですよ」と知らない声が降る
鏡に映る見知らぬ人が笑う
私の名前を呼ぶのは誰だろう(歌詞より)
その情景が介護での現場での記憶と重なった。
私は「○○さん、お食事ですよ」と声をかけていた。
昼なのか、夜なのか。
今がどんな時間なのかさえ、曖昧になることもある。
にっこり笑って「お食事ですよ」と伝えても、
うまく理解できないこともある。
その中で、どう伝えるか。
どう関わるか。
一日一日が、工夫と根気の積み重ねだった。
昨日までの道が急に消えて、
愛した人の顔さえも砂のようにこぼれていく。(歌詞より)
そんな不安や恐怖の中で、
それでも、人は生きている。
どうか、最後の時間が、
「迷惑かけてごめんなさい」ではなく、
「ありがとう」であってほしいと、思わずにはいられない。
一生懸命生きてきて
最後にどうして、
「迷惑かけてごめんなさい」なんだろう。
家族のために生きてきて、
子どものために捨て身になってきた人が、
最後の時間で、どうして
こんな気持ちに包まれてしまうのだろう。
その曲が、教えてくれたこと。
それは――
人は、最後まで誰かの迷惑なんかじゃないということ。
ただ、そこにいてくれるだけで、
もう十分なんだということ。
そしてその時間は、
お別れの期間として、
大切に重ねていくものなのかもしれない。
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