こんにちは皆様。
此の所、私は小説も書いたりしているのですが、書いていると、自分を出していかなければならない事が在って、恥ずかしくなる時があります。
文を書くのは裸を見せるより恥ずかしい。
次娘がたびたび「本棚は人に見せたくないな、自分が解ってしまうじゃない。」と言っているのですが、文を書くのもそう。
鍛えられない不健康な魂をそのまま見せるのが、耐えられなくなる時があります。
書くことが好きで、それを見て欲しい気持ちも、もりもり在りながら、書けない人ってこうなんだろうな、と思います。
ネコみたいに丸まって、自分を閉じ込めるのも、生き方なのかも。
それでも私は書いている。
何故か?
声の先に誰かが居ると思っているから、手が届かなくても声は届くんじゃ無いかと思っているから。
誰かが裸の自分の魂を、それでいいよと言ってくれる。
私の奥にある見っともない魂は、見栄えが悪くても何かを発しろと叫んでいる。
人間が自由に言葉を使えるのは、素晴らしい事だし、自由に発信できる環境に身を置いている事は、奇跡のような物だと思う。
この奇跡を一心に受けて、これからも発信していこうと思っている。
出来なくなる日まで。
いつも有難うございます。